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『転生したら鎧だったので、自分で動けない。なので呪われた美少女妖精に乗り込んでもらって最強を目指します』  作者: 月影 朔
第1章:忘れられたダンジョン編

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第32話:脳裏をよぎる父の声

(まただ……)


 俺の魂が、か細く絶望の声を漏らす。


(また俺は……追いつけない……)


 その呟きは、この異世界での敗北を嘆くものではなかった。

もっと深く、もっと根源的な俺という存在そのものを縛り付ける呪いの言葉。

俺の、最初の絶望が今、再び始まろうとしていた。


 ガッシャアアン!という轟音の余韻が消え、洞窟に不気味な静寂が戻る。

砂塵がゆっくりと舞い落ちる中、俺はひしゃげた鉄の身体で無様に倒れ伏していた。

視界の端に、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる銀色の影が映る。疾風狼だ。


 奴は、もはや俺たちを脅威とすら認識していない。

ただの、仕留め損なった獲物。

最後のとどめを刺すために、悠然と歩みを進めている。


「アルマ! しっかりしてください!

まだです、まだ終わってはいません!」


 鎧の中から、リリアの必死な声が響く。

彼女の魂の光が、俺の消えかけた魂に必死に活力を注ぎ込もうとしてくれているのが分かる。

だが、その温かい光は俺の魂の表面を滑り落ちていくだけだった。

俺の魂は、もはや現実(ここ)にはなかった。


(……追いつけない)


 その言葉が、引き金だった。

俺の精神は、もはや疾風狼を見ていない。

俺の魂は、この異世界のダンジョンから遥か遠く……

土砂降りの雨が降りしきる、あの忌まわしい過去のグラウンドへと引き戻されていた。


◇ ◇ ◇


 土砂降りの雨が、ぬかるんだグラウンドを容赦なく叩いていた。

ボールが足につかない。最悪のコンディションだった。

けれど、そんなものは言い訳にならない。父にとっては。


「陸! なぜ今パスを出した!

お前の判断ミスでチャンスを潰したんだぞ!」


 ベンチから怒声が飛ぶ。チームメイトの視線が痛い。

違う、痛いのは視線じゃない。

父の、田所厳たどころ げんの失望を映した瞳だ。

元プロサッカー選手だった父にとって、俺は夢の続きでありその身代わりだった。

そして、その夢を汚す失敗は決して許されない罪だった。


(ごめんなさい、ごめんなさい……)

声にはならない謝罪が、喉の奥で澱のように溜まっていく。


 試合は同点のまま、ロスタイムに突入していた。

ここで一本決めれば、全国大会への道が開ける。

そんな、人生を懸けた局面だった。


 俺は、中盤でボールを奪った。

目の前には、敵のディフェンダーが一人。

抜き去れば、キーパーと一対一の絶好のチャンスが生まれる。


(いけるか……?

いや、怖い……!)


 脳裏をよぎるのは、前半戦でのドリブルの失敗。

ボールを奪われ、カウンターの起点になってしまった、あの忌わしい記憶。


「また失敗するのが、怖いのか?」

父の声が、幻聴のように聞こえる。


 そうだ、怖い。

また失敗して、またあの冷たい目で見られるのが何よりも怖い。


(確実に行こう……!)


 俺は、すぐ隣を並走していたフォワードの先輩にパスを出した。

それが、最悪の判断ミスだった。

ぬかるんだグラウンドで俺のパスは勢いを失い、相手ディフェンダーの足元に吸い込まれるように転がった。


「しまっ……!」


 ボールは奪われ、一瞬にしてカウンターが始まる。

相手チームのエースは、まるで泥濘など存在しないかのように軽やかなステップで俺たちのディフェンスラインを切り裂いていく。


 速い。


(追いつかないと!)


 俺は、必死に泥に足を取られながらもボールを追った。

だが、一度つけられた差は絶望的に縮まらない。

相手の背中が、どんどん小さくなっていく。


(追いつけない……!

