第6話:リリアの魔法講座:霊素とスキル
(世界の……理、か)
リリアの問いかけに、俺は心の中で静かに反芻した。
さっきまでの絶望と自己嫌悪が嘘のように、その言葉は俺の魂にスッと染み込んでくる。
そうだ。
俺は、この世界のことをまだ何も知らない。
車の整備をする時だって、まずはその車種の構造や設計思想を理解するところから始める。それと同じだ。
今の俺がやるべきは、自分の心の弱さに打ちひしがれることじゃない。
この「ヴェステリア」という未知の環境の、基本ルールを学ぶことだ。
(ああ、頼む。
教えてくれ、リリア先生。
俺みたいな出来の悪い生徒にも、分かるようにさ)
俺がそう念じると、リリアの魂からふわりと優しい光が溢れ出すのを感じた。
それはまるで、不安がる子供を安心させる母親のような温かさだった。
「はい、アルマ。
わたくしの知る限り、とはなりますが」
鎧の中から聞こえるリリアの声は、先ほどまでの切迫した響きとは違い、落ち着いていて、どこか楽しそうにさえ聞こえた。
まるで、好きな物語を誰かに語って聞かせる時のような、そんな弾むような響きがあった。
「まず、アルマ。
この世界に存在する、ありとあらゆるものは、全て同じ一つのものから成り立っていますの」
(一つのものから?)
俺の思考が、前世の記憶を探る。
物理学の授業で習った、クォークとか素粒子とか、そういう話か?
「はい。
わたくしたちはそれを『霊素』と呼んでいます。
それは、この世界の万物を構成する、根源的なエネルギーなのです」
(霊素……エーテル……)
なんだか一気にファンタジーっぽくなってきたぞ。
でも、不思議とすんなり頭に入ってくる。
エネルギー、か。
(それって、アインシュタインの言ってたE=mc²みたいなもんか?
質量、つまり全ての物質はエネルギーからできてる、みたいな)
俺がそんなオタク特有の早口めいた思考を巡らせると、リリアがくすりと笑う気配がした。
「あいんしゅたいん……?
それがあなたの世界の言葉なのですね。
おそらく、考え方はとても近いものだと思いますわ。
霊素は、普段は目に見えない粒子になって、まるで空気のようにこの世界を満たしています。
わたくしたち生物も、このダンジョンの石も、そして魔物たちも……全てはこの霊素が集まって形作られているのです」
なるほど。
つまり、この世界の「原子」にあたる概念が「霊素」ってわけだ。
そして、魔法というのは、その霊素を操作する技術、ということだろう。
(だとしたら……
さっきのオートマタのコアが解析できなかったのも、それが原因か?)
「ええ、その通りですわ、アルマ。
あなたの慧眼には驚かされます」
リリアは俺の思考を読み取り、確信を込めて頷いた。
「おそらく、あの機械の核が《機構造解析》で理解できなかったのは、それが鉄や鉱石といった純粋な『物質』ではなく、高密度に圧縮された『霊素』そのものだったから……わたくしたちの言葉で言うなら、『魔石』や『魔結晶』と呼ばれるものだったからに違いありませんわ」
(魔石……!
なるほど、バッテリーみたいなもんか)
霊素というエネルギーを溜め込んだ物質。
だから、物質としての構造解析の範疇を超えていた、と。
腑に落ちた。
同時に、自分の能力の限界も見えた気がした。
俺の《機構造解析》は、あくまで物理的な構造を読み解く力。エネルギーそのものや、魔法的な現象は専門外ってことか。
(じゃあ、俺のこの解析能力も、霊素をどうこうしてるってことなのか?
魔法の一種、みたいな?)
俺が新たな疑問をぶつけると、リリアは少し考えるように間を置いた後、丁寧に言葉を選びながら説明を続けてくれた。
「それは、魔法とは少し違います。
アルマ、あなたの力は『スキル』と呼ばれるものに、とても近いと思われますわ」
(スキル?
ゲームでよく聞くやつだな)
「スキルとは、魂そのものに刻まれた、その者だけが使える特別な力のこと。
霊素を魔法のように意識して操るのではなく、もっと本能的に、無意識のうちに操作して、特定の現象を引き起こす……いわば、天賦の才のようなものですわ」
リリアはそこで一度言葉を切り、自分の胸のあたりに優しく触れるような仕草をした(気配がした)。
「例えば、わたくしのこの眼もスキルの一種です。
わたくしには、この世界に満ちる霊素の流れが、まるで色とりどりの光の川のように『視える』のです。
それを《霊素視》と呼んでいます」
(《霊素視》……!)
すごい能力だ。
つまり彼女には、この世界のエネルギーの流れが可視化されているってことか。
それがあれば、魔物の弱点やダンジョンのギミックも見抜きやすいだろう。
(なるほどな……。
俺の《機構造解析》も、そのスキルってやつなのか。
道理で、前世じゃ逆立ちしたって出来なかったわけだ)
自分が何者で、どんな力を持っているのか。
その輪郭が少しずつはっきりしてくる。
それは、暗闇の中で手探りで進んでいた俺にとって、灯台の光を見つけたような安心感を与えてくれた。
すると、リリアはさらに楽しそうな声で、こう続けた。
「そして、アルマ。
ここからがとても重要なのですけれど……」
(重要?)
