2.静橋香
「た、高橋さん? どうしてここに?」
静橋さんではないとわかった俺はすぐに言い直す。
しかし、彼女は俯き何も喋ろうとはしない。
その仕草からどうやら俺を助けに来た、という訳ではないらしい。
黒髪黒縁メガネ、加えて毎日結ぶのが大変なのでは? と尋ねたくなる三つ編みおさげ。
絵に書いたような陰キャ女子である。
俺は彼女の下の名前を知らないし、クラスのやつも高橋さんのことを下で呼んでいる姿だけではなく、誰かと高橋さんが話している姿を見たことがない。
別にいじめられているとかそういうことではなく、みんな空気を読んで話しかけないようにしているのだ。
そんな訳で彼女の声を初めて聞いた俺は静橋さんと間違えそうになったというわけだ。
目隠しは自然に全て解け、視界が良好になる。
ピンクで統一された部屋、所謂、女の子の部屋だ。
ずっと感じていた甘い匂いも香水か何かなのだろう。
──ふと、釘付けになる物を見つけた。
「うぇ!? ロイ子ちゃんだ! えっ、しかもこれ限定十体しか生産されなかったやつじゃん!? どうしてここに!? もしかして、高橋さんが、あいたっ──!?」
喋れるようになったがまだ拘束は解けていないのを忘れていて俺は立ち上がろうとするが失敗し、無様にも椅子ごとコテンと転げて崩れる。
興奮のあまり自分の置かれている状況をすっかり忘れてしまっていたぜ。
高橋さんは転んで痛そうにしている俺を気遣う、なんてことはなく見下すように俺を見ている。
「こんな状態になってもまだそんな元気があるのですね」
彼女の言葉が冷たく、突き刺さる。
まるで氷の刃で貫かれたような気分だ。
だが何だか嫌な気分はしない、それどころか嬉しく思えてしまう……この気持ちは何だ?
高橋さんが助けに来てくれたわけでもなく、俺の口に貼り付けてあったガムテープを剥がしてくれただけ。
謎だ……謎すぎる。加えて違和感を感じる。
もう少し、あと少しでなにか掴めそうだ。
「えーと、高橋さん? 助けに来てくれたんだ、よね……?」
首を傾げ俺は白々しく尋ねる。
「助けに来てくれた? 随分と白々しいものですね。今年になってから毎日毎日私の跡を付けていたのは知っているんですよ」
俺の考えは見透かされたかのようで冷たく言い放たれたが後半は全くもって身に覚えがない。
だが、毎日跡を付けてた? 何かの冗談だろうか。
俺は尋ね返すより先に首を傾けて考えていると、彼女は近寄りゴミを見るようなに見下して話し続ける。
「あなたは私が静橋香だと知っていてストーカーしていたんですよね? 朝も私より少し先を歩いて登校していたり、お手洗いから出る私を待ち伏せしていたり、挙句には私の大好物だと知っているにも関わらず購買のシュークリームを買っていたり……そのせいで私はいつも買えなくて……今年に入ってから学園で一度も食べたことがないんですよっ!?」
彼女は言葉を紡いでいく度、今まで相当辛かったのか涙ぐみながら俺に訴えかけてくる。
同時に俺は驚いた、驚かないわけがないだろう。
「ええっ!? 高橋さんが静橋さん!? ……さっきのあの見下されてるのに興奮しそうになった感覚はそのせいか!!! 静橋さん、いつもありがとうございます! 俺は静橋さんが居てくれて沢山救われました。ロイ子ちゃんは一生俺の嫁です!」
全ての点と点が線に変わった。
高橋さんが俺の大好きな推しである静橋香だと分かると俺は興奮しオタク特有の早口でまくし立てるよう頬を床に擦り縛り付けられた椅子をガタガタしながら話すという惨めな格好。
内心、めちゃくちゃ動揺している。
動揺しないわけがない。多い……多すぎる。情報量が多すぎる!?
