第2話 煙の先に
谷を駆け下りる。足は支援魔法で軽く、呼吸は乱れない。だが心臓だけが、どんどん速く脈を打っていた。
煙は風に煽られて形を変え、黒い竜の尾のように空へ伸びていた。
ハウラ村――俺が静かに暮らそうと決めた場所。そこから上がる煙に、ただ事でないものを感じる。
「魔物か、盗賊か……」
隣を走るアリシアが低く言う。彼女の額にはまだ汗がにじみ、肩口の包帯から血が滲んでいた。
「無理するな」
「言われずとも」
村に近づくと、叫び声と獣の吠え声が耳に飛び込んできた。
柵を越えた魔物――二足の亜人に似た影が村を荒らしている。小屋は燃え、子どもが泣き叫ぶ。
「くそっ」
俺は杖を握り直し、式を展開する。
〈支援:視〉
視界が広がり、襲撃の全容が見える。魔物は十体以上。村人は必死に棒や鍬で応戦しているが、限界は近い。
「私が前に出る」
アリシアが剣を抜いた。血に濡れてもなお鋭い眼差し。その背中は、たとえ傷ついていても騎士のそれだった。
「……なら、俺は舞台袖で糸を引く」
俺は深く息を吸い、仲間でもない村人たちへ向けて次々と補助を放つ。
〈支援:脚〉〈支援:腕〉〈支援:心〉
農具を構えた老人の動きが軽くなる。少年の振るう棒に、目に見えぬ加速が乗る。恐怖で硬直していた女の子の心が、少しだけ安らぐ。
「う、動ける……!」
「すごい、腕が軽い!」
村人たちの声に魔物が怯む。そこへアリシアが踏み込み、斬撃の閃光が走る。
彼女の剣筋に俺の補助が重なり、傷を負ったはずの体が舞うように動く。
「一匹、二匹……!」
アリシアの声が鋭く響く。村人たちも次々に応戦し、数的不利を覆していった。
最後の一体が倒れると、村に重い沈黙が降りた。
燃える家屋のきしむ音と、誰かの嗚咽だけが耳に残る。
やがて、村長らしき老人が俺たちの前に立った。
「命を救っていただき、感謝いたします……! あなた方は……?」
俺は答えに詰まった。俺はただ追放された補助術師で、静かに畑を耕したかっただけだ。
けれど、アリシアが俺を見やり、ためらわず口にした。
「彼はカイル。私が命を預けるに足る者だ」
その言葉に村人たちの視線が集まる。驚き、感謝、希望。
俺は心の奥で小さく嘆息した。――静かな暮らしは、どうやら遠ざかっていくらしい。
それでも、誰かを救えた実感が、胸の穴に少しずつ温もりを流し込んでいた。