#24 「ただの子供」
車窓を流れる景色が住宅街から徐々に商業地区のものへと移り変わっていく。
助手席に座る俺は流れる街並みを目で追いながら頭の中で昨晩の配信トラブルを反芻していた。
エフェクターの故障。
予備のエフェクターであの場は凌いだが、やはり物足りない。
俺は義母に頼み、楽器店へ向かっていた。
「在処、もうすぐ着くよ」
ハンドルを握る義母が声をかけてくる。
俺は視線を前に戻し、フロントガラス越しに見えてきた大きな看板を見上げた。
『サウンド・チャハーン』
この地域では最大級の売り場面積を誇る総合楽器店だ。
平日の昼間ということもあり駐車場は空いている。
義母が手慣れたハンドル捌きで車を駐車スペースに滑り込ませた。
「ありがとう義母さん。急な買い物に付き合わせちゃってごめんね」
「いいのいいの。私もお店の備品で買いたいものがあったし、ちょうど良かったよ」
シートベルトを外しながら義母が微笑む。
俺たちは車を降り、自動ドアをくぐって店内へと足を踏み入れた。
空調の効いた店内には微かに木材と金属の匂いが漂っている。
楽器店特有のこの匂いは前世から変わらず俺の心を落ち着かせてくれるものだ。
平日らしく客足は疎らで、店員たちが商品の整理やメンテナンスをしている姿が目立つ。
静かで落ち着いたこの雰囲気は今の俺にとって好都合だった。
「私は店長さんに挨拶してくるから、在処はゆっくり見ておいで」
「うん、分かった」
義母はライブハウス『Remain』の店長としてここのスタッフとも顔馴染みだ。
軽く手を振ってカウンターの方へ向かう義母を見送り、俺は目的のエフェクターコーナーへは直行せずにギターコーナーへと歩を進めた。
たまには色々見て回るのもいいだろう。
壁一面に吊るされたギターの数々。
新品特有の艶やかな塗装が照明を反射して輝いている。
俺は陳列棚に沿ってゆっくりと歩きながら一本一本のギターを観察した。
メーカー名やヘッドの形状、ボディの材質。
この世界に来てからネットでの情報収集は欠かしていないが、実物を目の前にするとまた違った情報が得られる。
加工精度やパーツの組み込み具合を見る限り、この世界の楽器製造技術は前世と比べても遜色ないレベルにあるようだ。
むしろ一部の木材に関しては前世よりも良質なものが流通しているようにも見える。
「……ふむ」
俺の足がある一点で止まった。
ガラスショーケースの中に鎮座する一本のギター。
経年変化によって飴色に変色したラッカー塗装。
適度な使用感がありつつも丁寧にメンテナンスされてきたことが窺えるその佇まい。
ヴィンテージのストラトキャスターだ。
(いい顔つきしてるな)
俺はショーケースにへばりつくようにしてそのギターに見入った。
どんなプレイヤーが弾いてきたのだろうか。
どんなステージで、どんな音を鳴らしてきたのだろうか。
想像するだけで胸が高鳴る。
「お嬢ちゃん、ギターに興味あるの?」
不意に頭上から声が降ってきた。
思考の海から引き戻された俺が振り返ると、若い男性店員が屈託のない笑顔で立っていた。
名札には『研修中』の文字がある。
おそらく俺の背丈を見て、親の付き添いで来た子供が楽器を物珍しそうに見ているとでも思ったのだろう。
無理もない。
今の俺はどこからどう見ても小学生の女子だ。
「あ、はい。ちょっと見てただけです」
俺は当たり障りのない返事を返す。
しかし店員はそれで引き下がる様子もなく、むしろ子供相手の接客マニュアルを実践するかのように話を続けてきた。
「ギターかっこいいよねー。お兄さんも昔、ギターに憧れて始めたんだよ。
これなんかどうかな? ピンク色で可愛くて、軽くて弾きやすいよ」
彼がスタンドから手に取ったのは、初心者向けのミニギターセットだった。
鮮やかなショッキングピンクに塗装された小ぶりなボディ。
ヘッドには可愛らしいロゴが入っており、まさに入門用といった風情だ。
今の俺が求めているものではない。
ないのだが――
「わあ、かわいい色!」
俺はあえて子供らしく目を輝かせてみせた。
(今の俺は一般小学生女子。いたし方あるまい)
ここで邪険に扱うのも大人気ないし、最近の入門用楽器のクオリティを知るいい機会かもしれない。
「弾いてみてもいいですか?」
「もちろん! じゃあ、座って弾いてみようか」
店員さんが丸椅子を用意してくれる。
俺は礼を言って座り、小さなギターを受け取った。
軽い。おもちゃのような軽さだ。
ネックを握ると、確かに子供の手でも握りやすい細さに加工されている。
(チューニングは……うん、甘いな)
開放弦をポロンと鳴らすと、微妙にピッチがずれているのが分かった。
俺は店員さんと話をしながら、さりげなくペグに手を伸ばす。
「これ、軽くて持ちやすいですね」
「でしょう? 女の子でも疲れずに練習できるよ」
会話の合間にキュッ、キュッとペグを回す。
「よし」
準備は整った。
俺はピックを持たず、指先で弦に触れる。
弾くのは、自身のオリジナル曲のサビ。
