第13話:先輩、後輩
※本話は第13話(2026年3月25日公開)と同じテーマを扱っていますが、内容は別のかたちで書いています。
どうぞお楽しみください。
《依頼書》
依頼者:一般企業依頼(株式会社スカイリンク)
依頼内容:動画配信サービスにおける「視聴履歴先行表示現象」の停止および原因存在との交渉
現場:未確定(事案生成後決定)
異常概要:ユーザーがまだ視聴していない動画が「視聴済み」として履歴に表示され、その後に実際にその動画を視聴する行動が誘発される現象が発生している
制約:サービス停止不可/外部公表禁止
報酬(成功報酬のみ):1800万円
⸻
スーツ姿の若い男が、タブレットを抱えたまま、わずかに前のめりになる。
足元の重心が定まらず、つま先に体重が寄っている。額にはうっすら汗が浮かび、それが拭われることなく残っていた。
「SNSでも話題になってまして……“勝手に見たことになってる動画を、後から本当に見てしまう”って」
言葉を切るよりわずかに早く、タブレットの画面が一瞬だけ切り替わる。
誰も触れていないのに、再生履歴のリストが、内側から書き換えられるように自動で更新される。
「……あ」
男の指が止まる。
スクロールはしていない。指先も画面に触れていない。
それでも、一番上の動画にチェックが付いている。
「これ、今……まだ開いてないです」
言いながら、指先が画面の上でわずかに浮いたまま止まる。触れるか触れないかの距離で、動けなくなっている。
凪が横から画面を覗き込む。視線は冷静だが、ほんのわずかに眉が寄る。
「再生時間、フルでカウントされてますね。ゼロ秒じゃない」
タブレットの再生バーは、すでに最後まで進んでいる。
だが音は鳴っていない。室内は静かなままだ。
それでも「見終わった」という事実だけが、先に置かれている。
男は戸惑ったまま続ける。言葉のリズムが少し乱れている。
「こういうのが、あとから“おすすめ”に強く出てきて……結局、皆その動画を見てしまうんです」
凪は短く息を吐く。その吐息は浅く、思考を切り替えるためのもののようだった。
「結果が先に“履歴”として固定されてる」
その言葉をなぞるように、タブレットの画面がもう一度だけ自動更新される。
未再生のはずの別の動画にも、同じ「視聴済み」マークが付く。
静かな変化だが、確実に“増えている”。
凪は低く言う。
「……しかも、増えてる」
余白が、腕を組んだまま担当の男を見る。わずかに首を傾ける。
「解決したら、業績が落ちちゃうけど、いいの?」
軽い調子に聞こえるが、視線は外していない。
答えを急かすでもなく、逃がすでもなく、ただ置くように投げられた問いだった。
男は一瞬だけ言葉を失う。
タブレットを持つ手が、ほんのわずかに強張る。指先に力が入る。
「……それは」
言いかけて止まる。
喉が動くが、言葉が続かない。飲み込んだまま、形にならない。
その間にも、タブレットの画面が更新される。
今度は「おすすめ動画」の欄が書き換わる。未再生の動画が上位に並び替えられる。
すべてに「高評価」の表示が付いている。整いすぎている並びだった。
男は小さく息を吐く。
「確かに……数字は伸びてます。視聴時間も、クリック率も」
言葉は事実だが、声には納得しきれていない揺れが残っている。
凪が横で静かに言う。
「でも、“選んでる”感じは薄いですね」
男は頷く。動きは小さいが、迷いはない。
「ユーザーの行動ログが……先に決まってるみたいで」
その瞬間、タブレットの一番上の動画が、自動で再生を開始する。
音は出ない。だが再生バーだけが、滑るように進んでいく。
男は慌てて画面をタップする。
しかし停止ボタンは反応しない。指は確かに触れているのに、何も返ってこない。
「これ、止まらない……!」
再生バーはすでに最後まで到達している。
それでも映像だけが続いている。終わっているはずなのに、終わらない。
凪は画面を見たまま、低く言う。
「“見たことになる”のが先で、“見る”は後」
その直後、画面が一瞬だけ暗転する。
光がわずかに途切れ、すぐに戻る。
再び表示されたとき、再生は停止している。
だが履歴には、しっかりと残っている。
男は小さく呟く。
「……これ、やめたら」
言葉を探すように、視線が揺れる。
どこにも定まらず、タブレットと床の間を行き来する。
「ユーザー、離れますかね」
余白が首を傾げる。
「このまま行くと、順調にヘイトも溜まるね」
男はその言葉に、はっきりと肩を落とす。
視線がタブレットから外れ、床に落ちる。
「……すでに、レビュー荒れてます」