「あなたの《機構造解析》と、わたくしの《霊素視》。この二つのスキルが合わさった時、とてつもないことが可能になるのですわ」
リリアの魂が、興奮でキラキラと輝いているのが伝わってくる。
「考えてもみてください。
あなたの《機構造解析》は、物質の『形』や『構造』……いわば、静的な『設計図』を完璧に読み解く力です」
(まあ、99.9%まで、だけどな……)
俺が内心で少しだけ卑屈なツッコミを入れると、リリアは「それも、ですわ」と優しく肯定してくれた。
「そして、わたくしの《霊素視》は、その『設計図』の中を流れる霊素のエネルギー、つまり動的な『回路図』を視る力。
この二つが合わさった時、どうなると思いますか?」
設計図と、回路図。
静的な構造と、動的なエネルギーの流れ。
その二つが揃えば……。
(……ハードウェアとソフトウェアだ)
俺の脳裏に、前世で何度も見てきたPCの内部構造が浮かび上がった。
完璧な基盤があっても、それを動かすOSがなければただの箱だ。
逆に、最高のOSがあっても、それをインストールする機械がなければ意味がない。
両方が揃って、初めて一つの「システム」として機能する。
(そういうことか!
俺がハードウェア担当で、リリアがソフトウェア担当!
二人で一つの、完璧なシステムになれるってことか!?)
「二人で一つ!
その通りですわ!」
リリアの声が、俺の興奮に応えるように弾む。
「アルマが物質の構造を完璧に解析し、わたくしがその中に流すべき最適な霊素の経路を示す。
そうすれば、ただの石ころですら、魔法の力を宿す道具に変えることができるかもしれません!
一人では不完全でも、二人なら……!」
(最強じゃないか……!)
思わず、鉄の拳を握りしめたい衝動に駆られた。
もちろん、まだそんな器用なことはできないが、魂が燃え立つような熱い感覚が全身を駆け巡った。
失敗作なんかじゃない。
俺は、リリアという最高のパートナーと共に、この世界で唯一無二の存在になれるのかもしれない。
初めて、心の底からそんな希望が湧き上がってきた。
「ふふっ、アルマ。
とても頼もしいお顔をされていますわ。
そのお顔、わたくしには視えますもの」
(からかうなよ……)
それでも、嬉しかった。
この世界の理を理解したことで、俺の心に巣食っていた得体の知れない不安が、確かな可能性へと変わり始めていた。
そして、その可能性は、俺の整備士としての探求心に、新たな火を灯した。
(待てよ……。
世界の全てが霊素でできている。
魔物も、そうだ。スキルは、魂に刻まれた力……。
だったら……)
一つの、とてつもない仮説が頭に浮かぶ。
(倒した魔物のパーツ……つまり霊素の塊を、俺のこの鎧に、自分の魂に取り込むことも、できるんじゃないのか!?)
それは、車の部品を交換するように、自分の身体をカスタマイズしていく、という発想だった。
俺の思考を読み取ったリリアが、息を呑む気配がした。
「……アルマ。それは……」
彼女は一瞬言葉を失ったようだったが、すぐに驚きと興奮が入り混じった声で答えた。
「ええ、理論上は可能ですわ!
魂に刻まれたスキルの中には、他の生物の力を取り込み、自らのものとする力を持つものもある、と古い文献で読んだことがあります。
アルマ、あなたにはその才能があるのかもしれません……!」
(マジか!)
「その力……もし名前をつけるとしたら……そうですね、『魂』を鎧に『装着』し、『融合』させる力……。《魂装融合》というのはいかがでしょう?」
(《魂装融合》……!)
なんて厨二病心をくすぐるネーミングセンスだ!
最高じゃないか!
(かっけぇ……!
めちゃくちゃカッコいいぞ、リリア!)
「えへへ、そうですか?
よかったですわ」
リリアが照れたように笑う。
俺の興奮は、もう抑えきれなかった。
《機構造解析》で敵を分析し、《霊素視》で弱点を見抜き、倒した敵を《魂装融合》で自分の力に変えていく。
完璧だ。
完璧な戦闘サイクルじゃないか!
(よし!
やってみようぜ、リリア!
さっそく、その《魂装融合》ってやつを!)
俺はすっかり元気を取り戻し、前のめり気味に立ち上がった。
すると、ちょうど目の前に、先ほどのオートマタとの戦闘で砕け散った、ダンジョンの壁の破片……いや、誰かが落としていったのか、古い盾の破片が転がっているのが目に入った。
(手始めに、こいつで実験だ!
まずは手堅く、無機物から!)
俺は意気揚々と、その盾の破片に向かって、鉄の腕を伸ばそうとした。
しかし。
その腕が、あと数センチで破片に届くというところで、ピタリと止まった。
(……待てよ)
まただ。
脳裏に、あの声が響く。
「また失敗するんじゃないのか?」
父の冷たい声。
そうだ。これは、初めての試みだ。
スキルがあると言っても、理論上可能だというだけだ。
やり方も、コツも、何もわからない。
(もし、失敗したら……?
今度は、この腕が崩壊するだけじゃ済まないかもしれない。リリアを巻き込んでしまったら……?)
一度燃え上がった情熱の炎が、恐怖という冷水で急速に勢いを失っていく。
鉄の指先が、微かに震えた。
そんな俺の心の揺らぎを、リリアは即座に感じ取っていた。
「大丈夫ですわ、アルマ」
彼女の声は、どこまでも優しく、そして力強かった。
「わたくしがついています。
あなたの失敗は、わたくしが全部受け止めますから。
だから、恐れないで」
その言葉が、俺の震えを止めてくれた。
そうだ。俺はもう、独りじゃない。
失敗したっていいじゃないか。
失敗したら、また分析して、やり直せばいい。
この、最高の相棒と一緒になら。
(……ああ。そうだな)
俺は、ゆっくりと息を吸い込むようなイメージをした。
そして、リリアの温かい魂を感じながら、意を決して、再び盾の破片へと手を伸ばす。
今度こそ、この手で、新たな力を掴み取るために。




