第35話:狼の骨格とサスペンション理論
(来いよ、疾風狼。お前の全てを、俺たちの翼に変えてやる)
俺は、静かに、しかし確かな覚悟と共に生まれ変わったその一歩を未来へと踏み出した。
俺たちのただならぬ気配を察したのか、疾風狼が再びその身を低く沈める。
第二ラウンドの開始を告げる、静かな緊張が洞窟を満たしていく。
だが、もう俺たちの心は揺るがない。
「グルルルルルッ!」
疾風狼が、地を蹴った。
銀色の弾丸が、再び俺たちめがけて突進してくる。
さっきまでなら、その圧倒的な速度の前に反応すらできなかっただろう。
だが、今の俺たちには「視えて」いた。
(遅いな)
魂が、そう呟く。
同調率100%の俺たちの魂は、通常の世界よりも遥かに速い速度で思考している。
疾風狼の動きが、まるでスローモーション映像のようにはっきりと、そして滑稽なほど遅く感じられた。
俺は、リリアの操縦を待たない。
俺たちの思考は、完全に一つになっている。
突進してくる疾風狼の軌道、筋肉の収縮、重心の移動。
その全てを《機構造解析》が瞬時に読み解き、最適な回避ルートを弾き出す。
俺は、最小限の動きでその突進をいなす。
まるで闘牛士が猛牛の突撃を華麗な身のこなしでかわすように。
俺の鎧が疾風狼の毛皮をかすめ、バチッと静電気が弾けるような感触が魂に伝わった。
「キッ!?」
疾風狼が、信じられないというように驚きの声を上げる。
渾身の一撃が、まるで幻に突っ込んだかのように空を切ったのだ。
奴は急ブレーキをかけ砂を巻き上げながら反転し、今度は左右に揺さぶりをかけながら俺たちの隙をうかがってくる。
(いいぞ、もっと動け。もっと見せろ。お前の最高のパフォーマンスを、この俺に!)
俺の魂は、恐怖とは全く別の感情で満たされていた。
それは、最高のレーシングカーを目の前にした一人の整備士としての、純粋な興奮と探求心だ。
俺は、もはやこの戦いを生きるか死ぬかの死闘だとは思っていなかった。
これは、最高の素材の性能を極限まで引き出すための「テスト走行」。
そして、その構造を丸裸にするための「分解調査」なのだから。
「アルマ、あなたの魂が……とても楽しそうですわ」
鎧の中から、リリアのどこか呆れたような、それでいて嬉しそうな声が響く。
(当たり前だろ! 見ろよリリア、あの急旋回!
あの速度で、あれだけ車体を傾けても全くバランスが崩れない!
なんて完璧な体幹……いや、フレーム構造だ!)
俺の《機構造解析》は、疾風狼の美しい銀色の毛皮を透かし、その内部にある軽量かつ強靭な骨格の構造をリアルタイムでスキャンしていく。
脳内に、青白い光で構成された骨格の設計図がものすごい勢いで描き出されていく。
(なるほど……骨の一本一本が空洞になってやがる。
しかも、内部には鳥の骨みたいに補強が張り巡らされている……!
冗談だろ、こいつの骨格、F1マシンのモノコックフレームかよ!)
軽さと頑丈さ。
その、相反する二つの要素を完璧に両立させた究極の設計思想。
俺は、その機能美に魂の奥底から喜びの声を上げていた。
それに比べて、俺の今の身体はどうだ。
ロックリザードから受け継いだ装甲は確かに頑丈だが、その分重い。
フレームも、ただの鉄の塊。
これじゃ、重戦車がスポーツカーに勝負を挑むようなものだ。
勝てるわけがない。
疾風狼は、俺たちの回避能力が普通ではないと悟ったのか、今度は連続攻撃を仕掛けてきた。
洞窟の壁を蹴り、天井を走り、予測不能な角度から何度も何度も襲いかかってくる。
だが、その全ての攻撃は俺たちの完璧な回避の前には無意味だった。
(ダメだ、ダメだ! そんな大雑把な曲がり方じゃ、力が外に逃げちまう!)
(もっと内側の筋肉を使え! そうすれば、もっと素早く曲がれるはずだ!)
俺は、もはや敵に助言を飛ばすくらいの余裕すらあった。
もちろん、声には出していないが。
俺の魂が、疾風狼の動きに合わせて最適な改善案を次々と弾き出していく。
もし俺がこの疾風狼の専属整備士だったら、あとコンマ二秒はタイムを縮めてやれるのに。
そんな、見当違いな自信すら湧いてくる。
そして、数十秒にも及ぶ攻防の末、俺はついに疾風狼の「速さ」の本当の秘密にたどり着いた。
それは、ただ骨が軽くて頑丈だとか、筋肉がしなやかだとか、そういう単純な話ではなかった。
(……サスペンションだ)
俺の魂が、一つの結論にたどり着く。
(リリア、見えるか!? あの四肢の動き!
あれは、ただの関節じゃない! ダブルウィッシュボーン式のサスペンションだ!)
「さすぺんしょん……? また、あなたの世界の言葉ですのね」
リリアの魂から、戸惑いと好奇が入り混じった感情が伝わってくる。
(ああ! 車の部品だ!
地面からの衝撃を吸収して、タイヤを常に地面につけておくための最も重要なパーツの一つだ!)
