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第3話:出口はどちら(中編)


余白が通路を見つめたまま言う。


「どこに帰るの?」


通路の奥。


浮かび上がった扉の向こう側で、影がわずかに揺れた。


駅員は完全に言葉を失っている。

ただ通路を見つめたまま、立ち尽くしている。


影はしばらく動かなかった。


それから、小さく首を傾げる。


『……どこ?』

『わかんない』

『出口って書いてあったから』

『出たら外だと思った』


少し間が空く。


通路の奥の暗さが、ほんのわずか濃くなる。


影の輪郭が少しだけはっきりする。


背丈は小学生くらい。


だが姿は影のままで、顔の位置だけがぼんやりしている。


『でもね』

『ここ、ずっと駅なんだ』

『電車は来るのに』

『誰もこっちに来ない』


影は通路の床を見た。


『ぼく、ずっと待ってた』


沈黙。


それから、ふと気づいたように言う。


『……あれ』

『きみ』

『なんで、こっちの出口見えるの?』


通路の壁の表示が、またわずかに揺れる。


D出口


駅名は、やはり書かれていない。


余白が軽く首をかしげる。


「帰る所、分からない?」


通路の奥の影が、ゆっくり動いた。


壁に伸びていた影が、少しだけこちらへ寄る。


駅員はもう完全に固まっている。

呼吸だけが浅く、速い。


影は少し考えるように沈黙した。


『……うん』

『わかんない』

『ぼく、どこから来たのか』

『思い出せない』


通路の奥で、電車の風とは違う空気が動く。


まるで古い地下道を吹き抜けるような、乾いた風。


『最初はね』

『出口って書いてあるから』

『きっと外だと思った』

『でも』

『出ても駅なんだ』


影が振り返る。


通路の向こう側。

扉の向こう。


そこには――


駅のホームがある。


だが、それは今いる駅ではない。


古い。

照明は暗く、広告もない。

看板の文字は擦れて読めない。


そして、誰もいない。


影は小さく言う。


『ぼく』

『いくつ駅を出ても』

『ずっと駅なんだ』


少しだけ声が小さくなる。


『外がない』


沈黙。


それから、影はゆっくり余白の方へ向き直った。


『ねえ』

『きみ』

『出口、知ってる?』


通路の壁の表示が、かすかに揺れる。


D出口


その文字の下に、ほんの一瞬だけ別の文字が浮かびかける。


だが――


読めない。


余白は通路の奥を見たまま、肩をすくめる。


「出る方法なら、知ってるよ」


通路の奥の影が、ぴたりと動きを止めた。


構内のざわめきはそのまま続いている。

改札を通る人の足音。電車のドアの開閉音。遠くのアナウンス。


だが、この通路だけ音が少し遠い。


影はしばらく黙っていた。


それから、ゆっくりと言う。


『……ほんと?』


影が一歩、こちらへ近づく。


壁に伸びていた影が、床へ落ちる。


『ぼく、いっぱい探した』

『出口、いっぱいあった』


影は指を折るように言う。


『Aも』

『Bも』

『Cも』


少し間。


『でも』

『Dだけ、ずっとある』


影は、壁の表示を見上げる。


『Dは』

『きみたちの駅には無いでしょ』


声は静かだった。


『だから』

『ここ、きみの出口じゃない』


影がもう一歩近づく。


今度は、輪郭の中に少しだけ形が見えた。


半透明の子供の姿。


服は古い学生服のようだが、はっきりしない。


『でも』

『きみ、出る方法知ってるの?』


わずかに期待の混じった声。


『ほんとに?』


その瞬間。


案内板がカタリと揺れた。


A出口

B出口

C出口


そして、その下に。


今度ははっきりと表示が浮かぶ。


D出口


通路の奥の扉が、わずかに開いた。


向こうの駅が、少しだけ見える。


古いホーム。

錆びた柱。


遠くに、停まったまま動かない電車。


そして――


ホームのベンチに、誰かが座っている影が見える。


余白がその影を見ながら言う。


「教えて欲しいの?」


通路の奥の子供の影は、その問いにすぐには答えなかった。


少し顔を伏せる。


影の輪郭の中で、子供の肩が小さく動く。


駅の音が遠く聞こえる。

電車のドアが閉まり、発車ベルが鳴る。


それでも、この通路の空気は動かない。


影はゆっくり顔を上げた。


『……うん』


短い答えだった。


『ぼく、ずっと待ってた』

『誰か、こっち見える人』


影は通路の床を見て、少し足を動かす。


『みんな』

『ぼくのこと、見ない』

『出口も見ない』


小さく息を吸う。


『だから』

『ずっと、ぼくだけ』


声が少し揺れる。


『電車、いっぱい来るのに』

『誰も降りない』


沈黙。


影はもう一度、余白を見る。


『きみ』

『見えるでしょ』

『D出口』


小さく、慎重に聞く。


『……ほんとに』

『出られるの?』


その時。


通路の奥。


D出口の向こうのホーム。


ベンチに座っていた影が、ゆっくり動いた。


こちらを向く。


顔は見えない。


だが――


視線だけが、はっきりこちらを見ている。


余白は、その影を見たまま言う。


「出られるよ。すぐに」


通路の奥の子供の影が、はっきりと顔を上げた。


子供の輪郭が、さっきより少し安定する。


足元の影も、床にちゃんと落ちている。


『……すぐ?』

『ほんと?』


影は一歩こちらへ来ようとして――


止まった。


D出口の向こうのホーム。


ベンチに座っていた影が、立ち上がったからだ。


その動きは妙にゆっくりだった。


大人の影。


背が高く、輪郭がぼやけている。


だが――


腕だけが、異様に長い。


子供の影が振り返る。


『……あ』

『あの人』

『ずっと、あそこにいる』


通路の奥のホーム。


大人の影が、こちらへ一歩歩いた。


音はしない。

足音もない。


だが距離だけが、確実に縮む。


子供の影は、少しだけ後ろに下がった。


『ぼく』

『あの人に、まだ聞いてない』

『帰り方』


沈黙。


それから、小さく言う。


『でも』

『あの人、話してくれない』


もう一歩。


大人の影が近づく。


そして――


初めて声が落ちてきた。


低い。

ゆっくりした声。


『出口は』


少し間。


『ここには無い』


影の頭が、ゆっくりこちらへ向く。


『君は』

『知っているのか』



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


もし本作を面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけますと励みになります。

ひとつひとつの反応が、次の事案へと繋がっていきます。


それでは、また次の事案で。


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