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第4話:あなたの声が、わたくしの言葉に

(二人で、一つ……)

鎧の中で響いたリリアの言葉が、絶望に沈んだ俺の魂に小さな波紋を広げていた。


 動けない。

また動けなくなってしまった。

勝利の歓喜から絶望のどん底へ。

我ながら、感情の起伏が激しすぎるだろ。


 だが、事実は事実だ。

リリアがいなければ俺はただの鉄クズ。

彼女の力を借りて、ようやく動けるだけの操り人形。

それは父の呪縛から逃れられていない何よりの証拠だった。


「あなたの心が、まだ痛がっていますわ……」

リリアの悲しそうな声が、俺の自己嫌悪をさらに深く抉る。


(当たり前だろ……。

結局、俺は何も変わってないんだ。

誰かに依存しないと何もできない。

そんな自分が心底嫌になる……)


 俺の思考がまるで俺自身の声のように鎧の中に響いたのだろう。


 リリアは静かに、しかし力強くそれに答えた。


「いいえ、違います。

それは依存ではございませんわ。……

支え合い、でございます」


(支え合い……?)


「はい。

わたくしはあなたがいなければ、あの魔物から逃げることすらできませんでした。

わたくしは非力な妖精の姿。

あなたは動けない鎧の魂。どちらか一方だけでは、ここで朽ち果てる運命だったのです」


彼女の言葉には不思議な説得力があった。


「わたくしにはあなたを動かす力があります。

そしてあなたには、わたくしを守る身体がある。足りないものを補い合う。

それは依存などという悲しい言葉で表すものではございませんわ。

それは……絆、と呼ぶべきものです」


 絆、か。

俺の人生には最も縁遠い言葉だった。


父 とは歪んだ支配関係だったし、元のチームの仲間とは表面的な付き合いだけ。

誰かと深く関わることを俺はずっと避けてきた。

失敗して、失望されるのが怖かったからだ。


(……それにしても、だ)

俺はふと疑問に思った。


(どうしてそんなに俺の考えていることがわかるんだ?

さっきから俺が心の中で思ったことに、的確に返事をしている……)


 俺の問いに、リリアは少しだけ間を置いてから答えた。


「先ほども申し上げましたが、わたくしたちの魂は今一つに繋がっているようなのです。

特にあなたの強い想い……

喜びや悲しみ、そして今のような疑問は、まるで言葉のように、はっきりとわたくしに聞こえるのですわ」


(言葉のように……聞こえる?)


 その事実に、俺の思考回路が整備士としてのそれに戻っていく。

待てよ。

だとしたら……。


(じゃあ、もしかして……

俺が頭の中で考えたことを、お前が代わりに言葉にしてくれるのか?)


 それは一筋の光だった。

動けないこと、話せないこと。

それが俺の二度目の人生における最大の絶望だった。


 だが、もし彼女が俺の「声」になってくれるなら。


「……!

はい、喜んで!

わたくしがあなたの声になりましょう!」


 リリアの声が心の底から嬉しそうに弾んだ。

その純粋な響きに、俺の凍てついていた心がほんの少しだけ溶けていくのを感じた。


(本当か……?

本当にできるのか?)


「できますわ!

やってみましょう!」


 リリアの力強い言葉に背中を押され、俺は試しに頭の中で自己紹介を組み立ててみた。

前世の記憶。

三上陸としての、空っぽだった人生。


(俺の名前は、三上 陸だった。

自動車整備士で、三十歳で死んだ。

今は……この鎧が俺自身で、名前なんてない)


 俺がそう念じると、リリアは少しの間俺の思考を丁寧に読み取っているようだった。

そしてゆっくりと、しかしはっきりとその言葉を紡ぎ始めた。


「……わたくしの中にいらっしゃるこの方は、以前の世界では『リク』というお名前だったそうです。

自動車?を整備する職人様でいらしたとか。

そして……今はまだ名乗るべき名をお持ちでない、とそうおっしゃっています」


(…………!)


 できた。 本当にできた。

俺の想いが言葉になった。

彼女を通して、世界に放たれた。

それは俺がこの世界に来て初めて経験する、奇跡のような意思疎通だった。


「すごい……

本当にあなたの心が読めるようですわ……。

あなたの生きてきた、少し寂しくて、でもとても優しい時間が、わたくしの中にも流れてくるような……

不思議な感覚です」


 リリアの声が感動に震えている。

俺も同じだった。


 もう孤独な鉄の塊じゃない。

俺には俺の心を理解し、代弁してくれる存在がいる。

それだけで胸が熱くなった。


「あの……

でしたら、一つご提案があるのですが……」


リリアが少しだけ遠慮がちに切り出した。


(なんだ?)


