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第三話「己を知るために」(2)

「……ちっ」


 学内で花見大悟は舌打ちを隠さなかった。

 携帯の画面を睨みながら、この図書館を出て、階段を上って屋上からそれを投げ落としてやろうかとさえ考えてしまう。


 花見大悟が資料集めに使っていたのは、いまいち蔵書に乏しい附属高校の方じゃなく、大学図書館の方だ。

 県内有数の蔵書量を誇るその図書館は、大学生のみならず附属高校所属であっても、学生証や教員証を見せれば貸し出しや地下書庫の利用が可能となっている。

 ……逆に言えば、そこまでしないと『例の事故』の詳細を改めて知ることは、難しかった。


 桜はあっという間に散り去った。

 図書館東棟一階。そこの窓から見える桜の樹は、禿げた姿を醜くさらしている。それがむしょうに腹が立った。とにかく、見るものすべてが苛立たしいほど、大悟の機嫌は悪かった。


「図書館で携帯使っちゃいけないんだー」


 ふとそんな声が聞こえた。

 一度聞いたら忘れそうにもない。今まで一度も他人を恨んだことがないんじゃないかという、底抜けに明るい声。

 大悟はその声の主を察した。脱力気味みに「おい」と正面に目を向ける。

 だが、あの「にへへ」という笑いは、彼の目の前になかった。


「?」


 放課後、次第に数を増していく利用者たちを見回す。なんだよ、という感じで 訝しげに睨み返してくる数人はいる。それでもあの異形に変ずる少女、中原キハルの姿はなかった。


「こっちだよ、こっち」


 声は、大悟の足下から聞こえてきた。

 折り曲げたままの大悟の腿の間に、ちょこんとかかった指がある。

 机の下の薄闇でキラキラと、イタズラ心で輝く二つの目がある。

 んふふふふふー、と無邪気に笑う息遣いが、大悟の全身を余さずくすぐるようだった。


 巣穴のリスよろしく自身の足下で丸くなるキハルは、反応に期待するように、

「びっくりした? ビックリした?」

 と尋ねる。大悟は鈍い頭痛に軽く呻きながら、

「あぁビックリした。ビックリしたから驚きのあまり蹴っ飛ばして良いか?」

「ダメー」


 にへへへー、と。すっかり耳慣れた笑い声と共に、キハルは這い出てきた。


「で、なんでお前ここにいるんだよ」

「今日宿題出してきたじゃん、大悟」

「……あぁ」


 椅子ごと自分の体を引く大悟の至近にひょっこり立つと、


「で、そっちは何見てた?」

「……」


 大悟は無言で、机の上に広げた古新聞を指で示した。

 その三面記事に灰色がかった目をやったキハルもまた、軽く目を見開いた。


 『式守山(しきもりやま)崩落事故』の小さな文字が、彼女の瞳に映り込んでいた。


…………


 式守山はかつては化石の発掘現場として知られていた。もっともそこは学術的な価値のあるものは採掘されなかった。

 貝の一種やシダなどの植物、蜂などの小動物が封じ込められたものがほとんどで、貴重なもので瑪瑙や琥珀などの鉱物、あるいは哺乳類の歯で、恐竜の骨を発見したとかというニュースは報じられていない。

 どちらかと言えば一般向けに解放され、小学生が夏休みの自由研究のテーマに利用されていた場所だった。


 それが一変したのは、二年前。

 原因不明の崩落によって多くの死傷者を出したそこは、現在も山自体が封鎖されていたし、七十七名にものぼる行方不明者は、今なお発見されていない。

 これほどの大災害にも関わらず、それを採り上げたのは地方紙のこの小さな枠のみだった。

 未だ、事故に直接繋がる明確な原因も不明とされている。


 その当事者の一人が、机を挟んで向かい側の席にいる。

 だが大悟が期待したり恐れていたような反応はなく、ふんふんと他人事のように相槌を打つだけだった。


 ――期待した私がバカだった。


 心の中で一人ごちながら、「で」と直接声をぶつける。


「お前は、何かこれを見て思い出すことはなかったのか?」

「これを?」

「同じ市内だろ。行ったことぐらいは」

「ないよ」

 意外な答えが返って来た。

 言葉もなく口を半開きにした大悟に、

「だってこの二年間は目の前のことで精一杯だったから。……いやー、何せそれまでの積み重ねがないからさ、俺」

 と少女はあっさりと、そしてしみじみと、理由を告げた。


 つまり、自分のルーツよりも文化や常識、当面自分が社会生活を行うにあたり、必要なものを取り入れるのに、今までの年月を費やしたのだという。


 まぁ人生とはそんなものかもしれないな、と大悟はふと思った。

 自由に見えて目の前のことで手一杯で、

 それ以外の物事や相手を大切に思うことは、案外難しいかもしれない。


「それにさ、市内って行っても都心の方だし、遠いよ? そこ、バスもないし」

「……じゃ、私と行ってみるか?」


 大悟はポツリとそうこぼした。

 キハルはキョトンと大きなその目を丸くする。謎の焦燥感に駆られた大悟は「いや、だから」と新聞の写真に指を突き立てた。


「私の車乗せてやるから、一度見に行くか? お前の手がかりも見つかるかもしれないだろ」


 キハルは、じっと大悟の意図を探るような目つきをした。普段無防備な彼女は意外な用心深さを見せた。自分の軽率さを呪いつつ、大悟は視線を外した、


「……それは」


 お互い、息を飲み込む音が聞こえそうなほど距離まで接近していた。

 キハルは緊張した面持ちで、



「デートのお誘い、か!」



 少し頰を赤らめて、そう尋ねた。


「……は?」

 実際に言葉にしてみて、恥ずかしかったのだろう。頬の紅は耳までのぼり、はにかみに白い八重歯がチラリと見せる。


「……いやー、俺もついにその時が来たか……ウン。青春だなぁー。楽しみだなぁー! よしっ、何着てこう」

「え? あ? は? いやちょっと待て待て待て待て! ノーノーノーノーノー! 違うッ! 断じて違う!」


 そんな大悟の必死の否定や拒絶は、まるで無視だった。

「うひゃー」

 とか

「うはー」

 とか、奇声をあげて、少女は駆け去っていく。

 その去り際、清らかな笑みが顧みた。


「大悟なら、良いよ。うん、とっても嬉しい」


 遠ざかっていく華奢な背を、ぼんやりと伸ばされた大悟の手は引き留めることができなかった。中途半端な姿勢となったまま、その手のやりどころを失い、持て余す。


「毎回毎回毎回……っ、なんであいつは人の言うことを聞いてくれないんだ!?」


 頭を抱えていると、周囲三メートル四方で、ひそひそと囁きが聞こえてきた。

 明らかにこちらに向けられた好奇心や軽蔑の眼差しに、大悟は身を翻した。


「……違うからなっ!? 勘違いするなよっ! 言いふらしたりなんかすんなよッ!? したら泣くぞ、泣いてやっからなぁ!?」


 涙を滲ませながらの必死の怒号は、フロア一帯に轟いた。

「館内ではお静かに」という本棚の張り紙が、彼の嘆願に揺さぶられ、ハラリと地に落ちるのだった。

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