第8話:失敗の原因分析
(……ああ。そうか)
リリアの声が、砕け散った俺の魂を、そっと繋ぎ合わせてくれる。
そうだ。俺は、まだ終わっちゃいない。
いや、むしろ、ここからが始まりなんだ。
失敗は、終わりじゃない。
次の成功のための、最高のデータだ。
(まったく……敵わないな、このお姫様には)
俺は、リリアの言葉に導かれるように、ゆっくりと、震える魂に再び力を込めた。
絶望の淵から引きずり出してくれた彼女への感謝が、新たな決意となって俺を満たしていく。
(よし、やるか!
整備士の腕の見せ所だぜ!)
俺は心の中で景気づけに叫び、思考を切り替えた。
客から預かった故障車を前にして、いつまでもメソメソしている三流整備士がどこにいる。
原因を究明し、完璧に修理して、最高の状態でオーナーの元へ返す。
それがプロの仕事だ。
今の俺の身体は、俺自身がオーナーであり、そして唯一の整備士。
やるべきことは、一つだ。
俺は、床に散らばった自身の腕の破片と、無残に転がる盾の破片に、再び《機構造解析》の意識を向けた。
だが、今度は目的が違う。
「完璧な魔改造」を目指すためじゃない。
「なぜ壊れたか」という、故障の原因を探るためだ。
脳内に、再び設計データが流れ込んでくる。
まずは、砕け散った鎧の破片からだ。
(ふむ……破片の断面を見る限り、素材自体の強度に問題はなかった。
霊素による金属疲労や、構造的な劣化も見られない。
俺の元々の設計に欠陥があったわけじゃないな)
よし、第一段階クリアだ。
もし自分の設計ミスだったら、立ち直るのにもう少し時間がかかっていたかもしれない。
次に、暴走が起こる直前の状況を、頭の中でシミュレートする。
俺の魂から放たれた霊素が、盾の破片に触れた、あの瞬間だ。
(霊素の出力は……少し強すぎたか?
いや、それだけじゃない。
何か、根本的な見落としがあるはずだ)
俺がシミュレーションの中で首を捻っていると、鎧の中からリリアの声が響いた。
彼女は、俺のシミュレーション映像を、彼女自身の《霊素視》を通して、全く別の角度から見てくれていたのだ。
「アルマ、ここですわ!
あなたの霊素と盾の霊素が触れ合った、まさにその瞬間!
まるで水と油のように、二つの力が激しく反発し合って、不規則な霊素の渦が生まれています!」
(水と油……!)
リリアの言葉が、俺の思考回路に稲妻を走らせた。
そうだ。それだ。
前世で、何度も経験した現象じゃないか。
異なるメーカーのエンジンオイルを混ぜ合わせる時、相性が悪いと性能が著しく低下したり、最悪の場合エンジンを焼き付かせたりすることがある。
それを防ぐために、俺たち整備士はどうするか?
(……添加剤だ)
異なる性質を持つ液体同士を、滑らかに繋ぎ合わせるための「添加剤」。
それと同じだ。
俺の魂から生まれた霊素と、このダンジョンの一部であった盾の破片が持つ霊素。
二つは、似ているようで全く異なる性質を持っていたんだ。
それを、俺は力ずくで、無理やり混ぜ合わせようとした。
(ただ混ぜ合わせるだけじゃダメだったんだ。
二つの霊素を繋ぎ止めるための、『接着剤』が必要だったんだ……!)
リリアの《霊素視》という「回路図」がなければ、俺は「設計図」だけを見て、永久にこの答えにたどり着けなかったかもしれない。
そして、その暴走の引き金を引いたのは……。
(俺の焦りと、恐怖だ)
父の幻影に心を乱され、霊素のコントロールを誤った。
繊細なアクセルワークが求められる場面で、パニックになってアクセルをベタ踏みしたようなものだ。
その結果、二つの霊素は激しい拒絶反応を起こし、逃げ場を失ったエネルギーが、最も脆い接続部分……つまり、俺の腕を吹き飛ばした。
(これが、今回の故障コード……
『霊素親和性不適合によるエネルギー暴走』。
原因は、俺の整備ミスだ)
全てが繋がった。
失敗の原因を、論理的に、完璧に理解できた。
不思議なことに、絶望感はもうなかった。
むしろ、原因不明のエラーに悩まされていたエンジニアが、ついにバグの箇所を特定した時のような、清々しい達成感があった。
「原因が分かったのですね、アルマ。
あなたの魂から、迷いが消えていくのが分かりますわ」
(ああ。
全部、お前のおかげだ、リリア)
「いいえ。
わたくしは、あなたが見ているものに、別の光を当てただけですわ。
真実を見抜いたのは、あなた自身の力です」
(……へへっ。最高の相棒だな、俺たちは)
「ええ、最高の相棒ですわ」
リリアとの短いやり取りが、俺の魂をさらに強くする。
さて、原因が分かれば、次は対策だ。
修理の時間だ。
(問題は、その接着剤……触媒になる霊素をどうやって手に入れるかだ。
そんな都合のいいもの、どこにあるんだ?)
俺がそう考えた途端、リリアが強い意志のこもった声で言った。
「アルマ、わたくしの霊素をお使いください」
(……え?)