画面を少しだけ傾ける。
低評価コメントの一覧が表示される。
「“勝手に履歴が増える”“気味が悪い”“操作されてる感じがする”って」
凪が静かに言う。
「“便利”より先に“不信感”が来てる」
男は頷く。
「短期的には伸びるんです。でも……ユーザーが自分で選んでないって気づくと、離脱が一気に増えて」
タブレットの通知が一つ鳴る。
乾いた音が、短く空気を切る。
《おすすめが気持ち悪い》
凪は画面を見たまま、少しだけ眉を寄せる。
「……“見たことにされる”こと自体が嫌なんですね」
男は小さく息を吐く。
「はい。ログって、ユーザーにとっては“自分の行動の記録”なんで」
画面の履歴欄が一瞬だけ揺れる。
いくつかの動画が、表示と非表示を繰り返す。存在が安定しない。
「それが勝手に変わると、“自分じゃない何かが操作してる”感じになる」
凪は低く言う。
「……記録の信頼が崩れると、行動そのものも信用されなくなる」
男は頷く。
「数字は出てるのに、サービスの信用は落ちてる状態です」
タブレットの画面が、今度は何も起きずに静止する。
履歴はすべて「視聴済み」のまま残っている。
静かだが、不自然な安定だった。
余白は、素朴な疑問を口にする。
「幽玄は、何がしたかったのかな」
凪はタブレットの履歴を見たまま、しばらく動かない。
スクロールもせず、ただ同じ画面を見続けている。
沈黙の中で、わずかに指先が浮く。
「……“見られたことにする”だけじゃ、足りてないですね」
指先が画面に触れる直前で止まる。
「実際に、そのあと“見させてる”」
タブレットのおすすめ欄が、また一瞬だけ並び替わる。
さっき履歴に入った動画が、最上位に固定される。
男が小さく言う。
「誘導……されてる」
凪は首を横に振る。
「誘導だと、“見るかどうか”は残ります」
履歴欄を軽く指でなぞる。
触れているのに、どこか手応えが薄い。
「これは、“見たことにされる”が先にある」
画面の一部がわずかに滲む。
再生済みマークが、ほんの一瞬だけ濃くなる。
「……だから、“見ない”選択が不自然になる」
男が黙る。
視線が画面から離れない。
凪は静かに続ける。
「先に記録を置くことで、“それに沿う行動”を後から発生させてる」
タブレットの通知が鳴る。
おすすめ動画のプッシュ通知が表示される。
《あなたはこの動画を気に入る可能性があります》
《※あなたはすでに視聴しています》
凪はそれを見て、わずかに息を吐く。
「……たぶん、“当てたい”んです」
男が顔を上げる。
さっきまで落ちていた視線が、ようやく画面から外れる。
「当てる?」
問い返す声には、理解と違和感が半分ずつ混じっている。
凪は小さく頷く。視線は画面のまま動かない。
「外れない予測を作るために、“結果の方を合わせてる”」
履歴欄が静かに固定される。
さっきまで揺れていた表示が、今度はまったく動かない。
確定したもののように、微動だにしない。
「“おすすめが当たる”じゃなくて、“当たったことにする”」
余白は、わずかに視線を落としてから、画面の奥に向けて言う。
「いいのかな? 相手の選択を奪っても」
男はその言葉にすぐ反応できない。
タブレットを握る手だけが、わずかに強くなる。
視線は履歴欄に固定されたまま動かない。
「……奪ってる、のか」
小さく呟く。言葉にした瞬間、少しだけ重みが増したように見えた。
画面が一瞬だけ更新される。
新しいおすすめ通知が重なる。
《次に視聴する動画を決定しました》
男の喉が動く。
「決定……」
その一語が、わずかに引っかかる。
凪が低く言う。
「“選ばせてる”形じゃないですね」
履歴の上部に、まだ存在していなかった動画が追加される。
タイトルだけが先に表示され、再生時間はすでに最大になっている。
男は息を吐く。ゆっくりと、少し長めに。
「これ、便利って言い切れないですね……」
凪は少しだけ視線を落とす。
画面の端をなぞるように、指先がわずかに動く。
「当たることと、選ぶことは別です」
タブレットの画面が、今度は静止する。
何も更新されない。その代わり、右上に小さく表示が出る。
《選択履歴:確定》
凪はそれを見て、短く言う。
「……確定させてる」
男は画面を見たまま、低く続ける。
「ユーザーが選んだ、ってことに」
履歴欄のチェックマークが、一つだけ強く光る。
すぐに元に戻るが、その一瞬の強調だけが残る。
凪は静かに言う。
「先輩」
余白は幽玄を諭すように、少しだけ声の調子を落とす。
「相手に自分のルールを押し付ける。これは良くないことだよ」
凪はその言葉を受けて、すぐには返さない。
