第6話 黒竜の誓いと英雄の村
満月の光に照らされ、黒竜は夜空から舞い降りた。
その巨体が地面を震わせ、村人たちは遠巻きに息を呑んだ。
鋭い眼が俺を射抜く。まるで「主を見極める」とでも言いたげに。
「おい……ガイウス、どういう意味だよ」
俺は慌てて問い詰めた。
だが、血にまみれた竜騎士は、かすかに笑うだけだった。
「俺は……もう竜を導けない。竜が求めているのは……お前だ」
「いやいやいや、俺は補助術師だぞ!? 前線で戦う力なんか……」
言いかけた言葉が、喉で途切れた。
黒竜の眼が、炎のように輝いていたからだ。
獲物を見る眼ではない。従うべき主を見つけた者の、静かな眼差しだった。
ゴオオォォン――。
低い咆哮が夜空を震わせた。
村人たちが耳を塞ぎ、子どもが泣き出す。その中で、黒竜は巨体を伏せ、俺の前に頭を垂れた。
「……まさか」
アリシアが剣を構えたまま、呆然とつぶやく。
ミリアは両手を胸に当て、祈りを捧げるように目を閉じていた。
俺は乾いた唇を噛みしめた。
こんなはずじゃなかった。ただ畑を耕し、静かに暮らすはずだったのに。
けれど、黒竜の額に額を近づけた瞬間――胸の奥に、熱い光が流れ込んだ。
――ドクン。
心臓の鼓動と、竜の鼓動が重なる。
補助魔法の式が自然に組み上がり、俺の体と竜の体が薄い光の糸で結ばれていく。
「〈結合:魂契約〉……!」
言葉は自然に漏れた。
竜の鱗が一瞬だけ輝き、俺の杖が共鳴するように震えた。
そして――。
黒竜は俺の前に膝を折り、その巨大な頭を低く垂れた。
「……主よ」
確かに、耳の奥でそう聞こえた。
竜の声。人の言葉ではない。けれど、心に直接届くような重みがあった。
「……冗談だろ。俺が竜の主なんて……」
しかし否定の言葉を続けられなかった。
周囲を見れば、村人たちが呆然としながらも、やがて拍手と歓声を上げ始めていたからだ。
「すごい……竜を従えた!」
「村が救われる!」
「補助術師様だ!」
俺は頭を抱えた。
追放されたはずの補助術師が、今や英雄扱い。……こんな茶番があるか。
だが、その喧騒を見渡しながら、ガイウスが静かに口を開いた。
「見ただろう……竜は、お前を選んだ。俺はその証人だ」
「待て、ガイウス。お前は竜騎士だろ。竜がいなきゃ騎士じゃないとか言ってたが――」
「だからこそ、俺は竜と共に、お前に仕える。竜の意志を無視することは、騎士の誇りを捨てるに等しい」
その言葉は、迷いなく響いた。
彼の青い瞳は、誇りを失ってなお揺るぎない炎を宿していた。
「……俺なんかに仕えて、何になる」
「俺は誓った。竜と共にお前を守ると」
「勝手に誓うな……」
否定しようとしても、胸の奥が熱くなる。
俺がずっと欲しかった言葉――「必要とされる」という感覚。
勇者一行では一度ももらえなかったその言葉が、いま目の前で告げられている。
アリシアが肩をすくめ、口の端で笑った。
「また仲間が増えたな。どうやら、私の目に狂いはなかった」
ミリアも頷く。
「神の導きです。貴方には人を集める力がある」
「いや、俺は……」
否定の言葉を探したが、見つからなかった。
村人たちの視線、仲間の笑顔、竜の瞳。
その全てが、俺を追い詰める。
――こうして俺は、黒竜と竜騎士を仲間に迎えた。
*
数日後。
村では小さな宴が開かれた。
焼いた獣肉と果実酒。歌と踊り。村人たちは口々に俺たちを讃えた。
「竜を従えるなんて、伝説の英雄だ!」
「辺境の守護者だ!」
「補助魔法の兄ちゃん、最高!」
俺は頭を抱えた。
英雄? 守護者? 冗談じゃない。俺はただの追放者だ。
「……俺は、静かに暮らしたいだけなのに」
ぼやいたつもりが、横のアリシアに聞こえたらしい。
「静かに暮らしたいなら、なぜ村を救った」
「目の前で人が死にそうだったら、助けるだろ」
「それが英雄の在り方だ」
「違う! ただの性分だ!」
必死に否定しても、彼女は笑みを浮かべたままだった。
やがて宴の喧騒の中、村の長が近づいてきた。
「カイル殿。この村は、あなたと仲間のおかげで救われました。ですが、魔物の襲撃はこれで終わりではありません」
「……どういうことですか?」
「近くの森に、不穏な影が潜んでいると噂があるのです。魔王軍の残党とか……」
その言葉に空気が張り詰める。
ガイウスが真顔になり、竜を見やった。
「魔王軍……。竜を襲ったのも奴らかもしれん」
俺は喉を鳴らした。
追放され、のんびり暮らすはずが――気づけば戦の火種に巻き込まれている。
「……勘弁してくれよ」
頭を抱えながらも、胸の奥では奇妙な高鳴りがあった。
これはもう、ただの補助術師の暮らしじゃない。
新しい物語が、確実に動き出している。