第7話 魔王軍残党との邂逅
宴の夜から二日後。
辺境の村には一見、穏やかな空気が戻っていた。
だが俺の心は落ち着かない。
――魔王軍の残党。
村長が口にしたその言葉が、頭の片隅にずっとこびりついている。
勇者パーティにいた頃、何度も耳にした名だ。
勇者が「俺が討ち果たした」と豪語していたが……その時も心のどこかで疑っていた。
あの傲慢な勇者が、果たして全てを滅ぼし切ったのか。
そして、竜を襲った影。あれが偶然の魔物にしては、あまりに組織的だった。
「……カイル、また顔が険しい」
朝の畑で鍬を振っていた俺に、アリシアが声をかける。
「考え事だ」
「村長の言葉、気にしているんだろう?」
「まあな」
「なら剣を研いでおけ。敵は待ってはくれない」
彼女はそう言って、汗を拭う。
傷はだいぶ癒えたが、剣を振る姿は以前よりも鋭さを増しているように見えた。
――やはり騎士だ。どんな逆境でも前を向く。
その横で、聖女ミリアが祈りを捧げている。
彼女の祈りは、村人たちの心を落ち着けるだけでなく、魔物避けの効果もあるらしい。
村人は「神の使いが来た」と言って彼女を慕っていた。
そしてガイウス。
竜と共に村の外れに陣取り、黙々と鍛錬を続けている。
かつて竜を失い絶望した男が、今は新たな忠誠を誓って槍を振るう姿。
その光景は村人にとって心強い盾に見えているだろう。
……そんな仲間たちに囲まれて、俺だけが不安を募らせていた。
*
その日の夕暮れ。
不穏な影が森から現れた。
最初に見えたのは、人影。
だが近づくにつれ、その異様さが浮かび上がる。
角を持ち、爪を持ち、背には黒い紋様が刻まれている。
「魔族……!」
アリシアが剣を抜き、ミリアが祈りの言葉を紡ぐ。
ガイウスは槍を構え、黒竜が低く咆哮した。
魔族は十体。
だが、ただの雑兵ではない。全員が整った鎧をまとい、統率されている。
「ほう……辺境にこんな連中がいたとはな」
先頭の魔族が口を開いた。
背が高く、片目に傷を持つその男は、鋭い眼差しで俺たちを睨む。
「俺はリゼル。かつて魔王軍の四天王の一角だ」
村人たちが悲鳴を上げる。
四天王――勇者一行でも苦戦した相手。
そんな存在が、なぜこんな辺境に……?
「なぜここに来た」
俺は杖を構えながら問う。
リゼルは笑った。
「決まっている。新たな主を探しているのだ」
「……主?」
「魔王が斃れた後、俺たち残党は行き場を失った。だが噂を聞いた。勇者に追放された補助術師が、竜を従えたとな」
一瞬、空気が凍りつく。
俺の背後でアリシアが息を呑む音が聞こえた。
ミリアの祈りが止まり、ガイウスが槍を強く握りしめる。
「――なぜそれを」
「情報は流れるものだ。お前がただの“補助”ではないことは、既に知れ渡っている」
リゼルは口の端を吊り上げた。
「俺たちに従え。そうすれば世界を再び揺るがす力を得られる」
「ふざけるな!」
アリシアが剣を突きつけた。
「こいつはそんな奴じゃない!」
「へぇ、随分と庇うな。……なら力ずくで確かめてやる」
リゼルが手を振ると、部下の魔族が一斉に動いた。
村人たちが悲鳴を上げ、子どもが泣き叫ぶ。
俺は杖を掲げ、叫んだ。
「全員、下がれ! 〈展開:陣〉!」
地面に淡い光が走り、村を囲うように防御の陣が広がる。
魔族の攻撃が陣に弾かれ、火花が散った。
「なに……!?」
リゼルが目を細める。
「ただの補助ではない、か」
「俺は……ただの補助術師だ!」
叫びながら、次々と式を展開する。
〈支援:脚〉――仲間の速度を底上げ。
〈支援:腕〉――攻撃力を増幅。
〈支援:視〉――周囲の状況を把握。
アリシアが光速のように踏み込み、剣で魔族を斬り伏せる。
ガイウスが槍を振るい、黒竜の咆哮と共に敵を吹き飛ばす。
ミリアの祈りが仲間の傷を癒し、恐怖を払う。
俺は後方で補助を繋ぎ続ける。
誰も倒れさせない。
――それが、俺の役目だ。
だが、リゼルは余裕の笑みを崩さなかった。
「なるほど、面白い。お前の力は確かに“主”の器だ」
彼が指を鳴らすと、背後の森からさらに魔族が現れた。
数は二十、三十……際限なく。
「くそっ……!」
アリシアが歯を食いしばる。
ガイウスも槍を振りながら叫んだ。
「カイル、このままでは防ぎきれん!」
村人たちが怯え、泣き叫ぶ。
俺は唇を噛んだ。
――ここで負けたら、全てが終わる。
勇者に追放された俺の存在も、仲間の誓いも、村の未来も。
「……やるしかないか」
杖を地面に突き、深く息を吸う。
補助術は、本来支えるだけの力だ。
だが――支える対象が十分に強ければ、それは最強の矛となる。
「全員、俺に合わせろ!」
仲間たちが振り返る。
俺は次々に式を重ねていく。
〈支援:心〉――動揺を消し、集中力を高める。
〈支援:連〉――仲間同士の動きを同期させる。
〈支援:極〉――力を一時的に引き上げる。
光の糸が仲間を結び、まるで一つの巨大な存在のように動き始めた。
アリシアの剣とガイウスの槍、黒竜の咆哮、ミリアの祈り――全てが合わさり、圧倒的な力となる。
「いけぇぇぇっ!」
俺の叫びと同時に、仲間たちが突撃した。
魔族の群れが一瞬で吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「馬鹿な……!」
リゼルが驚愕の声を上げる。
「ただの補助で、ここまで……!?」
「そうだ。俺は“ただの補助”だ」
杖を構え、睨みつける。
「だが、俺を追放した勇者たちより――俺は、仲間を信じている」
その瞬間、仲間たちの攻撃がリゼルに集中した。
剣、槍、竜の咆哮、聖なる光。
リゼルは防御を展開するが、光と影が交錯し、その姿は爆煙に包まれた。
沈黙。
煙が晴れたとき、そこにリゼルの姿はなかった。
「……逃げたか」
ガイウスが槍を下ろす。
「四天王が相手でこれとはな。次は本気で来るぞ」
「……ああ」
俺は杖を握りしめた。
勝ったわけじゃない。
これは始まりにすぎない。
村人たちが歓声を上げ、俺たちを称える。
だが俺の胸には、不穏な影が残っていた。
――勇者に追放された俺が、今度は魔王軍の標的になるのか。
夜空を見上げる。満月は雲に隠れ、わずかな光だけが地面を照らしていた。
この先、どんな戦いが待っているのか。
俺にはわからない。
けれど――もう、引き返すことはできない。
補助術師カイルの物語は、ここから本格的に始まるのだ。