視線はタブレットのまま、指先がわずかに離れる。
「……はい」
短く頷く。その動きは小さいが、迷いはない。
タブレットの画面が静かに更新される。
《おすすめ:最適化》
《選択:代替》
凪はそれを見て、ゆっくりと言う。
「“選ばせる”んじゃなくて、“代わりに決める”」
男は息を詰める。
「それ、ユーザーのためって言えるのか……」
履歴欄が一瞬だけ揺れる。
チェックマークが薄くなり、また戻る。
凪は画面を見たまま続ける。
「ルールを押し付けると、“違う選び方”が消えます」
タブレットのおすすめ欄から、一つだけ動画が消える。
さっきまで候補にあったものが、痕跡なく消失する。
そこに空白は残らない。ただ、最初からなかったように詰められる。
「……選択肢ごと減る」
男は小さく呟く。
「それ、気づかれにくいですね」
凪はわずかに頷く。
「だから最初は便利に見える」
画面の右上に、小さく表示が出る。
《満足度:推定済》
凪の声が少しだけ低くなる。
「でも、“自分で選んだ”って感覚がなくなると」
タブレットの操作が一瞬だけ効かなくなる。
スワイプしても動かない。
ほんの一拍遅れてから、ようやく反応する。
「……離れます」
男は黙る。
視線が動かない。
凪は静かに言う。
「押し付けたルールは、長くは残らない」
余白は言葉を続ける。
「だから、幽幻が決めちゃだめなんだ。選択の余地を相手に渡して」
凪はその言葉を受けて、ゆっくりと息を吐く。
タブレットの画面を見たまま、指先がわずかに下がる。
「……はい」
短く頷く。
「決めるんじゃなくて、残す」
タブレットの表示が一瞬だけ揺れる。
さっきまで固定されていた履歴の一部が、わずかに薄くなる。
《選択履歴:未確定》
男が目を見開く。
「……え」
履歴の中の一つの動画が、「視聴済み」から「未視聴」に戻る。
再生バーが消える。
凪は画面を見たまま言う。
「“そうだったこと”を固定しない」
おすすめ欄が、ゆっくりと変化する。
上位にあった動画が少しだけ下がり、別の動画が間に入る。
強制的な並びではなく、揺らぎのある配置に変わっていく。
「余地がある状態に戻す」
タブレットの通知が鳴る。
《この動画を視聴しますか?》
さっきまでの“決定”ではなく、“確認”の文面。
選択が、戻ってきている。
男は画面を見たまま、小さく呟く。
「……選べる」
凪はわずかに頷く。
「はい。結果じゃなくて、“可能性”に戻る」
履歴欄は完全には消えない。
だがいくつかの項目が半透明になり、確定していない状態で残る。
「残すけど、決めない」
タブレットの右上の表示が変わる。
《満足度:未測定》
室内は静かだ。
画面の更新も落ち着いている。
さっきまでの強制的な動きはない。
凪は低く言う。
「……これなら、押し付けにならない」
余白は、少しだけ間を置いてから尋ねる。
「うん、いいラインだね。で、君はこれからどうするの?」
タブレットの画面が、操作されていないのにゆっくりと暗くなる。
完全には消えず、薄く表示だけが残る。
履歴欄の半透明の項目が、わずかに揺れる。
『……きめない』
声は画面の奥から滲むように出る。
位置を持たない、広がるような響き。
『のこす』
おすすめ欄が静かに並び替わる。
だがどれも強く主張しない。順番が固定されず、ゆっくりと入れ替わる。
『あとは、まかせる』
履歴のチェックマークが、いくつか消える。
残っているものも、濃さが揃っていない。
男が小さく息を吐く。
「……強制じゃない」
画面の右上に、新しい表示が出る。
《選択:保留中》
凪はそれを見たまま、静かに言う。
「“当てる”のをやめた」
『……あてなくていい』
声が少しだけ安定する。
『ちがっても、いい』
おすすめ欄に、傾向の違う動画が混ざる。
統一されていないが、不自然でもない。
男は画面を見つめたまま言う。
「……外れてもいい、ってことか」
『……えらぶのは、そっち』
画面が一度だけ明るくなり、すぐ通常の輝度に戻る。
履歴もおすすめも、固定されずに落ち着いている。
凪は小さく頷く。
「……余地、残ってます」
余白はさらに踏み込む。
「せっかく存在してるんだから、何かお仕事してみる?」
タブレットの画面が、ほんの一瞬だけ明るくなる。
おすすめ欄の並びが、ゆっくりと動く。今度は強制がない。
『……しごと』
声が少しだけ近くなる。輪郭がはっきりする。
『えらばせる、のを……たすける』
履歴欄の一部に、小さな変化が出る。
動画タイトルの横に、薄く補足が表示される。
《関連:高》
《傾向:似ている》
だが「視聴済み」は付かない。