推し声優が同い年だったことにも驚きだがクラスメイトでしかも俺をストーカーだと勘違いしていたなんて。
でも何より推しがこんな近くにいるだなんて嬉しすぎる。
「まだそんなに元気があるだなんて。……やはり粛清が必要なようですね。マネージャー、例のブツを」
高橋さんが部屋の外に声をかけると細身で背が高くスタイルのいい茶髪でポニテの女性が何かを持って現れる。
鉄で出来たようなゴツイブーメランパンツのようだった。いや、あれはパンツという生易しいものではない、所謂、貞操帯というやつだ。
装着されてしまえば最後、鍵がなければ一生開けることができないだろう。
「ま、待って待って! 誤解だから! 俺は高橋さんが静橋さんだと知らなかったし、登校してる時に高橋さんを見かけたこともないし、トイレも待ち伏せとかしたことないし、購買のシュークリームも静橋さんがシュークリーム好きだってよく呟いてたから食べたくなって買ってただけだから!!!」
未だに倒れ椅子に拘束されている俺は高橋さんに向かって必死に叫ぶ。
実に無様だ。
だが違和感の正体は分かった。
高橋さんは俺の推しである静橋香なのだ。
どうして今まで気付かなかったのか自分を殴りたくなる。
「今更命乞いなんて見るに絶えませんね。これはあなたのアカウントだと言うこともバレバレだと言うのに」
高橋さんは自身のスマホの画面を俺に見せる。
そこに映っていたのは俺のSNSのアカウント……ではなく赤の他人のアカウントだった。
そのアカウントに見覚えがあった。
度々目にしていて問題視していたくらいだったからだ。
クリスマスツリーにドクロのアイコン。
彼は、クリスマスデスデビルは静橋香のファンであることには間違いないが、所謂、同担拒否というやつで静橋さんを可愛いと褒めるファンにいちいち喧嘩腰なリプを送っているのだ。
そのせいで推しを降りた人も何人か見かけた。
「えーと、高橋さん。それ俺のアカウントじゃないよ。俺のスマホで確認してみて、そこに落ちてるからさ」
俺の言葉が信じれないからか彼女は言われる通りに俺のスマホを確認した。
すると慌て始め大きな声を上げ始める。
「うぇっ!? きょ、恐竜ペンギンさん!? あの恐竜ペンギンさんだったんですか!? ええっ、えええぇぇぇぇぇっ!?!?!?」
俺のアカウント名を口にして大層驚かれた。
小学生の頃から変わらないアカウント名なせいで声に出して呼ばれると物凄く恥ずかしくなる。
「ご、ごめんなさい! 私、勘違いをしていました!!!」
何度も何度も頭を下げられる。
「まぁ誰にでも間違いはあるからね。とりあえずこれ外してくれるかな? そろそろ限界かも」
体制が悪く、これ以上縛り続けられていたら鬱血してしまいそうだった。
高橋さんは、ハッ、としながら拘束を外してくれた。
これで自由だ。
「ありがとう。じゃ、俺はそろそろ行かなきゃ。また学園でね」
誤解も解けたし完全に遅刻だけど行かないと、という気持ちとこの場を何とか乗り切らなきゃいけないという使命感が交錯する。
本当は走って逃げたいが怪しまれるわけにはいかない。
あくまで自然を装うことに注力した。
「恐竜ペンギンくん、ちょっと待って」
しかし、俺はマネージャーと呼ばれた女性に肩をがっしり掴まれる。
高橋さんが喋るよりも声が低く、俺はきっとこれを機にこの世から消え去ってしまうのだと瞬時に理解出来てしまう。
「貴方があの恐竜ペンギンくんだと分かったのはいいことだけど、まだ解決してないのは分かるよね?」
ですよねー。
高橋さんがあの静橋香だと知ってしまったから迂闊に外に出す訳にもいかないよな。
「クリスマスデスデビルがまだ香ちゃんを狙っているわ」
思っていたこととは違うことを言われて少し驚いた。
確かにクリスマスデスデビルをどうにかするのが最重要事項だろう。
「マネージャーさんもいるみたいですし何かあっても大丈夫じゃないんですか?」
不安にも思うが心配は要らないのではないか?