待ってくれ……!)


 俺の願いも虚しく、無情にもボールはゴールネットを揺らした。

試合終了のホイッスルは、まるで断頭台の刃が落ちる合図のようだった。

案の定、帰りの車の中は父の法廷と化した。


「今日の敗因は全てお前だ。あの場面、なぜドリブルで持ち込まなかった?

怖いのか? また失敗するのが」


「……」


「黙るな! お前には才能があった。俺が果たせなかった夢を叶えられるだけのものが。

それなのに、お前は挑戦から逃げた。臆病者め」


 そして、最後に突き刺された言葉。

それが、俺の心を完全に殺した。


「お前は、失敗作だ」


 ハンドルを握る父の横顔は、まるで知らない人のように冷たかった。

愛情も、期待も、そこにはもう何もなかった。

あるのは、出来損ないの道具に対する侮蔑だけだ。


 好きだったはずのサッカーは、いつしか恐怖に変わっていた。

一つのミスが、俺という人間の価値をゼロにする。

そんな極限のプレッシャーの中で、俺の心は静かに壊れていったのだ。


◇ ◇ ◇


「アルマ!

聞こえますか、アルマ!」


 リリアの声が、遠い世界から響いてくる。

俺は、ゆっくりと魂の瞼を開いた。

目の前には、俺の顔を覗き込む疾風狼の凍てつくような蒼い瞳があった。

奴は、俺が完全に抵抗の意思を失ったことを見抜き、最後の瞬間を楽しんでいるかのようだった。


(ああ、まただ……)


 俺の魂は、まだ過去の記憶に囚われたままだった。

疾風狼の圧倒的な速度が、あの日の敵チームのエースのドリブルと重なる。

俺のカウンターをあざ笑うかのように回避したあの動きが、パスミスをした瞬間の絶望と重なる。


(また、俺は……追いつけない……)


速度に。

才能に。

期待に。

夢に。


「アルマ、動いて! お願いです、動いてください!」


 リリアが必死に鎧の制御を試みる。

だが、鎧はピクリともしない。

いや、違う。ほんの少しだけ、動いた。

だが、その動きはあまりにも鈍重でぎこちなかった。

リリアの魂の操縦命令に対して、俺の魂が「失敗への恐怖」というブレーキを全力で踏み込んでいる。


(ダメだ……動けば、また失敗する……!

また、取り返しのつかないことになる……!)


 俺の魂が、リリアとの接続を拒絶し始める。

疾風狼は、俺たちのそのちぐはぐな動きに気づいたようだった。

蒼い瞳に、嘲笑の色が浮かぶ。

そして、まるで俺たちをからかうように再びその姿を掻き消した。


――ヒュンッ!


「アルマ、右です!」


 リリアの警告。

俺は、頭では分かっている。右に避けなければ、と。

だが、身体が、魂が言うことを聞かない。

反応が、コンマ数秒、遅れる。


――ガキンッ!


 右腕に、軽い衝撃。

疾風狼が爪で軽く引っ掻いていったのだ。傷は浅い。

だが、俺の魂にとっては致命的な一撃だった。


(ほら、みろ……。

やっぱり、俺は……)


避けられなかった。

追いつけなかった。

また、失敗した。


「アルマ! 集中してくださいまし!

あなたの魂が、わたくしの指示を拒んでいます!」


(違う! 拒んでるんじゃない!

できないんだ! 怖いんだよ……!)


 叫びたいのに、声が出ない。

このもどかしさが、さらに俺を苛む。


 疾風狼は、完全に俺たちが内側から崩壊していることを見抜いていた。

奴は、もはやとどめを刺そうとはしない。

ただ、俺たちの周りを高速で駆け巡り、時折軽い爪や牙で俺の鎧を撫でるように攻撃してくる。

それは、まるで猫がいたぶる前のネズミにするような残酷な遊びだった。


 俺は、その一方的な蹂躙の中で為す術もなく立ち尽くす。

リリアが必死に回避させようとするが、俺の魂のブレーキが勝り全ての動きが後手に回る。


ガキン! ザシュッ! ゴンッ!


