第1話:読んでいるのは、だれ?(中編)
監査官が視線だけを余白に向ける。
「……今までの報告では」
小さく言う。
「本は“読者の言葉”には反応していませんでした」
棚の奥の影が、ほんの少し濃くなる。
そしてページの余白に、また文字が生まれる。
《余白》
一拍の沈黙。
《この本、読んだことある?》
余白は短く答える。
「はじめて」
余白の言葉が、静かな書架に落ちた。
ページの上に現れていた文字が、ゆっくり沈む。
まるで紙の奥へ吸い込まれるように、インクの黒が一瞬だけ薄くなった。
そして次の行が浮かび上がる。
《はじめて?》
その文字は、少しだけ揺れる。
疑っているようにも、確かめているようにも見える。
書架の七冊が、同時にほんのわずかに軋んだ。
木の棚が、小さく鳴る。
図書館の他の利用者は、誰も気づいていない。
本のページが、またゆっくりめくれる。
新しい文章が書かれていく。
《おかしいな》
《この本》
《はじめて読む人は、いないはずなんだけど》
UGA監査官の視線が、棚と本のあいだを行き来する。
監査官が小さく言う。
「……それ」
声を潜める。
「初めて出た反応です」
ページの下に、さらに文字が生まれる。
《だって》
少し間。
《この本は》
《読むたびに》
一文字ずつ、ゆっくり現れる。
《書き直されるから》
棚の奥で、紙の束がこすれる音がした。
七冊の本の背表紙が、同時にわずかに動く。
そして——
ページの一番下に、もう一行。
《余白》
インクが止まる。
《最初のページ、見た?》
余白は本を静かに持ち直す。
開いていたページを閉じ、
指先でゆっくりと最初のページへ戻していく。
紙が擦れる音が、図書館の静かな空気に溶ける。
表紙をめくる。
扉ページ。
そこには、さっきまで無かったはずの文章がある。
夜の裏側について
著者:——
名前は書かれていない。
その代わり、短い文章が一行だけある。
《この本は、読者が書いています。》
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もし本作を面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけますと励みになります。
ひとつひとつの反応が、次の事案へと繋がっていきます。
それでは、また次の事案で。




