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第3話 月に失礼

「実験にはニット帽が必要なのか?」

黄色く色づいた街路樹の下を並んで歩きながら、僕はボヤいた。

秋も深まり、随分冷え込んできたのでニット帽は不自然では無かったが、被り慣れていない。

部屋を出る時、光瀬にポンとそれを渡されて僕は少し困惑した。

「似合うからかぶっとけって」

そう言って光瀬は笑った。いったい何のつもりだったんだろう。


結局、選択肢は無いらしく、僕は光瀬に付き合ってその実験とやらに出かけた。

僕だって、そんな量子レベルの現象をぶらりと外出して確かめられると思うほどバカではない。

けれどもあのまま「もう出ていけ」と彼を部屋から追い出し、悲しい目をされたあと集中して課題をこなせる自身は無かった。

まったく、これ以上の「勉強の妨げ」はない。


「何か怒ってる?」

そう言って、歩きながら光瀬は僕の顔を覗き込む。

「怒ってるよ」

できるだけ不機嫌に言ってみた。


こうやって二人で並んで歩くのは嫌いだ。

180センチ近くある身長、均整の取れた体格でルックスも整っている光瀬の横に立つと、

童顔で163センチしかない小柄の僕は、親戚のお兄ちゃんに連れ回されている中学生にしか見えない。


「ところでどうして比奈木は宇宙物理学を専攻したんだ? なにかビジョンがあるの?

宇宙飛行士になりたいとか、宇宙局に勤務したいとか」

歩きながら唐突に光瀬が聞いてきた。

「小学生なみの安直な想像だな。なんで宇宙飛行士なんだよ」

「じゃあ、なんで?」

「教えない」

「なんでよ。あ、もしやアインシュタインを尊敬して?」

「ぜったい教えない」

「そうだよな、まさかそんな単純な奴はいないよな」

「・・・」


僕が黙り込んだので奴は話題を変えた。とにかくこいつは何か喋ってないとダメらしい。

「そのニット帽、比奈木にやるよ」

「別にいらないよ。それより何処に行くんだ?」

僕はやはり違和感を感じて帽子を脱いで手に持った。

「まあ、付いてくれば分かる」

そりゃあ、付いていけば分かるだろうが。


地下鉄の駅まで、延々と続くイチョウ並木を歩いた。

葉は半分くらいもう落ちてしまっている。コロコロと転がる黄色の身を踏まないように注意しながら歩く。

踏むとあの独特の匂いがくっつくので、どうも僕はこの季節のこの木が嫌いだ。

この木を街路樹に決めた市の役人とは趣味が合いそうにない。


「じゃあ、不確定性原理をもつ量子論には納得できない感じ?」

急にしゃべり出す光瀬。

「“じゃあ”、って、どっから来た」

妙な質問に顔をあげた途端、僕はグニャリとその実を踏んづけた。

梅干しを踏んだような感触が何とも気持ち悪かった。

「僕が嫌いなのはこの実だよ。不確定性原理は好き嫌いの問題じゃないだろ。量子論の本質だから。ほら、変な質問するから踏んじゃったじゃないか」

靴に付いた、匂いのきつい果肉を地面にこすり付けながら歩く僕を、光瀬はおもしろそうに見ていた。

「比奈木が退屈そうな顔してたから、なんか話題をと思って」

「光瀬は物理学以外の話はできないのか?」

「じゃあ、昨日の深夜にネットで見つけたエキサイティングなエロゲーの話をしようか」

まじめ腐った顔をして聞いてくる。

「いや、物理学の話でいいよ」

僕たちはサクサクと枯れ葉を踏みながら歩調を緩めずに並木道を歩いた。

いつも思うのだが、僕らの話は噛み合っているようでまるで噛み合っていない。


「比奈木はアインシュタインを敬愛してるから不確定性原理にも抵抗があるかと思ってさ」

「それってなんだ?“好きなアイドルがニンジン嫌いだから僕もニンジン嫌いー”とかいう小学生のレベルで僕を見てるんだろ。言っておくが、僕は相対論にうまく量子論を掛け合わせて宇宙誕生の謎を解に挑んでいるホーキングだってリスペクトしてるんだ。もちろん、スッキリしない感覚はあるよ。公式によって想像も及ばないミクロの数字をはじき出す物理学の世界にあってさ、『そこに電子が存在する確率は○○パーセント』としか表せない不確定性原理はしっくり来ない。曖昧すぎるし、観測することによって初めて物体の値が決まるなんて、何か観測者の傲慢だ」


「観測することによって、初めてその対象物は完全な現象になる!」

光瀬が、ふざけて担任教授の口調を真似てみせた。

「よく考えたらめちゃくちゃだよ。『神はダイスを振りたまわず』って、言いたくもなる」

僕は言ってみた。

「アインシュタインの有名なイチャモンだな」

「イチャモンって・・・」

「アインシュタインは不確定性原理の提唱者のハイゼンベルグにこうも言ったよな。『君は、君が見ている時だけ月はそこに実在していると、本気で思っているのかね?』って」

「僕だってそう聞きたい」

「曖昧さが嫌いだったんだろうな、アインシュタインは」

「曖昧さを方程式にして、ちゃんとした数値を見つける努力をしない仲間にムカついたんじゃない?」

「意固地だな。不可能なんだよ」

「アインシュタインを悪く言うな」

「俺もアインシュタインは尊敬してるよ」

光瀬は笑って、続けた。

「でもさ、彼が嫌った量子論が今のテクノロジーを支えてる。テレビも携帯もパソコンも、レントゲンやMRIを始めとする医療機器も」

「知ってるよ。量子論さまさまだ」


「な。だから、そうなんだよ」

そう言って光瀬は空を見上げた。

「なにが、そうなんだ?」

僕もつられて薄いブルーの白昼の空を見上げた。

空には磨りガラスのような薄っぺらい白い月が浮かんでいる。


光瀬は見上げたまま何だか楽しげに言った。

「月は、俺らが見上げて確認した時にだけ、存在が事実になるんだ」

僕は月に聞こえやしないかと恥ずかしくなった。


「そりゃあ、ひどいね」




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