そう思ったが首を横に振られる。
「確かに私はマネージャーで香ちゃんに付き添いできる時は対処できるけど、私は香ちゃんの専属マネージャーじゃないし、専属マネージャーを付けられるほどうちの事務所は大きくないから本当ならもっと大きな所に移籍をした方が彼女のためなんだけど……」
マネージャーは高橋さんを見る。
彼女は先程マネージャーが首を横に振った時よりも速く何度も何度も首を横に振った。
それほど移籍は嫌なことはわかるし、静橋さんのファンならばどうして移籍したくないかは知っているだろう。
憧れの先輩がいて先輩と同じ事務所に所属するのが夢だったから移籍は嫌なのだ。
「俺にクリスマスデスデビルを捕まえろと?」
普通に無理である。
「本来ならそうできるなら大変ありがたいことだけど……一週間! 一週間だけでいいから香ちゃんのボディーガードをしてくれないかしら? 前々から開示請求もしているから一週間も経てば相手の住所など諸々分かると思うから。ね、この通り、お願い!」
と、言いながら俺の眼前には貞操帯があった。
俺はすぐに気づく。
お願いではなく、脅迫だと。
「安心してね。しっかりとお給料も出ますので。アルバイトという形で雇用したいと思ってるから」
グイグイと近寄ってくる貞操帯。
だか何かあれば走って逃げられるくらいはできそうなので安心だ。
かと思っていたら静橋さんは部屋のドアを閉めて鍵を掛けた。
完全に逃げられない状況になってしまったのだ。
「……んー、そうは言われましてもですね。うちは単身赴任で今は母と二人暮しだから母が良いというかどうか……」
正直言って推しと隣を歩けるのはめちゃくちゃ嬉しい。
しかし、隣に立って歩くほど俺は釣り合う存在ではない。
そんな姿をもしファンが見てしまったらどうなるか分からない。
「あ、もしもし。恐竜ペンギンさんのお母様ですか? 私はあなたの息子の推しです。実はですね──」
俺のスマホで高橋さんは俺の母親に電話をかけて事情を説明していた。
恐竜ペンギンというニックネームから違う何かに変えようかと今日は強く考えさせられる。
そして、自らを息子の推しと言うのは間違いではないがおかしいとは思わなかったのだろうか。
もうツッコミどころが多すぎる。
アニメやゲームの生放送でトークをする静橋さんを見ていたが、まさにそのままのノリで会話を続けていた。
いつも画面で目にしていたものは作り物ではなく本来の彼女なのだと嬉しくも思うが、状況が状況すぎてどう反応したらいいのか分からない。
「はい、はい! ありがとうございます。今度遊びに行かせてもらいますね。では、失礼します」
電話を終えた高橋さんがこちらへと向かってくる。
「綾子さんから了承を得ましたよ。これで何の問題もありませんね!」
ここに来て初めての笑顔を見る。
三つ編みおさげの彼女は芋っぽさを感じるが笑うとやっぱり静橋さんそっくりだ……って本人か。
それよりどうして俺の母親と少し話しただけで名前呼びになっているのか。
そして、遊びに来るとはどういうことだ。
推しが家に来るかもしれない、という嬉しい気持ちと、家を見られたくないから来ないでくれ、という気持ちと、何が一体どうなってそうなってしまったのだ、という気持ちが入り乱れて俺の情緒はぐちゃぐちゃになってきた。
「決まりだね。改めてよろしくね、ボディーガードくん」
マネージャーは柏手を一つ打ってから俺の肩をぽんっと叩き、俺は推しのボディーガードに任命されてしまった。