 鎧のあちこちに、浅いが無数の傷が刻まれていく。

それは、俺の魂そのものが削られていく音だった。


(もう、やめてくれ……)

俺の魂が、ついに悲鳴を上げた。

戦うことから、挑戦することから、生きることそのものから、逃げ出してしまいたい。


(整備士になった時も、そうだった……)

俺の意識は、再び過去へと飛ぶ。


 あれから十年。

俺、田所陸は自動車整備士として働いている。

工場の奥から呼ばれ、俺は油の染みたウエスで手を拭いながら立ち上がった。


 油と金属の匂い。工具の立てる硬質な音。

幼い頃、父に隠れて夢中になった機械いじり。それが今の俺の仕事だ。


 目の前に滑り込んできた流線形のボディは、イタリア製の高級スポーツカーだった。

オーナーは、最近テレビでよく見る若手のプロサッカー選手だ。


「エンジンから少し異音がするんだ。

次の試合までには完璧にしといてくれよ」


「……承知しました。

細部まで点検いたします」


 感情を殺し、完璧な整備士の仮面を被る。

ボンネットを開けると、複雑な配線と精密なパーツで構成されたエンジンが姿を現した。


 美しい。まるで芸術品だ。

一つ一つの部品が、設計者の意図通りに完璧に組み合わさり一つの生命体のように機能する。

俺は、この機械の心臓部に触れている時だけほんの少しだけ息ができる気がした。


 ふと、オーナーである選手が仲間と話している声が聞こえてきた。


「それにしても、昨日の試合のあいつのラストパス、マジで神だったよな」


「ああ、あのスピードからよくあんな正確なパスが出せるよな。

あいつの速さには、誰も追いつけないだろ」


(……追いつけない)


 その言葉が、鈍器のように俺の心を殴りつけた。

そうだ。俺は、追いつけなかった。

彼らがいる、あの輝かしい場所に。


 俺は、あのグラウンドから逃げ出したただの敗主者だ。

彼らが乗る夢のように美しいこの機械を、油と埃にまみれながら修理することしかできない、薄汚い裏方の人間だ。


(俺は、失敗作なんだ……)


 父の言葉が、亡霊のように脳裏でこだまする。

どんなに完璧な仕事をしても、どんなに精密な修理をしても、この心の渇きは決して癒えることはない。


 なぜなら、俺は挑戦から逃げたのだから。

失敗を恐れて、自ら夢を諦めたのだから。


◇ ◇ ◇


「アルマッ!!」


 リリアの魂の絶叫が、俺を三度現実に引き戻した。

目の前には、最後の遊びに飽きたのか今度こそ本物の殺意をその蒼い瞳に宿した疾風狼が、とどめの一撃を放つべく突進してくるのが見えた。


(ああ、まただ……。

また、この瞬間か……)


 試合終了のホイッスル。

父の冷たい視線。

そして今、目の前に迫る絶対的な死。


(結局、俺は何も変われなかったな……)


 リリアが、最後の力を振り絞って叫ぶ。


「避けて!

アルマ、お願いです、避けてください!」


(避けたいさ……。

でも、身体が……魂が、動かないんだ……)


 俺の魂は、完全に過去に囚われていた。

目の前に迫る疾風狼の牙が、父の「失敗作」という言葉と重なる。


 そうだ。

俺は、この一撃を受けるために生まれてきたのかもしれない。

この、あまりにも残酷な罰を。


(また、失敗する……!)


 俺の魂が、ついに完全に沈黙した。

その瞬間、俺の鉄の身体は完全に凍りついたかのように、その場に立ちすくんだ。

それは、リリアの操縦を拒絶する俺自身の魂による、完全な機能停止だった。

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