第18話:システムエラーと父の幻影
システムが示した完璧なはずの「解法」が……通じないなんて……!
その絶望的な事実が、俺の魂に深く突き刺さる。
俺を支えていた最後の理性が、プツリと音を立てて切れた。
そして、俺の魂は再びあの暗く冷たい、トラウマの牢獄へと沈んでいく。
《警告:精神汚染を確認。
鎧との同調率が、急速に低下します》
俺の魂が、リリアとの接続を拒絶し始めた。
妖精騎士システムが、エラーコードを吐き出しながらその機能を停止させようとしている。
俺たちの、最後の希望の光が今、消えようとしていた。
(ああ……やっぱり、ダメだったんだ)
俺の精神世界は、もはや戦場ではなかった。
そこは、土砂降りの雨が降りしきる、ぬかるんだサッカーグラウンド。
試合終了のホイッスルが、耳鳴りのように響いている。
チームメイトの冷たい視線。観客席からの嘲笑。
そして、ベンチの前には氷のように冷たい瞳で俺を見下ろす父、田所厳が立っていた。
「またやったな、陸。お前は、また失敗した」
父の幻影が、静かに、しかし魂の芯まで凍らせるような声で告げる。
(違う。
俺は……俺たちは、あと一歩だったんだ)
「言い訳はするな。結果が全てだ。
完璧な計画を立てたつもりで、結局は詰めが甘い。だから、お前は……」
(やめろ……)
「いつまで経っても、ただの失敗作なんだよ」
その言葉が、最後の引き金だった。
俺の魂を繋ぎ止めていた、細い糸が断ち切れる。
ああ、そうだ。
父さんの言う通りだ。
俺は、いつだってそうだ。
あと一歩のところで、いつも、いつも失敗する。
俺のせいだ。俺が弱いから。俺が「失敗作」だから。
《同調率、89%……61%……35%……》
システムの声が、カウントダウンのように無慈悲に響く。
リリアの温かい魂の光が、急速に遠ざかっていくのが分かった。
違う。俺が、彼女の光を自ら振り払っているのだ。
(もういい……。
もう、疲れた……)
俺は精神世界で、泥濘に膝をついた。
もう、立ち上がる気力もない。
このまま、この冷たい雨に打たれながら消えてしまいたい。
「アルマ!
アルマッ、しっかりしてください!」
現実世界では、リリアの悲痛な叫びが鎧の中から響いていた。
彼女は圧壊した胸部装甲の中で、自身の魂の痛みに耐えながら必死に俺に呼びかけている。
だが、その声は俺には届かない。
いや、聞こえてはいる。
だが、父の幻影が放つ絶望の声がそれをかき消してしまうのだ。
「グルルルルル……」
俺たちの目の前では、ロックリザードが勝利を確信したようにゆっくりと巨体を進めていた。
その赤い瞳は、もはや動かなくなった鉄の塊をただの獲物として見据えている。
「アルマ、動いて!
お願いです、動いてください!」
リリアが必死に鎧の制御を試みる。
だが、鎧はピクリともしない。
俺の魂が、彼女との接続を完全に拒絶しているからだ。
関節はロックされ、霊素回路はショートを起こし、鎧のあちこちからバチバチと虚しい火花が散っている。
まるで、OSがクラッシュして制御不能に陥った機械のようだ。
(俺のせいだ……
俺が、リリアを……)
精神世界の俺は、ただ俯くことしかできない。
彼女をここから連れ出すと誓ったのに。
彼女の騎士になると決めたのに。
結局、俺は彼女を死地に追いやり、その命まで危険に晒している。
「お前のせいだ」
父の幻影が、俺の心を見透かしたように囁く。
「お前に関わった者は、みんな不幸になる。
お前はそういう星の下に生まれた、欠陥品なんだ」
(違う……)
「違わないさ。母親も、チームメイトも、そして今、その健気な妖精も。
お前が、全て壊したんだ」
その言葉は、俺の魂にとってロックリザードの物理攻撃よりもずっと重く、破壊的な一撃だった。
ああ、そうかもしれない。
俺は、疫病神だ。
俺が、みんなを不幸に……。
「グルォォォォッ!」
ロックリザードが、最後のとどめを刺すべくその巨大な顎を再び開いた。
喉の奥に、先ほどと同じ灼熱の光が収束していく。
今度こそ、避けられない。
リリアの操縦も、俺の分析も、もう機能していないのだから。
「アルマ……!」
リリアの声が、悲痛に震える。
彼女の魂から、絶望の色が伝わってくる。
俺のせいで、彼女まで……。
その、あまりにも残酷な現実が俺の心を完全に折り砕いた。
《同調率、28%……21%……15%……》
《警告:同調率が危険数値を下回りました。
妖精騎士システム、間もなく完全にシャットダウンします》
(ごめん……リリア……)
俺が、精神世界で最後の謝罪を呟いた、その時だった。
「――いいえ!」
鎧の中から聞こえたのは、もはや悲鳴ではなかった。
それは、絶望の淵から振り絞られた、魂そのものの絶叫だった。
「あなたは、失敗作などではありませんッ!!」
リリアの魂が最後の輝きを振り絞り、黄金の極光となって爆ぜた。
それは、操縦やナビゲートのためではない。
彼女は、自身の魂の全てを心を閉ざした俺の精神世界に、直接叩き込むという無謀な賭けに出たのだ。
ズズズンッ!
