第5話:影と番犬(前編)
この世界は、おそらく並行世界。
どこかで、我々と分岐した世界。
超常との距離が、わずかに近い世界。
この超常を総称して「幽玄」という。
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《依頼書》
依頼者
玄策社
依頼内容
都市圏で発生している連続「影消失」事案の調査および鎮静。
必要に応じて幽玄交渉。
現場
地方中核都市 旧港湾再開発地区。
異常概要
住民および作業員の「影」が消失する事例が複数確認されている。
影を失った人物は数時間〜数日後に強い方向感覚喪失、記憶断裂、自己認識の希薄化を起こす。
現在までに失踪者7名。
監視カメラ映像では対象者の影が一瞬遅れて動く、または映像からのみ消失する現象を確認。
制約
地区一帯は再開発工事中のため一般人の出入りがある。
UGAによる大規模封鎖は不可。
騒動拡大前の解決が望ましい。
成功報酬
4,500万円
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依頼書の紙を閉じる音が小さく部屋に響いた。
ここは古い倉庫を改装した玄策社の臨時拠点だった。
外では港のクレーンがゆっくりと動き、鉄の軋む音が遠くに続いている。
机の向かいに座る男が腕を組み、しばらく沈黙したあと口を開いた。
御堂鉄馬は低く乾いた声で言う。
「影が消えた人間はな、最初は気づかない」
彼は指先で机を軽く叩いた。
「だが数時間すると、自分がどこに立ってるのか分からなくなる」
御堂はゆっくりと言葉を続ける。
「地図じゃない。もっと根本だ」
「“自分が世界のどこにいるか”が抜け落ちる」
彼は一度、窓の外の港を見た。
クレーンの影が長く地面に伸びている。
それから視線を戻す。
「現場の連中が言ってた」
「影が消える直前――」
短い間。
「地面の影が一瞬だけ別の方向を向くらしい」
わずかな沈黙が落ちる。
御堂は椅子の背にもたれ、腕を組み直した。
「……俺は今回、あんたの補佐だ。先生」
低い声で続ける。
「玄策社のやり方だとこれ以上増える前に“潰す”」
「だが今回はあんたを呼んだ」
彼は小さく鼻で笑う。
「交渉案件の匂いがするからな」
机の上には現場写真が数枚並んでいる。
昼の工事現場。
夜の港湾道路。
そして――
街灯の下に立つ作業員。
足元に影がない。
窓の外では夕方の光が倉庫の床へ長い影を落としている。
だが、その影の一本がほんのわずかだけ――
灯りの向きと合っていない。
余白が写真を見ながら言った。
「今回は玄策社の大幹部がお出ましかい?」
倉庫の中には港から吹き込む潮風が入り、鉄の匂いがわずかに漂っている。
机の上の写真が風でかすかに揺れた。
御堂鉄馬はその言葉を聞くと鼻で小さく笑う。
「大幹部、ね」
彼は肩をすくめた。
「うちの連中が聞いたら笑うぞ。俺はただの現場係だ」
椅子を少し引き、足を組み替える。
靴底が床を軽く鳴らした。
「ただまあ……」
御堂は軽く顎を上げる。
「玄策社で実働を仕切ってるのは俺だ」
「そういう意味じゃ間違ってないかもしれん」
御堂は机の写真を一枚、指で押し出した。
夜の港湾道路。
街灯の下に立つ作業員。
影のない男。
御堂が言う。
「この地区、もう七人消えてる」
「影を取られた奴はだいたい三日以内に行方不明だ」
彼は少し視線を上げた。
「普通の幽玄ならここまで人を引きずらない」
御堂は机を指先で軽く叩いた。
「だから俺らは最初、捕食型を疑った」
一拍。
「だが違う」
御堂はゆっくり息を吐く。
「影を消したあと、すぐに持っていかない」
彼は窓の外を見た。
夕方の光で倉庫の影が長く伸びている。
だが、その影の一部が――
さっきよりほんの少しだけ建物と違う角度へ伸びている。
御堂が低く呟いた。
「……“影を探してる”みたいなんだ」
遠くでクレーンの警告音が鳴った。
御堂は視線を戻す。
「先生」
短い間。
「この仕事、受けるか?」
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それでは、また次の事案で。




