第5話:《機構造解析》と心の枷
(やっべ……。つい、いつもの癖が)
リリアの戸惑った声に、俺はハッと我に返った。
いかんいかん、未知の機械を前にすると、時間を忘れて没頭してしまうのは前世からの悪い癖だ。
客の車の修理中に、関係ない部分の構造が気になって分解し始め、先輩にこっぴどく叱られたことも一度や二度じゃない。
(反省、反省……。
でも、気になるもんはしょうがないだろ!)
俺は内心で誰にともなく言い訳をしつつ、改めて瓦礫の隙間に見える人工物に意識を向けた。
リリアとの魂の同調のおかげで、さっきまでよりもずっと感覚が鋭敏になっているのが分かる。視覚や聴覚というより、もっと根源的な「魂のセンサー」が、対象の情報を捉えようとしている感じだ。
(集中……集中……)
俺がその機械の構造を「もっと知りたい」と強く念じた、その瞬間だった。
――ズズズッ……!
脳内に、凄まジい勢いで情報が流れ込んできた。
それは、映像でも音声でもない。
もっと直接的で、純粋な「設計データ」の奔流だ。
(うおっ!?
なんだこれ……!?
頭の中に直接CADデータが流れ込んでくるみたいだ!)
目の前の光景が、まるで透視レントゲン写真のように、あるいはワイヤーフレームの3Dモデルのように、その内部構造まで含めて完璧に「視える」。
いや、視えるというより「理解できる」という方が正しい。
鈍い光沢を放つ外装は、ただの鉄じゃない。
未知の合金だ。硬度、靭性、耐熱温度……材質のスペックが、具体的な数値となって頭に叩き込まれる。
規則正しく並んだリベットは、単なる接合部品じゃない。
内部フレームの応力を分散させるための、計算され尽くした配置だ。
複雑に絡み合った配線のようなものは、電気ケーブルじゃない。
これは……なんだ?
髪の毛よりも細い管の中を、光の粒子のようなものが脈動しながら流れている。
これが動力伝達の役割を担っているのか?
「アルマ……!
あなたの魂から、膨大な情報が……!
まるで、あの機械の全てを理解しようとしているかのようです!」
リリアの驚愕した声が響く。
彼女の魂にも、俺が今まさに受け取っている情報の奔流が伝わっているのだろう。
(すげぇ……なんだこの能力!
これが、俺の力なのか……!?)
興奮で、魂が打ち震える。
前世で、どんなに時間をかけて分解し、計測し、資料を読み漁ってもたどり着けなかった、機械の「本質」。
それが今、一瞬で、完璧に、俺のものになっていく。
これは、ただの整備士の勘や経験じゃない。
もっと超常的で、根源的な力だ。
そうか、これが異世界に転生した俺に与えられた……俺だけの能力。
《機構造解析》
自然と、その能力の名前が魂に浮かび上がった。
俺は、まるで砂漠で水を見つけた旅人のように、貪欲に目の前の機械を「解析」し始めた。
【対象:古代自動人形残骸】
【構造解析率:75%……80%……85%……】
脳内に、解析の進捗を示すパーセンテージが浮かび上がる。
関節の駆動方式は、油圧やモーターではない。
魔力の結晶体のようなものを核にした、磁力にも似た斥力と引力を利用したリニアアクチュエータだ。
なんてこった、こんな技術、前世の地球じゃSFの世界だぞ。
【構造解析率:90%……95%……98%……】
(いける! もう少しだ!
このオートマタの全てが分かるぞ!)
興奮は最高潮に達していた。
この能力があれば、どんな複雑な機械だって完璧に理解できる。
修理も、改良も、あるいは一からの製造だって可能かもしれない。
失敗作だった俺が、初めて手に入れた「完璧」になれる力。
父に認められることのなかった俺の情熱が、この世界でなら最高の武器になる。
そう確信した、まさにその時だった。
【構造解析率:99.9%】
ピタリ、と。
あれほど凄まじい勢いで進んでいた解析が、完全に停止した。
(……え?)
まるで、高速で回転していたハードディスクが突然フリーズしたかのように、俺の思考が固まる。
(なんだ……?
なんで止まるんだ?
あと……あとたった0.1%なのに!)
残りの0.1%。
それは、このオートマタの動力源となっている、胸部に埋め込まれた青白い宝石のような核の、まさに中心部分だった。
その組成、エネルギー変換の原理……この機械の最も根源的な秘密が、どうしても解析できない。
モヤがかかったように、情報がブロックされている。
「お前は、失敗作だ」
突如、脳裏に父の冷たい声が響き渡った。
あの土砂降りのグラウンド。
俺の犯したたった一つのミス。
全てを否定された、あの日の記憶。
「なぜ今パスを出した!」
「また失敗するのが怖いのか?」
違う。違うんだ。
俺は、ただ……。
「完璧でなければ、意味がないんだよ」
父の声が、魂に突き刺さる。
そうだ。完璧でなければ。
99.9%なんて、中途半端な数字に意味はない。
それは、限りなく100%に近い「失敗」だ。
完璧な設計図じゃなければ、意味がない。
完璧な理解がなければ、手を出してはいけない。
もし、この不完全な情報で手を出して、壊してしまったら?
