最上川
ああ畜生め、ああ畜生め!
そんな怨嗟の声を心中で吐きながら、仁村穂乃果は自宅の扉を勢いよく開け放った。
そして、そんな怨嗟の声を吐かせる諸悪の根源に対し、彼女は全力で罵倒を叩き付けた。
「魔法使いが楽しくどぶ浚いなんかするなー!」
その罵倒を叩き付けられた者、彼女曰く、魔法使いは不思議そうな表情を浮かべるとこういう。
「穂乃果ちゃん、魔法とかそう言うのはそろそろ卒業した方がいいと思うよ?」
「正真正銘の魔法使いが何を偉そうに!?」
魔法使いは存在しない――――と世間一般には考えられている。別に魔法が隠されているとか、魔法使いが絶滅したとかいうわけではない。
単に、今となっては魔法使いがあまりにも少なくなってしまったため「へぇー、魔法使いってまだ居たんだ!」と言う認知なのだ。
しかし伝統工芸の伝承者が未だ居るのと同じく、魔法使いは未だ存在している。もう日本には片手の指で足りるほどの数しかいないが。
そして、その世界ではもう100人と居ない魔法使いのうち、まず間違いなく世界最高の魔法使いである皆元巴は、この日本の片田舎でのほほんとした生活を送っている。
どれくらいのほほんとしているかと言うと、町内会の行事には皆勤賞を得られるくらいのほほんとした生活を送っている。
そして、今朝方の町内会の行事であるどぶ浚いに参加し、えっちらおっちらとスコップでどぶの土を浚っていたのである。
「とにかく魔法使いだったらどぶ浚いなんか魔法でちょちょいと片付けてよ!」
「ダメだよ。その願いは僕の力を超えている」
「嘘を吐くなぁぁぁ!」
どっかの7つの玉を集めたら出てきそうなドラゴンみたいなことを言う巴に穂乃果はがなる。
彼女はこの魔法使いが、のほほんとした生活を送っている事にどうしても耐えきれないのだ。
「巴さんすっごい魔法使いなんでしょ!?」
「うん。まぁね」
「だったらもっと魔法を活用しようと思わないの!?」
「何でも魔法使ってたら面白くないよ?」
これである。巴はなんでもかんでも自分の力でやろうとする。そしてその理由は単純。
たった今述べたように、魔法を使ったら面白くない、なのである。
「なんなの? 巴さんは非効率を楽しむマゾなの?」
「そ、そこまでボロクソに言われる謂れは無いんだけど……そもそも効率云々で言ったら君がこうしてここに来る事も非効率でしょ?」
「む」
確かにその通りである。効率だけを考えるなら巴になんかかずらっていないで、自分を高める努力をした方がいいのだ。
だが、そこまで機械的になれるほど穂乃果は達観していない。
「むー……でも、巴さんが非効率な真似をしてるのは事実じゃん」
「まぁ、それは認めるけどねぇ。ところでクッキー焼いたけど食べる?」
「わーい食べるー♪」
いそいそと席につき、皿に載せて饗されたクッキーをさっそく一つ手に取る。
今日はどうやらバターをたっぷりと使ったプレーンなクッキーのようだった。素朴であまり味わいと腕前が関係ないだけに少し残念である。
巴はプロの菓子職人としてもやっていける腕前があるのだ。それだけに、家では決して食べれない凝ったお菓子が出るのが楽しみなのに。
とは言え、プレーンなクッキーも乙なもの。それに素朴なクッキーも巴の手にかかれば、十分なおいしさを見せてくれるのだ。
「んっ、おいしー」
「はい、紅茶。ミルクとおさとうもね」
「うん」
ミルクをたっぷりと入れて、角砂糖を1つ。ティースプーンで丁寧にかき混ぜて飲むと、これがまたおいしいのである。
「はぁー♪ やっぱり巴さん家のお菓子おいしー」
「明日はなにつくろっか?」
「んー、マドレーヌとか食べた……ってお菓子で誤魔化すなぁ!」
誤魔化されかかっていた奴が言う事ではないが、穂乃果は血気盛んに怒鳴る。
「うんうん。分かった分かった。つまり僕が魔法をあれこれたくさん使えばいいんだね?」
「そうそう、そーゆーことなの!」
「うんうん、ところでフィッシュ&チップスあるよ。食べる?」
「食べる食べるー! 巴さんの作る料理だぁい好きー!」
またもや誤魔化されかかる穂乃果。と言うか今回は完璧に騙されているかもしれない。
ともかく、巴が台所から持ってきたタラのフライとジャガイモのチップスは揚げたてのようにほかほかと湯気を放っている。