アップテンポで軽快なカッティングが特徴的な曲だ。
静かな店内に、チープだが小気味よい音が響く。
ミニギター特有の軽い音質だが、正確なピッチとリズム、そして強弱のついたピッキングによって、それは「おもちゃの音」ではなく「楽器の音」へと昇華されていた。
「〜♪」
俺は楽しげに身体を揺らしながら、ワンコーラスだけ弾き切った。
最後のコードをジャーンとかき鳴らし、余韻を手でミュートして止める。
「……えっ」
顔を上げると、店員さんがぽかんと口を開けていた。
まさか子供が試し弾きで、しかもあんな手慣れたコードワークを見せるとは思わなかったのだろう。
「うん、弾きやすいです! フレットの端っこも痛くないし、ちゃんと作ってあるんですね」
俺はあくまで無邪気に感想を述べてギターを返す。
店員さんは「あ、うん……すごいね、上手だね……」と、まだ状況が飲み込めていない様子だ。
「でも、今日はお母さんと待ち合わせしてるので」
俺はショーケースのヴィンテージギターを名残惜しそうに一瞥してから、店員さんにぺこりと頭を下げた。
これ以上ここにいると、また子供向けのセールストークが始まりそうだ。
それに何より、本来の目的を果たさなければならない。
「あの、ありがとうございました」
俺がその場を離れようとしたその時、背後から聞き慣れた声がした。
「エフェクターはどうしたの?」
義母が苦笑しながら歩み寄ってくる。
その後ろには、おそらく店長と思われるベテラン風の男性も一緒だ。
「天音さん、こちらのお嬢さんが例の?」
「ええ。うちの娘の在処です。見た目は可愛いですけど……こだわりが強い子なので」
義母の紹介に、店長さんが興味深そうに俺を見る。
俺は改めてぺこりと頭を下げた。
「どうも、いつも母がお世話になってます」
「こちらこそ。噂は聞いてますよ。最近はライブハウスの機材選定にも関わっているとか」
「少し意見を出させてもらってるだけです」
謙遜する俺を見て、店長さんはにこりと笑った。
「店長さん、実は今日、エフェクターを見に来たんです」
「おや、エフェクターかい? 子供用楽器じゃなくて?」
店長さんが試すように聞いてくる。
「はい。音を変える機械のほうです。配信で使ってるのが調子悪くなっちゃって」
「なるほど、実戦で使うやつだね。ならあっちのコーナーだ」
店長さんが指差した方向には、ガラスケースに入った煌びやかなエフェクターたちが並んでいる。
俺は義母と一緒にそちらへ向かった。
新人店員さんも慌ててついてくる。
ガラスケースの中に並ぶ色とりどりのエフェクター。
そして床置きの棚に展示されたマルチエフェクターの数々。
(やっぱり現物が並んでるとワクワクするなあ)
「これ、見せてもらってもいいですか?」
我慢しきれず、俺が指差したのは、最近発売されたばかりのハイエンドモデルだった。
信号処理のアルゴリズムが一新され、ピッキングのニュアンスに対する追従性が飛躍的に向上していると評判の機種だ。
「あ、はい。こちらですね」
新人店員さんが鍵を開けてショーケースから重厚な黒い筐体を取り出す。
ずっしりとした重みが、詰め込まれた機能の多さを物語っているようだ。
俺はスペック表をざっと確認する。
サンプリングレート、ビット深度、入出力端子の数。
申し分ない。
むしろオーバースペック気味だが、大は小を兼ねる。
「試奏、できますか?」
「はい、もちろんです。ギターはどうされますか?」
「お店のを借ります。できるだけ癖のないストラトタイプでお願いします」
案内されたのは店の一角にある防音仕様の試奏ブースだ。
アンプは定番の真空管アンプが用意されている。
店員さんが持ってきたスタンダードなストラトを受け取り、俺は椅子に腰を下ろした。
シールドケーブルをジャックに差し込み、エフェクターの電源を入れる。
ディスプレイにメーカーロゴが浮かび上がり、システムが起動する。
俺は手慣れた動作で初期設定画面を呼び出し、アウトプットの設定を接続するアンプに合わせて変更した。
この設定を怠ると、せっかくの良い機材も本来の性能を発揮できない。
「……ふむ」
プリセットの音色は派手すぎて使いにくいことが多い。
俺は空のパッチを選択し、ゼロから音を作ることにした。
まずはアンプシミュレーターのセクションでクリーンなサウンドを作り込む。
ゲインは控えめに、マスターボリュームで音圧を稼ぐ。
イコライザーで不要な低域をカットし、煌びやかな高域を少し持ち上げる。
店員さんがブースの外から興味深そうに覗き込んでいるのが視界の端に見える。
義母も買い物を終えたのか、店長さんと談笑しながらこちらを見ている。
周囲にいた数人の客たちも、小学生が仰々しい機材をいじっている姿に足を止めていた。
(視線が集まってるな)
だが、そんなことは関係ない。
重要なのは、この機材が俺の指先の感覚にどれだけ応えてくれるかだ。
俺はピックを弦に添えた。
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