また、失敗したら?
(ダメだ……)
背筋が、凍りつく。
(また……また失敗する……!)
恐怖が、津波のように俺の魂を飲み込んでいく。
せっかく手に入れた《機構造解析》という希望の光が、一転して俺を縛り付ける絶望の枷へと変わる。
完璧な解析ができないのなら、この能力には価値がない。
完璧な計画が立てられないのなら、動いてはいけない。
動けば、必ず失敗する。
そして失敗は、許されない。
「やはり、お前は……」
(やめろ……!)
「失敗作だ」
――ガキンッ。
まるで、心の奥底に巨大な錠前が下りるような感覚。
思考が、完全にロックされた。
それと同時に、俺の身体……アルマの鉄の身体から、完全に力が抜けていく。
ミシミシと軋む音を立てて、膝が折れる。
俺は、再び、このダンジョンの冷たい床に、無様に崩れ落ちていた。
「アルマ!?
またですの……!?
あなたの魂が、恐怖で凍りついているのが伝わってきます……!」
リリアの悲痛な声が、鎧の中から響く。
彼女の温かい魂が、必死に俺の凍てついた魂を温めようとしてくれているのが分かる。
でも、ダメなんだ。
(違う、リリア……俺は大丈夫だ……
大丈夫なはずなのに……動けない……!)
心の中で叫ぶが、その声は彼女には届かない。
俺の魂は、トラウマという名の分厚い氷の中に、完全に閉じ込められてしまっていた。
手に入れたはずの力が、俺自身の心の弱さによって、無力化されてしまう。
なんて皮肉だ。
これじゃ、宝の持ち腐れどころじゃない。
自らを苦しめる呪いの道具だ。
(結局、俺は何も変われないのか……。
どこまで行っても、失敗作のままなのか……)
自己嫌悪が、再び俺を暗い沼の底へと引きずり込んでいく。
もう、何も考えたくない。
このまま、鉄の塊に戻ってしまいたい。
俺が絶望に身を委ねようとした、その時だった。
「アルマ、あなたの苦しみ、わたくしにはまだ本当の意味では分からないのかもしれません。
ですが!」
リリアの声が、凛として響いた。
「完璧でなくとも良いのです!
わたくしたちは、完璧になるためにここにいるのではありません。
生き延びるために、この牢獄から抜け出すためにいるのです!」
(……!)
「あの機械は、今は危険かもしれません。
あなたの心がこれほどまでに乱されるのですから。
今は、この場を離れることが先決ですわ。
ね、アルマ?」
リリアは、俺を無理に奮い立たせようとはしなかった。
俺の恐怖を否定することもしなかった。
ただ、冷静に、今の俺たちがすべきことを示してくれた。
そうだ。俺は何を焦っていたんだ?
あの機械を解析することが、俺たちの目的じゃない。
リリアをここから連れ出すこと。
それが、俺の唯一の使命のはずだ。
(……そう、だな)
リリアの言葉が、分厚い氷に、ほんの少しだけヒビを入れる。
完璧じゃなくてもいい。
今は、ただ、前に進むことだけを考えればいいんだ。
俺は、リリアのその言葉だけを頼りに、震える魂に鞭を打った。
意識を、目の前のオートマタの残骸から、無理やり引き剥がす。
すると、ガチガチに固まっていた身体の関節が、ほんの少しだけ、緩むのを感じた。
(……動ける)
ゆっくりと、しかし確かに、鉄の腕に力が戻ってくる。
俺は床に手をつき、ミシミシと金属を軋ませながら、なんとか立ち上がった。
まだ魂の震えは収まらない。
だが、もう絶望の底にいる感覚はなかった。
隣に、いや、俺のまさに中心に、リリアがいてくれるからだ。
「……行きましょう、アルマ。
ゆっくりで構いませんから」
(ああ……)
俺は、短く、心の中で応えた。
こうして、俺は自身の新たな能力《機構造解析》と、その能力に巣食う致命的な欠陥……トラウマという名の「心の枷」の存在を、同時に知ることになった。
この力は、俺を最強にも、そして最弱にもしうる、諸刃の剣なのだ。
俺たちは、オートマタの残骸に背を向け、再びダンジョンの奥へと歩き始めた。
少し進んだ先で、小さな空洞を見つけ、そこで一度休息を取ることにした。
崩れ落ちるように壁に背を預けた俺に、リリアが優しく語りかけてくる。
「アルマ、落ち込むことはありませんわ。
今のあなたの力は、とても素晴らしいものです。
ただ、まだこの世界の理に馴染んでいないだけかもしれません」
(世界の……理?)
「ええ。
もしかしたら、あの機械の動力源は、この世界に満ちる根源的なエネルギー……『霊素』が関係しているのかもしれません。
アルマ、少しだけ、この世界の仕組みについてお話ししてもよろしいでしょうか?」
リリアのその問いかけは、俺の知らない、この世界の真実への扉を開こうとしていた。