俺の精神世界が、激しく揺れた。
降りしきる絶望の雨が、一瞬だけ止む。
父の幻影が初めて驚いたように目を見開き、その姿が陽炎のように揺らいだ。
(なんだ……? 今の……)
「聞こえませんか、アルマ!
わたくしの声が!」
リリアの魂が、俺の精神世界のど真ん中に光り輝く柱となって突き刺さる。
その光は、あまりにも温かく、そして気高かった。
「あなたは、失敗作なんかじゃない!
あなたは、わたくしが選んだ、たった一人の騎士様です!」
父の幻影が、その光を前にして苦悶の表情を浮かべる。
「黙れ小娘が! こいつはダメなんだ!
何をやらせても中途半端で、肝心なところで必ず失敗する!」
「いいえ、違います!」
リリアの魂の光が、さらに強く輝きを増す。
「あなたのその手は、何のためにあるのですか!?」
(俺の……手……?)
「あなたのその魂は、何を成すためにここにあるのですか!?」
(俺の……魂……)
「思い出してください、アルマ!
あなたのその力は、壊れたものを、絶望したものを、再び立ち上がらせるための……『修理』の力なのでしょう!?」
その言葉が、俺の魂のど真ん中を貫いた。
そうだ。
俺は、整備士だ。
壊れたものを、直すのが、俺の……。
「お前には無理だ!」
父の幻影が、最後の抵抗とばかりに叫ぶ。
「こいつは、この土壇場でまた逃げる!
挑戦から目を背ける! それがお前の本質だ!」
「いいえ!」
リリアの魂の叫びが、父の幻影の声を完全に打ち消した。
「アルマは逃げません!
なぜなら、彼はもう独りではないのですから!」
その瞬間、俺の脳裏にこれまでの短い旅路が鮮やかにフラッシュバックした。
――初めて動けた時の、あの感動。
――初めて連携してゴブリンを退けた時の、あの高揚感。
――スライムを倒して、二人で勝利を分かち合った、あの達成感。
――そして、俺の壊れた腕を二人で力を合わせて直した、あの温かい絆。
そうだ。
俺は、もう……。
(……独りじゃ、ない……)
泥濘に突いていた膝に、力が戻る。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
目の前で俺を罵倒し続ける父の幻影。
そして、その後ろで俺を信じ続けてくれるリリアの魂の光。
俺は、もう父の幻影だけを見てはいなかった。
(……うるさいな、親父)
ぽつりと、俺の魂が呟いた。
「何……?」
父の幻影が、初めて狼狽の色を見せる。
(あんたの言う通りかもしれない。
俺は、失敗作だったのかもしれない)
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
降りしきる雨が、俺の決意を洗い流すかのように弱まっていく。
(でもな、あんたの知ってる俺は、もういないんだ)
俺は父の幻影の横を通り過ぎ、リリアの光へと向かって一歩、踏み出した。
(今の俺には……こいつがいる。
俺の不完全さを、弱さを、全部受け止めてくれる、最高の相棒がな)
「待て! 陸!
お前はまた……!」
父の幻影が何かを叫んでいるが、もうその声は遠い昔のノイズのようにしか聞こえなかった。
《警告:相反する精神コマンドを検知。システム不安定》
《同調率21%……低下停止》
《……同調率、上昇を確認……22%……23%……》
俺の魂が、リリアの光に触れる。
温かい。
心の底から、安心できる温かさだ。
「アルマ……!」
(ああ、聞こえるぜ、リリア。
でっかい声で、ちゃんと聞こえてる)
俺たちの魂が、再び一つに繋がろうとしている。
まだ、完全じゃない。
俺の心の奥底には、まだトラウマの根が深く残っている。
だが、もう絶望の底にはいない。
俺は、水面に向かって必死に手を伸ばしている。
「グルォォォォォォォォッ!!」
現実世界で、ロックリザードのブレスがついに放たれた。
全てを飲み込み蒸発させる灼熱の奔流が、動かない俺の鎧へと迫る。
(間に合え……!)
俺の魂の叫びと、リリアの祈りが一つになる。
《同調率(シン-クロ・レート)、30%……!》
その、刹那。
ブレスが着弾する寸前、ノイズだらけだった鉄の鎧の瞳……
その奥で、かろうじて、弱々しくも確かな意志の光が再び灯った。
絶望の淵から、俺たちの反撃が今、始まろうとしていた。




