第8話 実験結果
「ひどい話なんだよ。あの家はバックにヤクザの付いてる詐欺まがいの金融業者の家なんだけどさ。
後妻の連れ子であるソラをまるで邪魔者扱い。今日も今日とてほんの少し口ごたえしただけであんな風に監禁さ。メールでそれを知って発憤したねえ。冗談じゃないって」
帰りの電車の中で眉間に皺を寄せて説明する光瀬。
その喋り方は芝居じみて鼻につく。
真実だとしてもお前の話し方はどうも嘘に聞こえるのだと、本人に言った方がいいのだろうか。
「本当なの?」と、僕は真ん中に座るソラに聞いてみた。
ちなみに、ペアルックチックなあのシャツは、タクシーの中でとっくに脱いでいた。
僕の問いに、ソラは少し笑いながら首を横に振った。
「違います。あの家は古美術商をしている父方の祖父の家なんです。昔からとても怖い人で、怒り出したら歯止めが利かないから。今日僕、ちょっと用事があってお邪魔したんだけど、うっかり高価な商品に傷を付けちゃって。で、いつものようにヒステリーを起こして、閉じこめられちゃったんです。閉所恐怖症の僕は、知り合いだった光瀬さんに携帯で助けを求めたってわけです」
僕はその説明を聞くと、光瀬を睨んだ。
「いいかげんにしろよ。何で光瀬は話をでっち上げるんだ?」
「いや、まあ、物事はいろんな見方ができるってことさ」
「全然違うだろ。お前のはそんな理論的なもんじゃなくて単なるデタラメだ。まったくどんな性格してんだか。なにがトンネル効果実験だよ。もう二度とお前を信用しないからな」
僕がそういうと、少年は申しわけ無さそうに「すみません」と小さく頭をさげた。
僕は慌てる。なんとも健気な礼儀正しい少年だ。
「いや、ソラくんのせいじゃないよ。悪いのは説明をしないこいつだから。でも、それよりさ、大丈夫なの? あんな風に脱走してきて。後でややこしくなるんじゃない?」
僕がちらりと少年を見ると、僕の方を見て、ソラはニコリと笑った。
「大丈夫ですよ。なんとかなります。どうも、お騒がせしました」
そう言ってペコリと頭を下げた。良かった、この子は光瀬よりもずいぶん大人だ。
「比奈木はあれこれ詮索しないから好きだよ」
途中の駅でソラと別れ、家まで歩いているときに光瀬は気持ちの悪い告白をしてきた。
「そんな時間ないんだよ。僕の頭の中は今日中にどうやってレポートと演習問題を終わらせるかでいっぱいなんだ。もう6時だぞ」
「そりゃ、悪かった。演習問題はどこやってんの?」
「線形代数」
「得意だ。手伝ってやるよ」
「まじで?」
素直に喜んでしまう自分の単純さが悲しかったが、かなり嬉しかった。
本当のことを言えば、僕の方が光瀬を利用していたのかも知れない。
朝から頑張っても、苦手な線形代数を自分ですべて解けるとは思えなかった。
けれど同じ歳の先輩に「教えて欲しい」とはなかなか言いづらい。
こんな形で手伝って貰えば僕の安っぽいプライドは痛まない。
結局はいい気晴らしにもなったし、少しスリルも味わえて楽しかった。
光瀬が朝言ってた、「トンネル効果で犯罪を解決できると思うか?」の問いの意味は、結局わからなかったが。
そう、それが分かったのは翌日の夕方。
見るともなしに見ていたローカルニュースが、ほんの一瞬見覚えのある家を映し出していた。
新人っぽい女性アナウンサーが、少し緊張気味に記事を読み上げている。
『以前から顧客に対する詐欺まがいの金利や保険金殺害を臭わせる脅迫等の疑いがあった金融業「ポピーローン」の社長、滝田剛造は、新たに指定暴力団黒川会とも密接な繋がりを持つ事が明るみになりました。この事は滝田の亡くなった元妻の連れ子である中学2年生の少年が、昨日滝田の自宅で不当に監禁されていた事実に基づく別件逮捕により浮上したもよう。この後の取り調べで警察側は、今まで明るみに出なかった詐欺容疑も徹底して取り調べて行く方針です』
なんだ? なんだ、なんだ? それは。
それは僕の知ってる『あれ』か?
いや、僕の知ってる『あれ』とも少し内容が違う。
僕が光瀬に聞いた『あれ』よりも、ソラに聞いた『あれ』よりも、ちょっと話がハードだ。
僕はカップに入れようとしていたインスタントコーヒーを、ボロボロとステンレスの流し台にこぼした。
見計らったようにガチャリと玄関のドアが開き、光瀬があの少年を連れて入ってきた。
僕が質問するより早く、光瀬は申し訳なさそうな表情で言った。
「比奈木、もう一人住人が増えるけど、いいか?」
「いや、それよりもさ・・・」
「いやいや、比奈木が怒るのも無理ない。突然だもんな。けどさ、ソラは親いないんだ。母親も2年前に死んじゃってさ。唯一の肉親のお姉ちゃんと二人暮らしだったんだけど、結婚しちゃうんでこいつ、一人になるんだ。しばらく身の振り方決まるまで、一緒にここに置いてやってもいいだろうか」
僕はたぶん、ぽかんと口を開けていただろう。
光瀬の説明の優先順序は絶対に世間一般と違うと思う。
「あの・・・ニュース見たんだけど」
取りあえずそう言ってみた。
「ああ、あれ? あの義父の滝田のじじいにこいつと、こいつの姉ちゃんが昔虐められたからさ、姉ちゃんの結婚祝いにちょっと頑張ってみた。滝田がヤーサンとつるんでるのは知ってたからさ、何か証拠を掴んで来るってソラが忍び込んだんだ。捕まってヒヤヒヤしたけど比奈木のおかげで何とかなった。いやあーすっきりしたよ。あ、言ってなかったけどこいつの姉ちゃんは俺の元カノなんだ」
「…元カノ」
「そ。今はいい友だち。で、ソラは今でも俺の弟分なんだ」
光瀬は何でも無いようにそう言うと、ソラの方を見て、「な?」と、言った。
やっぱり光瀬と言う人間は、普通のベクトルでは計れないらしい。
宇宙物理学で言うなら特異点だ。
光瀬にとって、今大事なのは、僕の返事だけらしい。
なんだかそこの所は律儀でありがたい。
「まあ、僕はかまわないけど」
僕がそう言うと光瀬の顔がパッと輝いた。
「そう? そうか! ありがとう。それでこそ比奈木だ!」
そう叫ぶ光瀬の横でソラが嬉しそうに満面の笑みでぺこりと頭を下げた。
その仕草がかわいらしい。
僕にとって、同居人が一人増えるくらい、特に大きな問題ではなかった。
「なぁ、光瀬」
僕は100ほども出てきそうな質問の中からどれを言おうかと迷いながら、声を掛けた。
「何?」
「あのさ、昨日の実験を思い出したんだけどさ」
「うん」
「トンネル効果で犯罪を解決することって、まれにあるのかもしれないな」
光瀬はその僕の言葉に一瞬ポカンとしていたが、やがてくるりと目を動かせた後、
悲しい表情をして言った。
「比奈木、あのさ、トンネル効果は量子の世界でのみ成り立つ理論だよ。マクロの現実世界で犯罪を解決したり適用されることはまずない。100%無い。残念だけど量子物理学の常識だ。覚えておいたほうがいいよ」
本当に彼は気の毒そうに言った。
その後、僕が荒れたのは言うまでもない。