俺は、興奮のあまり早口になっている自覚があった。
だが、構うものか。この感動を、この最高の相棒と分かち合いたい。
(普通の動物の関節は、ただ曲がるだけだ!
だが、こいつの関節は違う! 肩や股関節にある複数の骨が、まるで複雑なアームのように連動して動いている!
あれは、衝撃を吸収し和らげ、そして次の動きへのエネルギーに変えるための、完璧な衝撃吸収の仕組みなんだ!)
俺の脳内に描き出された設計図が、その理論を裏付ける。
疾風狼が地を蹴るたび、その衝撃はしなやかな四肢の関節で受け流され背骨へと伝わる。
そして、弓のようにしなる背骨がそのエネルギーを溜め込み、次の瞬間、爆発的な推進力として解放する。
無駄がない。全ての動きが、速く走るというただ一つの目的のために完璧に連携している。
「すごい……! わたくしの《霊素視》にも視えますわ!
アルマの言う通り、地面を蹴った瞬間に発生した霊素の衝撃が、関節部で渦を巻くように吸収され、そして次の跳躍の力へと変換されています!」
リリアの《霊素視》が、俺の《機構造解析》が導き出した答えをエネルギーの流れという全く別の視点から肯定してくれる。
これだ。これこそが、俺たち『妖精騎士』の戦い方だ!
ハードウェアとソフトウェア。
設計図と回路図。
二つの力が合わさることで、世界の真理が見えてくる。
(そうだろ!? それに比べて、俺たちの脚はどうだ!
ただの鉄柱だ! 地面からの衝撃を、全部フレームでガツンと受け止めてる!
これじゃあ、サスペンションが壊れた車で未舗装路を走るようなもんだ!
遅いし、バランスも悪いし、何より乗り心地が最悪だ!)
俺は、自分たちの鎧の欠点を今度こそ明確に理解した。
防御力は上がった。だが、それと引き換えに機動力という最も重要な要素を犠牲にしていたのだ。
これではダメだ。
この先、もっと速く、もっと強い敵と戦っていくためにはこの根本的な設計ミスを修正しなければならない。
(……決めた)
俺の魂に、新たな決意の火が灯る。
(この、疾風狼の骨格……。
この、完璧なサスペンション理論を、俺の鎧に移植する!)
それは、これまでのような単なるパーツの追加ではない。
鎧の根幹をなす「骨格」そのものを全く新しい設計思想で作り変えるという、前代未聞の大改造。
俺の魂が、整備士としての本能が、その途方もない挑戦に喜びの声を上げていた。
俺の《機構造解析》は、もはや疾風狼の動きを分析してはいない。
その脳内に展開されているのは、全く新しい鎧の設計図。
疾風狼の軽量で強靭な骨格をベースに、俺が持つ自動車整備士としての知識……サスペンション理論やフレーム剛性の理論を応用した、究極の衝撃吸収骨格の設計図だった。
(空洞の骨格に、リブを入れて補強。
関節部は、ボールジョイントを多用したマルチリンク式に。
そして、背骨にはしなやかな金属を重ねて使い、フレーム全体で衝撃をいなす……!)
瞬時にして、俺の脳内に完璧な青写真が描き出されていく。
これだ。
これこそが、俺たちが手に入れるべき本当の「翼」の設計図だ!
「グルルルルルッ!!」
俺が新たな設計図の完成に魂を震わせた、その瞬間。
しびれを切らした疾風狼が、最後の賭けに出た。
これまでの俊敏な動きを捨て、ただひたすらに、一直線に。
その巨体を一発の弾丸と化して、俺たちの心臓めがけて突進してきたのだ。
それは、全ての機動力を捨て速度と破壊力だけに特化した、必殺の一撃。
(……来たか!)
俺は、その突進を冷静に見つめていた。
そして、その一撃がもたらす二つの未来を同時に理解していた。
一つ。
この一撃を喰らえば、いくら俺たちの魂が加速していてもロックリザードの装甲をもってしても、今度こそ本当にスクラップにされるだろう。
そして、もう一つ。
この一撃こそが、俺があの完璧な骨格を手に入れるための唯一にして最大のチャンスだということを。
(リリア……)
俺の魂が、覚悟と共に相棒に語りかける。
「はい、アルマ」
リリアの声は、どこまでも静かでそして俺の決意を全て受け入れてくれていた。
(今から、とんでもない無茶を言う)
俺は、脳内に描き出したばかりの設計図をリリアの魂へと直接送り込んだ。
(この戦闘中に……俺の脚を、換装する!)
それは、あまりにも無謀で正気とは思えない提案。
走行中の車のエンジンを、分解修理するようなものだ。
失敗すれば、即、死。
だが、リリアの魂は一瞬たりとも揺らがなかった。
「……承知いたしました」
彼女は、ただ静かに、そして力強く答えた。
「あなたの描く最高の設計図を、この戦場でわたくしが現実のものとしてみせますわ」
(……へへっ。言ってくれるぜ、最高の相棒)
俺たちの覚悟は、決まった。
目の前には、死を運ぶ銀色の弾丸。
そして、俺たちの脳内には未来を創るための完璧な設計図。
(やるぞ、リリア!)
「はい、アルマ!」
俺たちは、この戦場で俺たち自身の未来を「魔改造」するために。
最後の、そして最大の賭けに打って出たのだった。




