第三話「己を知るために」(6)
「あ、また出た」
その正統派な鎧騎士の出現にも、キハルはいつものように緊張感を出さなかった。
不用意に一歩前に出た彼女の頭上を、投擲された槍が通過していった。
大悟には、その軌道は掴みきれず、一筋の光線が伸びていったように見えた。
椿が射抜かれ、真紅の花弁を散らして砕ける。
そこから三十メートル先の固い岩盤に突き刺さったそれは、光の粒子となって分解される。その粒が宙を漂う。白騎士の手の近くまで戻ると、再び寄り集まって、短槍の形態として凝固する。
キハルは身の危機にも、尋常じゃに現象にも動じない。
「あのさ」と軽く片手を持ち上げる。
「そのー、ももち、一族? って何なんだよ?」
『知る必要はありません』
「いや、でも殺される理由ぐらいは知りたいじゃない」
――本当に、四六時中緊張感のない。
大悟はため息をつく。口に苦さが満たされて、肺にまで侵入してくる。
死の危険と隣り合わせの状況で、彼はさらにキハルの前に、庇うように進み出た。
「私も是非とも拝聴したいんだがな」
『……っ?』
鋼のマスク越しに、怪訝そうな呼気が漏れた。
「その中に誰が入ってるかは知らんが、何の罪もない娘をいたぶるのは楽しいか? いったいそんな非道で何を手にしようとしているのか。是非ともこの被害者に聞かせてやってはくれないか」
大悟は自分の言葉と心がささくれ立っていることを自覚していた。自覚していながら、それを改めることはできそうにもなかった。
露骨な挑発をされたにも関わらず、白い機人は、存外従順だった。構えを解くのを見計らい、大悟はキハルを相手の視界から隠す位置に立った。
『……百地一族は、日本全土の、怪異、異能を管理・統括する機関です。人の手に余る超常の存在が現れた際、人にとって有害か、有益かの選定を行う一族です』
まるで授業で朗読を指名された生徒のように、淡々とした調子で語り始めた。
だが大悟は別に、その内容に興味はなかった。今さらキハルの正体が何者だろうと、どうでも良いことだった。
ただ、注意をそらしたかった。
『そして二年前、崩落に事故によって表出したこの化石を発見しました。こも《手》の中には森羅万象を司る未知のエネルギー、時間軸や空間さえも歪めてしまう、《盤古片》が内蔵されていた。……おそろしい力です。エネルギー源を回収した今でも、見てのとおり生命の暴走は止まらない」
大悟はすり足で移動していた。それに合わせて、背後のキハルも後ろ手で押してスライドされる。
『だけど、百地一族が調査に入った時点では、既に含有量の七割が消失していた。行方不明とされている七十七名の遺体を含め、残っていた三割を回収しました。ですが、残る七割は、貴方の肉体の内に取り込まれている』
目の前の女が一族の使命感なんていう、馬鹿げた理念に酔っているうちに、出入り口からの脱出圏内に。
せめて一撃を防げば、この死地から切り抜けられる。そのゾーンへ少しずつ身を移していく。
「合図をしたらそこから逃げるぞ」
大悟は背中にピタリとくっつくキハルにそう囁いた。
一人だけ逃げろ、と言えばこの少女はテコでも動かない。学校での戦いで、それを知った。
『そして百地一族は』
「……今だっ!」
大悟はキハルの背を押し出すように叩いた。
一瞬判断が遅れた機人の背後に回り込む。守るべき彼女を、フェンスの向こう側へと押しやる。
『なっ!?』
『常山』をまとっているのは経験の浅い人間であるらしかったが、反射速度は速かった。
ほぼ本能的とも言って良い速度で、槍の穂先が旋回する。
大悟はそれに同調するように身を翻す。交差して前に突き出した両腕が、その刃の付け根にぶち当たる。
「大悟!?」
足を止めて振り返るキハルに、激痛に奥歯を噛み締めながら、声を喉奥から振り絞る。
「私に構うなよっ、行け!」
『……正気ですかっ! あなた!?』
薄いブルーの単眼が、ぞっとするほど近くにあった。心なしか、彼女の声は怒り昂ぶっているようにも聞こえる。
人から遠く離れた剛力に、膝を屈する。それでも心は折らなかった。
そんな自分と相手を、大悟は嗤った。