「もしよろしければ……

わたくしが、あなたにお名前を差し上げてもよろしいでしょうか?」


(名前? 俺にか?)


 思ってもみなかった提案に、俺は戸惑った。


 名前。

それは存在の証明だ。


 だが俺にとっての名前は、父がつけた「陸」という記号でしかなかった。

彼の「作品」としての名札。

プロになれなかった俺は、その名前すら名乗る資格がない「失敗作」だと思っていた。


 そんな俺に、新しい名前?


 俺の戸惑いを感じ取ったのか、リリアは優しく言葉を続けた。


「あなたはただの鎧ではございませんわ。

わたくしが初めて触れた時、とても温かいものを感じました。

それはあなたの中に宿る、魂の輝きです」


 彼女は鎧の中から、そっと俺の魂に触れるように語りかける。


「魂は、ラテンの古い言葉で『アニマ』と呼ぶそうです。

あなたはただの鉄の器ではない。

魂(Anima)を持つ、気高き騎士様ですわ」


アニマ……)


「ですから、あなたの名前は、『アルマ』。

……いかが、でしょう?」


 アルマ。

その響きが俺の魂に、すっと染み込んでいくようだった。


 三上 陸という、過去の呪縛に満ちた名前じゃない。

父に与えられた「作品」としての記号でもない。

リリアが俺の魂そのものを見てつけてくれた、初めての、本当の名前。


(……ああ)


 俺は心の中で深く、静かに頷いた。


(俺は、アルマだ)


 その瞬間、リリアが心の底から嬉しそうな声で高らかに叫んだ。


「アルマ!」


 その呼び声がまるで祝福の鐘の音のように、俺の空っぽだった身体に温かく響き渡った。


 アルマ。

それが俺の新しい名前。

この世界でリリアと共に生きていく、俺の証。


「ふふっ、素敵な響きですわ、アルマ。

これから、よろしくお願いいたしますね」


(……ああ。よろしく、リリア)


 俺たちは初めて本当の意味で、心を通わせた。

意思疎通の方法を確立し、アルマという新しい名前を得たことで、俺たちの間には確かな絆が生まれた。

絶望の闇に、確かな光が差し込んだ気がした。


 だが、現実は変わらない。

俺はまだ膝をついたまま、ピクリとも動けずにいた。


「さあ、アルマ。

もう一度立ってくださいまし。

わたくしたちなら、きっと大丈夫ですわ」


 リリアが優しく、しかし力強く励ましてくれる。


(……立てるのか? 俺は)


アルマという名前をもらっても俺の本質は変わらない。

臆病で、失敗を恐れる魂だ。


(俺自身の力じゃない。

君の力を借りて……

それでも、いいのか?)


 俺の揺れる心を、リリアは正確に読み取っていた。

彼女はまるで母親が子供を諭すように、毅然とした声で言った。


「良いのです、アルマ」


 その声には迷いがなかった。


「今はわたくしがあなたの足となりましょう。

あなたが、あなた自身の力で立てるようになる、その時まで。

わたくしがずっとそばで支え続けますから」


(リリア……)


 彼女の絶対的な信頼が、俺の心の奥底に眠っていた何かを静かに揺り動かす。

失敗してもいいと言ってくれる存在。

不完全な自分を丸ごと受け止めてくれる存在。

そんな相手に俺は初めて出会った。


(……わかった。

もう一度、試してみる)


 俺は彼女の言葉を信じることにした。


「はい、アルマ!」


リリアの嬉しそうな声が俺に力をくれる。

俺はゆっくりと意識を全身に巡らせ、リリアから流れ込んでくる温かい魔力の奔流に、自分の魂を同調させていく。


 ギ、シリ……。

指先が微かに動いた。


(いける……!)


 だが同時に、俺の頭の片隅で整備士としての冷静な思考が働き始めていた。


(そもそも、だ。

なぜ俺は一人では動けないんだ?

魂と、この鎧という名の身体。

その接続に何か構造的な欠陥でもあるのか?

魔力の伝達効率が悪いとか、あるいは魂と肉体の親和性の問題か……?)


 問題があるなら原因を突き止めたい。

構造を解析したい。

それは俺が唯一、心の底から没頭できる職人としての性だった。


(まずは、この身体の構造を徹底的に《構造解析》してみる必要があるな……)


 そう思った瞬間、俺の脳裏に今まで感じたことのない新しい感覚が流れ込んできた。

それはまるで膨大な設計図が、一瞬で頭の中に送り込まれるような圧倒的な情報量だった。


 これが、俺の力……?


 絶望の淵で、俺――アルマは新しい名前と共に、新たな能力の扉を今まさに開けようとしていた。


 それは俺とリリアの、長い長い旅の本当の始まりだった。

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