第10話:人手不足(前編)
この世界は、おそらく並行世界。
どこかで、我々と分岐した世界。
超常との距離が、わずかに近い世界。
この超常を総称して「幽玄」という。
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《依頼書》
依頼者
関東物流連盟(民間組織)
依頼内容
物流拠点内で発生する「荷物の不一致現象」の調査および解決
現場
湾岸第七共同倉庫(閉鎖区画)
異常概要
入庫記録と出庫記録が一致しない。
監視カメラ上の搬入記録と実在が一致せず、未搬入物資の出現および既存在物資の消失が確認される。
制約
当該倉庫は現在も一部稼働中のため、完全封鎖不可
公的機関への通報禁止(契約条項)
報酬(成功報酬のみ)
320万円
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倉庫管理責任者の男が、紙の端を指で叩いた。
年齢は四十代半ばほど、目の下に濃い疲労が滲んでいる。
「……数が合わないんです。最初は単純な入力ミスだと思ってました」
「でも、棚に“存在してる”んですよ。記録にない荷物が」
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《湾岸第七共同倉庫・閉鎖区画》
巨大なシャッターの内側は、空気がわずかに冷えている。
稼働区画と隔てられているはずなのに、フォークリフトの遠い駆動音が壁越しに鈍く響いていた。
照明は点灯しているが、奥に行くほど光が薄まり、棚の影が妙に長く伸びている。
整然と並ぶはずのラックは、どこか微妙に歪んで見えた。
男が足を止める。
視線は一つの棚に固定されている。
「……あれです」
「昨日の時点で、そこは空だったはずなんですが」
棚の中段。
ラベルの貼られていない段ボール箱がひとつ置かれている。
しかしその箱には、薄く重なるように別のバーコードが印字されていた。
複数のラベルが“重なって存在している”ように見える。
その瞬間、遠くで金属が擦れるような音が鳴る。
同時に、倉庫奥の監視カメラの一つが、ゆっくりとこちらを向いた。
男が小さく息を呑む。
「……今、動きましたよね」
わずかな間。
床に落ちているはずの影が、一瞬だけ“棚の上”にずれた。
余白が棚の方へ軽く顎を向ける。
「何してるの。そこで」
監視カメラのレンズが、わずかに焦点を揺らす。
こちらを“見ている”というより、距離を測るような動きだった。
倉庫管理責任者の男が、肩越しに余白の方を見る。
喉が鳴る音が小さく響いた。
「……え?」
「いや、俺じゃないです……」
男の視線が、再び棚へ戻る。
段ボール箱の表面に貼られた複数のバーコードが、微細にずれている。
印刷ではなく、“別々の記録が重なっている”ように見える。
そのうちの一つが、ゆっくりと滲むように消えかける。
代わりに、別の番号が浮かび上がる。
「……今、変わった……?」
男が一歩下がる。
靴底が床を擦る音がやけに大きく響いた。
遠くのフォークリフトの音が、急に“逆再生”のように歪む。
――ガコン、ガコン、と。
一定だったはずの間隔が、不規則に崩れる。
監視カメラのモニター(壁際の簡易端末)が、ノイズを走らせる。
そこには、今この棚に“箱を運び込む映像”が映っていた。
しかし映像の中の作業員は、顔がない。
輪郭だけがあり、何も記録されていない空白のまま動いている。
男が震えた声を漏らす。
「……これ、昨日のログじゃない……」
「“今”の映像だ……」
そのとき。
棚の奥――箱の影の中で、わずかに“奥行き”がずれる。
本来あるはずのない空間が、そこに差し込まれるように。
そして、かすれた音が滲む。
『……そこは、空いていたはずだ』
声は箱からでも、空間からでもなく、
“記録そのもの”から響いているようだった。
余白が肩をすくめる。
「勝手に動かしたら。仕事の邪魔だよ?」
監視カメラの回転が、ぴたりと止まる。
レンズの黒い中心が、わずかに収束する。
まるで焦点が“合った”かのように。
棚の段ボール箱に重なっていたバーコードが、一瞬だけ完全に静止する。
男が息を詰める。
「……止まった……?」
床の影が、今度はずれない。
照明の位置と一致している。
遠くのフォークリフトの音も、規則的なリズムに戻っていく。
短い沈黙。
そして、かすれた声が再び滲む。
『……邪魔、ではない』
『補填している』
箱の表面に浮かぶ番号の一つが、ゆっくりと強調される。
『欠けた分を、埋めている』
男が首を振る。
理解が追いつかない様子で、棚とモニターを交互に見る。
「欠けたって……何が……」
モニターの映像が一瞬だけ乱れ、別のフレームが差し込まれる。
そこには、確かに“同じ棚”が映っている。
だが――何も置かれていない。
完全な空白。
その空白の映像の上に、今の箱の輪郭だけが重なる。
現実と記録が、食い違ったまま重なっている。
『……ここは、空であるべきだ』
『だから、空にした』
一拍。
『しかし、記録は満たされるべきだ』
箱の角が、わずかに歪む。
存在が、二つの状態のあいだで揺れているように。
男の声が掠れる。
「……消してるのか、増やしてるのか……どっちなんだよ……」
余白が箱を見たまま言う。
「それ、どういう基準なの?」
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