「……笑わせんな、何が百地家だ。何が盤古片だ。人を散々振り回して、コケにしやがって! お前らがやってることは、罪ない相手を欺いて、素人を巻き込んで、殺して……そんな犯罪を正当化してる、百地家ってのはそんなクズどもの集まりだろうがっ!」
『……何でそんなことを言うんですか、貴方は!』
上からの圧力がさらに強まってくる。背筋が悲鳴をあげている。
槍の穂先は、怒りによってか震えていた。
もう片方の曲刀が振り下ろされれば、受け止めようとも直撃しようとも、自分の腰骨などたやすく折れてしまうだろう。
……それでも、構わないと思った。
この時ばかりは本気で、何もかもを投げ出す気持ちでいた。
背中で守る少女だけが、自分を認めてくれた。受け入れてくれた。
こんなちっぽけな存在が、彼女を守れるという倒錯した満足感で、大悟は悦を覚えていた。その高揚感の中で、大悟は感情のままに訴えた。
「お前のような人間に、私の心はわからない」
……ふいに、槍で押す力が緩んだ。
『……っ、……っ!?』
目の前の異形の呼吸が、にわかに乱れた。
親にぶたれた子のように、あるいは恋人に手ひどくフラれたかのように。
その鉄面の奥底の心理までは分からないが、手の震えがそれをありありと伝えてくれた。
そう見得を切った刹那だった。
大悟の側頭部に、強烈な衝撃が入る。肉体が横転する。思いがけない横合いからの攻撃に、全身がショックを受けたように硬直していた。
ブラックアウトした視界の中で、キハル繰り返す誰かの名前だけが頭の中に響いていた。
ただそれを、大悟は自分のものだとは認識できないまま暗黒に意識を落とした。
――いや。
花見大悟とは、そもそもなんだ?
…………
バイクとおぼしき駆動音が、キハルの耳を突く。振り返った時には、大悟の身体が大きく傾いた直後だった。
「大悟っ!」
キハルは完全にその身が回りきる前に、掌に拳を打ち付けた。
舞い降りた紺碧の衣を身に纏う。盤古片、と百地一族が呼称する生命の塊へと変じた。
だが、その前を、分厚い装甲の二輪車と、同じく分厚い装甲を持つ乗り手が妨げた。
抽象的なデザイン、古代の財宝のような神獣をかたどった黄金の頭部。また別のタイプの胸当て。それにイメージ負けしないような、錦のように艶やかな、色彩豊かな外套を肩から下に身に纏っていた。
「二人いたのか!?」
『二人だけじゃないですよ』
キハルの背に、爆音が迫る。
慌てて飛び退く。自分がいた地点をそのライダーとまったく同型、同じ車体の敵がタイヤで大地おを踏みつぶしていた。
色がブロンズであること以外は、速度、破壊性は遜色ないように思える。
キハルが浮いた中空目がけ、さらに二騎が飛来してくる。
風を集め、固めて、蹴る。
身体を下に向けて、落下を早め、すんでのところで激突をまぬがれた。
地に足つけたキハルが見たもの。それは、尋常でない空間の中、異形のバイク乗りたちが壁も地面も関係なく、三次元空間を余さず利用し駆け巡る光景だった。
合計八体。先に出現した特別機と思われる二体を含めると、合計十機。
もっとも小柄な白銀の騎士が、大悟の身柄を確保していた。
『……彼を、安全なところに』
その凛とした声音に、悪寒でも感じたような震えが混じっている。
彼女の意を受けた錦の騎士は、無言で頷く。自分よりも長身な大悟を小脇に抱えて、本来ならキハルたちが逃げるためのルートから、山を下りていった。
「だい……っ!」
キハルの前に、槍が突き立つ。追走を妨げる。
牽制で放たれたそれが、光の粒子となって、再び『常山』の左手へと戻る。
『……さっきの続きですけど、百地一族はあなたのその戦闘力を、特A級と認定。……つまり可及的速やかな排除が目的に変化しました。あなたには、この地に再び眠ってもらいます』
「どういてくれっ! このままじゃ大悟が……っ」
あはは、という軽やかな笑い声が、マスク呼吸口のスピーカーから漏れ聞こえる。
そういう瑞々しい弾んだ声のまま、白銀の乙女は切っ先をつきつけ、挑むように宣言した。
『顔見えないからわかんないでしょうけど……あたし今、これ以上なく機嫌悪いんですよね』