これだけでもおいしそうだが、なんと言っても皆元家の料理がおいしい秘密は調味料にある。
「はい、どうぞ」
「えへへー、今日はなんにしよっかなー。んー……よし、ソルトミックスでいーこおっと」
うれしそーに穂乃果は笑うと、卓上に置かれているアルミ製の調味料入れを手に取る。
この中に入っているのは塩や醤油なんかの基本的な調味料ではなく、巴オリジナルの調味料が入っているのだ。
「巴さんのソルトミックスおいしいよねー」
しゃかしゃかと音を立てて、ハーブ、スパイス、塩が配合されたソルトミックスが振りかけられる。
このソルトミックスがフライ料理に合うのだ。
ほっくり揚がったジャガイモのチップス。イギリス英語なので、この場合のチップスとは大きいフライドポテトと言うと分かりやすい。
そのチップスを穂乃果がパクりと食べるとおいしそーに笑うのだ。
「あぁ~、ほんと巴さんの料理さいこー。私、巴さん家の子に産まれたかったなぁー」
料理も上手でお菓子も上手。そんな親の下に生まれれば、毎日の食事が楽しみで仕方ないだろう。
自分の母の食事に関していろんな意味で見切りをつけている事もあって穂乃果はいつもそう思うのだ。
「あはは、僕ん家の子にはできないけど、遠慮なくごはん食べに来ていいからね。僕も1人だと寂しいし」
「うんうん。巴さんは私みたいなちょー美少女と一緒にごはん食べれてうれしい。私は巴さんのおいしー料理食べれてうれしい。持ちつ持たれつってことだよね!」
「うん、そうだねー」
ニコニコと笑う巴。そしておいしいフィッシュ&チップスに「そー言えば、なんか怒ってたような気もするなぁ?」と穂乃果は少しだけ思ってから「気のせいか」と結論付けた。
「んーおいしっ! ねぇねぇ巴さん、晩御飯なーに?」
「ごはんと煮物とサンマだよ。お味噌汁は穂乃果ちゃんお味噌汁にしよっか」
「もー、それ言うのやめてよー」
穂乃果ちゃん味噌汁とは穂乃果が好きなお味噌汁の事だ。具はほうれんそうと卵で白みそ。出汁はカツオとコンブの合わせ出汁。
それが穂乃果の大好きなお味噌汁であり、巴が穂乃果ちゃんお味噌汁と名付けてしまったものである。
「煮物はいっつもの? こんにゃく一杯いれてね!」
「うん、わかってるよー。シイタケ、ニンジン、ゴボウ、レンコン、タケノコ、鶏肉、こんにゃくでしょ?」
「うん! 巴さんの煮物おいしいから大好き!」
まるっきりおばあちゃんちで餌付けされる孫娘であるが、穂乃果は気付いているのだろうか。
多分気付いていない。
「それにしてもサンマかー。サンマのおいしい季節だもんねー」
肌寒くなり始めた10月も半ば。サンマの脂が乗り切った時期だ。
穂乃果は大根おろしとポン酢で食べる派で、巴も同じく大根おろしとポン酢派だった。このポン酢は巴の手作りではなく、市販品だった。
「秋はいいよねー、秋は。うんうん。食べ物がおいしい季節だし」
でも太っちゃうなぁ、と穂乃果はアンニュイにため息を吐く。
巴は穂乃果が家に来るとお菓子を振る舞い、晩御飯もお腹いっぱい食べさせる。
そのどれもがおいしいせいもあって思わず箸が進み、気付くとお腹周りが大変な事になっているのだ。
しかし、抗えない食の魔力に誘われ、いつも穂乃果は皆元家の食卓に相伴にあずかるのだ。
巴に不味い料理を作れと頼むわけにもいかないし、今日は家で晩御飯を食べる! と心に決めてもかれこれ10年以上続く習慣なだけあってついつい足が進んでしまう。
おふくろの味は巴さんの味! と胸を張って言えるくらい、胃袋をがっちりつかまれていた。
「食欲の秋だもんねぇ。僕もついついご飯が進んじゃって、体重計に乗るのが怖いかなぁ」
「巴さん十分小食じゃーん」
いつもお茶碗1杯しかご飯を食べないのが巴だ。一方、穂乃果は3杯目のお代わりも遠慮せずに出す。
くっ、これが女子力の差なのか! と戦慄するも、男の人に女子力で負ける私って……と思わず落ち込んでしまう。
けどやっぱり「美味しいものは美味しく食べなきゃね!」と思うとご飯のお代わりが進むのも仕方ない事だよね、うん。と穂乃果は自己完結する。
「よーし、今日はたくさん食べるけど明日は我慢する。それに部活でいっぱい頑張るし」
食べた分だけ消費する! そうすれば大丈夫! そう信じて今日も穂乃果はおなかいっぱいご飯を食べるのだ。