凪が画面を見て、低く言う。
「決めないまま、情報だけ出す」
おすすめ欄の動画の下に、短い理由が表示される。
《最近見た内容と近い》
《多くのユーザーが続けて視聴》
男が目を瞬かせる。
「……説明が付いた」
『……てがかり』
声は安定している。押し付ける強さはない。
『きめるのは、そっち』
おすすめ欄は流動的なまま。
だが完全なランダムではなく、緩やかな傾向がある。
凪は小さく頷く。
「“当てる”じゃなくて、“選びやすくする”」
タブレットの右上に表示が出る。
《支援:有効》
男はゆっくり息を吐く。
「……これなら、サービスとして成立する」
『……それでいい』
画面は安定している。履歴も、もう勝手に増えない。
余白は担当に尋ねる。
「スカイリンクさん的には助かると思うけど、どうかな?」
男はタブレットを見たまま、しばらく動かない。
指で画面を軽くなぞり、スクロールしてみる。
今度は操作がそのまま反映される。
履歴は増えない。おすすめも緩やかに変わるだけだ。
「……操作、ちゃんと効いてます」
小さく息を吐く。
「履歴も勝手に増えない。おすすめも……押し付けてこない」
補足情報を確認する。
「理由が見えるの、いいですね。納得感がある」
凪が横で静かに言う。
「“選んでる感覚”が戻ってます」
男は頷く。
「これなら、ユーザー離れは止まると思います」
通知が表示される。
《フィードバック:良好》
男はそれを見て、少しだけ表情を緩める。
「……短期の数字は少し落ちるかもしれません。でも」
画面を軽く持ち上げる。
「長く使ってもらえる形にはなる」
凪は小さく頷く。
「信用が戻る方が、大きいですね」
男ははっきりと頷く。
「はい。これは……助かります」
画面は安定したまま、静かに動いている。
余白は小さく笑う。
「良かったね。役に立ってるって」
タブレットの画面が、わずかに明るくなる。
操作はされていないが、表示が少しだけ安定する。
『……やくに、たってる』
声は前よりもはっきりしている。揺れが少ない。
『きめなくても、いい』
履歴はそのまま保たれている。
凪は画面を見たまま、小さく言う。
「存在の仕方、変わりましたね」
男が頷く。
「押し付けてたときより、ちゃんと“サービス”してる感じがします」
《支援:安定》
『……それで、いい』
《選択はユーザーに委ねられています》
凪はそれを見て、わずかに息を吐く。
「……線、越えてないです」
余白は凪に尋ねる。
「こんなんで、参考になった?」
凪はタブレットから視線を外し、ゆっくりと頷く。
「……はい」
少し間を置く。
「“直す”んじゃなくて、“位置を戻す”んですね」
指先が空をなぞる。
「どっちもそのままにして、ズレてる部分だけ触る」
顔を上げる。
「……だから、結果じゃなくて“余地”が残る」
余白は肩をすくめる。
「仕事、減らないな」
凪は小さく笑う。
「……それ、普通に振られてますよね」
少しだけ息を整える。
「でも、今日ので少し分かりました」
「全部を敵にしなくて済む」
男が頷く。
「共存、ってやつですね」
凪は小さく息を吐く。
「はい。ただ……」
ほんの少しだけ口元が緩む。
「楽はさせませんよ、先輩」
《支援:継続中》
凪はそれを見て言う。
「こういうの、ちゃんと見て覚えますから」
余白は軽く言う。
「何か食べて帰ろうか。先行投資だ、先輩が奢るよ」
凪は一瞬だけ目を丸くして、すぐに逸らす。
口元を押さえ、小さく笑いをこらえる。
「“先行投資”なら断れないですね」
タブレットの画面は静かに動き続けている。
もう異常はない。
凪は軽く首を傾ける。
「今日はちゃんと選びますよ。“おすすめ”じゃなくて」
ほんの少しだけ間を置く。
「自分で」
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《通知書》
事案名称:視聴履歴先行表示事案
依頼者:一般企業依頼(株式会社スカイリンク)
担当交渉人:余白
同行者:凪
結果:履歴先行現象停止/推薦機能の選択支援化
状態:安定
報酬:1980万円
内訳:
・成功報酬:1800万円
・追加報酬:180万円
・合計:1980万円
UGA評価:S
備考:履歴確定処理停止/選択余地復元/支援表示継続確認
ここまでお読み頂き、誠に有り難うございます。
もし、本作を“面白い”と感じて頂けましたら、
ブックマークやご評価(★)を戴けると、大変励みになります。
拙いながらもコツコツ投稿しておりますので、
「また読みたい」と思って頂ければ幸いに存じます。