「わたくしの魂は、あなたの魂と深く結びついています。
あなたの力も、痛みも、喜びも、全てわたくしの中を巡っています。
だからきっと、あなたの鎧と、この世界の物質との架け橋になれるはずですわ」
(ダメだ!
それじゃあ、君にものすごい負担がかかる!
もしまた暴走したら、今度は君の魂が……!)
俺は即座に拒絶した。
自分のミスで彼女を危険に晒すことだけは、絶対に許されない。
しかし、リリアの決意は、俺の心配よりもずっと固かった。
「アルマ。
わたくしたちは、二人で一つの騎士なのでしょう?」
その、あまりにも真っ直ぐな言葉に、俺はぐっと息を呑んだ。
「あなたの腕は、わたくしの腕でもあります。
あなたの痛みは、わたくしの痛み。
それに、あなたの失敗は、わたくしの失敗でもあるのです。だから、二人で乗り越えさせてくださいまし」
(リリア……)
「大丈夫ですわ。
今度は、わたくしがあなたの霊素の流れを、完璧にナビゲートしてみせます。
あなたはその設計図に、最高の仕事をすることだけを考えてくださいな」
その言葉には、一点の曇りもなかった。
俺を信じてくれている。
俺の技術を、魂を、丸ごと信じてくれている。
……覚悟を決めないわけには、いかないじゃないか。
(……分かった。
頼む、リリア。
俺の魂を、お前に預ける)
「はい。お預かりいたしますわ、わたくしの騎士様」
俺は、ゆっくりと、床に散らばった腕の破片に意識を向けた。
今度は、ただの鉄の塊じゃない。俺たちの絆の証だ。
俺は霊素の力で、磁石のように破片をゆっくりと引き寄せ、元の腕の形に組み上げていく。
そして、最後の溶接部分……破片同士の継ぎ目に、リリアの魂から紡ぎ出された、温かく、そして清らかな霊素の糸が、そっと流れ込んでくる。
「今です、アルマ!
あなたの霊素を、わたくしの霊素に重ねるように!」
リリアの声がナビゲーターとなり、俺の荒々しい霊素を導いていく。
俺は、前世で培った全ての集中力を、この一点に注ぎ込んだ。
コンマミリ単位のズレも許されない、精密な溶接作業だ。
俺の霊素と盾の霊素、そしてその間を取り持つリリアの霊素。
三つの異なるエネルギーが、美しい三つ編みのように絡み合い、一つに溶け合っていく。
さっきまでの激しい拒絶反応が嘘のように、全てが滑らかに、完璧に調和していくのが分かった。
――カチリ。
最後の破片が収まるべき場所に収まった時、そんな小さな音が魂に響いた。
暴走の痕跡はどこにもない。
俺の左腕は、まるで時間を巻き戻したかのように、完全に再構築されていた。
いや、前よりもっと強く、滑らかに動く気がする。
リリアの霊素が、潤滑剤としてだけでなく、強化剤としての役割も果たしてくれたのかもしれない。
俺は、新しく生まれ変わった鉄の拳を、ゆっくりと開いて、そして強く、握りしめた。
(直った……!
俺たちの力で、直せたんだ!)
喜びが、今度こそ純粋な達成感となって、俺の魂を満たした。
失敗から学び、二人で協力して、困難を乗り越えた。
ただ強力なスキルを与えられた時とは比べ物にならない、本物の自信が、心の奥底から湧き上がってくる。
そして、俺は、この経験を通して、一つの重要な真実にたどり着いていた。
(そうか……俺の《機構造解析》は、完璧なものをゼロから創り出すための力じゃないんだ)
父が求めたような、ミスのない「完璧な設計図」を描くための能力じゃない。
(壊れたものを理解し、なぜ壊れたかを知り、そして、どうすれば直せるかを見つけ出す……。
これは、『修理』のための力だったんだ)
失敗作だった俺に与えられたのは、失敗を乗り越えるための力。
なんて、皮肉で、そして……なんて、俺らしいスキルなんだろう。
そう思った瞬間、俺の魂を縛り付けていた「心の枷」が、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。
「アルマ……。
あなたの魂が、とても穏やかな光を放っていますわ」
(ああ。なんだか、少しだけ楽になった)
「よかったですわ。……あら?」
俺たちが安堵の息をついていた、その時だった。
リリアが、不意に緊張した声を上げた。
「アルマ、気をつけて。
魔物の気配ですわ。
それも……とても、粘性の高い霊素を感じます」
彼女の言葉と同時に、俺の直感もまた、前方の通路の奥から、何かが蠢く微かな振動を伝えていた。
壁を伝って、床を這って、こちらに近づいてくる。
そして。
――ぬるり。
まるで、壁から滲み出すかのように、一つの影が通路に姿を現した。
それは、決まった形を持たない、半透明の緑色の塊。
表面をゼリーのようにぷるぷると震わせながら、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへ向かってくる。
(なんだ、あれは……。
スライム、か?)
まさか、この世界のダンジョンにも、そんな定番モンスターがいるとは。
腕を修復し、新たな自信と気づきを得た、まさにその直後。
まるで、俺たちの実力を試すかのように現れた、最初の敵。
(よし、リリア。
腕慣らしと行こうぜ)
「はい、アルマ!
わたくしたちの最初の共同作業ですね!」
俺は、再生したばかりの左腕を掲げ、静かに構えた。




