第三話「己を知るために」(9)
金色の脚甲から伸びた鋭く太い五本の爪は、シロクマの後ろ足を想像させた。
その先端が、大地を強く叩いた。
穿たれた地面から発生した冷気が空気中の水分を凍結させ、白い氷霧となって拡散する。
急激に気温が下がり、地面に氷が張る。広がっていくそれが土壁にまで広がり、二輪をタイヤを滑らせた。
『関西鉄騎』。
盤龍鱗『西涼錦』の量産機として増産された、機動戦用の盤龍鱗。
盤古片の生命エネルギーを循環させる制御システムは、 百二十馬力までを自らの手足のように扱える。
……のはずなのに、どれもこれもスリップを起こす有様は一般車にも劣る。
――氷面上に付着した彼女の盤古片が粉末状となって舞い上がって、動作に異常を来している。本質は……あたしの技と同じ。
盤龍鱗自体は高い機密性と、高精度のメインコンピューターによってそういう誤作動は起きない。それを判断した各自は『馬』を捨てて、自らの両脚とオートバランサーによって、一面を占拠する銀盤の上に立つ。
残り、七騎。
キハルの右手に四、左側に三。
それぞれ手持ちの槍を引っさげ、氷を踏み割り、隊列を組む。
『波状攻撃』
という『常山』の少女の令に従って、突撃する。
右四体の方角に、少女の右手が突き出された。
きれいに縦に並べられた五本の指が、
ツイ
……と、襖でも開けるように横にスライドする。
その動きに沿うように、光の壁が現れた。
硬質な音を立てて妨げられた槍の穂先が、深く根本まで突き刺さった。そのまま、透明の壁を隔てた先。そこにいたキハルの五指が鉤を描くように、上一文字を切る。
突き出た氷柱は、四本。足下から突き出たそれが、各左手首を射貫く。
貫通こそしなかったものの、正常な機能を失った盤龍鱗は、装着者を吐き出し自爆する。
カ、コン。
小気味よく踵を打ち鳴らしたキハルは、素早く我が身を切り返し、足爪を反対側より迫る『鉄騎』へと一発ずつ叩きつけた。
火花を散らしてのけぞる彼らに、二撃、三撃を加えて破壊まで追い込む。
その背に向けて『青紅霹靂』をもう一矢、射る。
キハルは再び振り返りざま、両腕を大きく、戸を閉じるように動かした。
――光? いや氷……。
異形の少女二人を隔てるのは、純度の高い、ガラスのような二層の氷壁。
なるほど光をその中に閉じ込め乱射する様子は、七色の虹にも見えた。
受け止められる。それでも良い。壁を破壊することが目的だった。距離を詰めることが、大切だった。
凍土を蹴る。
粒子より再生した短槍と曲刀を片手に、一気に間合いを奪う。盤古片『司空』……中原キハルに肉薄する。
槍で薙げば左脚で弾かれる。刀を袈裟懸けに振れば右足がそれを打ち返す。
蹴り捌く、という奇妙な言葉が、乱舞する武装少女の脳裏に生まれた。
回し蹴り、あるいは直線的な攻撃の応酬が、接近戦に持ち込んだ少女に勝機を見出させない。
リーチで分はこっちにあるはずなのに、それでも『司空』の技量と手数は彼女の激しい攻めをも上回る。
闇雲に繰り出した一突きが、その脚に絡め取られた。
獲物をくわえたワニのように、『常山』の腕を挟み込む。半身をひねるに合わせ、白銀の鎧も巻き込まれる。
宙を浮く。心もとない感触の後、地面に転倒する。
半身を起き上がらせる。膝立ちになる。
眼前に、キハルは低く跳躍していた。ぐっと反らした長い脚の先に、強固な爪が黄金に輝く。白い冷気をまとって迫っていた。
起ち上がろうとする。しかし地面から伸びた霜が、膝と地面をつなぎ止めていた。
立ちたい。立って完全な体勢で迎え撃ちたい。
完璧さを求めるがゆえの、その一瞬の拘泥が、逃げるタイミングを失わせた。
『せ……《青紅霹靂》ッ!』
弓をつがえるのが遅い、と自分でも感じている。
後悔よりも速く、爪撃が彼女を袈裟懸けに襲った。
ガリガリという金属音が、ノイズとなって少女の意識を蝕む。
白とオレンジの火花と共に散るのは、真紅の椿を思わせる高濃度の盤古片の余波。
五本の切れ込みが光輝の鎧殻に入る。
『あ……ああぁ……』
生まれた亀裂から、熱と火が湧き出つつあった。
なまじ即死に至らないから、敗北の悔恨と恐怖を味わうのに、十分すぎる時間はあった。
しかし少女を苦痛が苛むことはなかった。熱ささえ感じることはできなかった。それよりも前には、少女の肉体は甲冑より引きはがされた。
「せいぜい生き恥をかけ」と、「生き延びて強くなれ」と、爆散する『常山』が告げているように思えた。
我ながら都合の良い解釈、と少女は苦笑する。
冷たい大地で頭を冷やしながら、彼女は意識を手放した。
…………
「ざっと済みたり」
変化を解いて「ふぅ」とキハルは一呼吸。
久々のシャバかのように、肺胞に取り込んだ冷風は新鮮で美味しかった。
倒れ伏しているのは、黒服の男たち、そして一人の少女だった。
ゆっくりとにじり寄りながら、反応をうかがう。狸寝入りで不意打ち狙い、ということでもなく、真実気絶しているようだった。
こうして素顔をまじまじと見つめていると、まだ幼さの残る、こざっぱりとした顔立ちをしていた。幼いどころかひょっとしたら、自分よりも年下なんじゃないだろうか。
――ん? いや俺って実質二歳だから、そういう言い方で良いのか?
と脱線しそうになるのをこらえ、大悟の姿を探る。
シン、と張り詰めた空気の中、大悟の気配はもはやそこにはなかった。
途方にくれる少女のポケットで、小刻みに携帯が震えて鳴り出す。
取り出した先の表示名には、『大悟』の二文字。
デートのはじめ、慣れない土地で迷子にならないように、と受け取った番号が役に立った。
だが、その相手が表示通りじゃないことも、覚悟している。
「もしもし」
低い声で応じたキハルに、
『勝ったのか、連中に』
という、驚きの声が返ってきた。
「……大悟は、無事なんだろうな?」
相手の声は、機械によってトーンをいじくり回されていた。編集された低音声が、どこか壊れたように笑った。
『上を見てみろ』
と促され、キハルは首を反らせた。
視線の先、彼女らの頭上に高くそびえる断崖の上に、一個の人影があった。
それは花見大悟のものでも、彼を連れ去った敵の姿でもなかった。
マフラーをなびかせた、あの盤龍鱗。
鉄骨の上で相対した機体が、大悟の携帯を、耳と思しき部位に当てて直立している。
『花見大悟はこちらで預かっている。返して欲しければ、東区の《船の博物館》まで取りに来い』
だが、と低く言い置いて大きく身を乗り出した。
挑発するような揶揄の響きと、試すような一片の真摯さを内在させて、
『あんなクズに、お前が命を賭けて救う価値などあるか?』
彼は彼女に、そう言った。