第11話:初めての連携
「ええ、視えていますわ、アルマ!
最高の『設計図』、確かに受け取りました!」
リリアの魂から溢れ出した絶対的な信頼の光。
それが俺の思考回路に最後のスイッチを入れた。
そうだ。もう迷っている暇はない。
俺は俺の仕事を。
リリアはリリアの仕事を。
そしてそれを繋ぐのが俺たちの絆だ。
(いいだろう。
見せてやるよ、整備士の神髄ってやつを!)
俺はこれまで外に向けていた意識を、完全に内側へと反転させた。
もはや一体一体のゴブリンの醜悪な顔も、振りかざされる錆びた短剣も俺の「視界」には映らない。
俺が視ているのは戦場という名の巨大なエンジン。
十二体のゴブリンという不規則に動く部品。
そしてそれらが生み出す攻撃という名の運動エネルギーの流れ。
まるで一人称視点の戦闘ゲームから、戦場全体を俯瞰する戦略ゲームに切り替わったような感覚だ。
俺のスキル《機構造解析》が、全速で稼働を始める。
敵の位置、動きの方向、攻撃から次の攻撃までの間隔、重心の移動、視線の向き。
それら膨大な情報をリアルタイムで処理し、数秒先の未来を「確率」として弾き出す。
(後衛弓部隊、右翼三体、射角三十度で右肩関節を狙ってくる。
着弾まで1.2秒!)
俺が未来を予測する。
その設計図をリリアが瞬時に受け取り、現実の肉体に反映させる。
「アルマ、右腕を四十五度の角度で上げて、そのまま半歩左へ!」
俺は思考を挟まない。
ただリリアという最高の制御機構が弾き出す命令に、この鉄の身体を委ねるだけだ。
ガキンッ!
俺が掲げた右腕の装甲が、寸分の狂いもなく三本の矢の弾道を完璧に塞ぎ止める。
「素晴らしいですわ!
次、正面から二体、足元への滑り込みと胸部への突きが同時に来ます!」
(時間差0.3秒の連携攻撃!
狙いは体勢を崩すこと!)
俺の分析とリリアの直感が完全に同調する。
予測と現実の霊素の昂りが、同じ答えを指し示している。
「アルマ、その場で小さく跳躍!
着地と同時に身体を右に捻って!」
ガシャン!
俺が跳躍した直後、足元を狙ったゴブリンの短剣が空を切り床石を削る。
そして身体を捻ったことで、胸を狙った突きは俺の脇腹の装甲を滑っていった。
完璧な回避。
だが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言えなかった。
まるで組まれたばかりの工業用ロボットのように、一つ一つの動きがぎこちなく連携もどこかちぐはぐだ。
(くそっ、今の回避、無駄な動きが多すぎる!
燃費最悪だぞ!)
内心で悪態をつきながらも、俺は分析を続ける。
リリアもまた俺の思考を読み取り、案内を続ける。
俺が敵全体の動きを予測し大きな流れを読む。
リリアがその流れの中で発生する個々の攻撃という名の「異常」を、リアルタイムで修正していく。
「アルマ、背後から一体!」
(分かってる! そいつの狙いは腰の関節部だ!)
「右肘で迎撃を!」
俺はリリアの指示通り、振り返ることなく右の肘鉄を繰り出す。
ゴッと鈍い感触と共に、背後のゴブリンが吹き飛んだ。
ちぐはぐで不格好で、泥臭い。
だが、俺たちは確かにこの絶体絶命の状況を凌ぎきっていた。
鎧の表面には無数の傷が刻まれ、あちこちが凹んでいる。
それでも致命傷は一つもない。
俺たちは互いを信じ、互いの弱点を補い合うことで初めて二人で一つの「盾」となっていたのだ。
しかし防御だけではジリ貧だ。
精神的な疲労は確実に蓄積し、いずれはリリアの案内も俺の分析も限界が来る。
攻めに転じなければ。
(……見えた)
数分にも感じられる数十秒の攻防の末、俺の脳内に描き出された設計図に、一つの明確な「脆弱性」が浮かび上がった。
敵の連携の核となっている後衛右から三番目の弓ゴブリン。
奴は他のゴブリンに指示を出す役割を担っている。
その証拠に奴の攻撃頻度は他の弓兵よりも明らかに少なく、視線は常に戦場全体に向けられている。
(あいつを潰せばこの連携は崩壊する。
だが前衛の五体が壁になっていて、こちらの攻撃が届かない)
どうすればいい?
この鉄壁の陣形を崩す方法は……。
……いや、ある。
一つだけ。
整備士らしい、無茶苦茶で最高に巧妙な方法が。
(リリア、今からとんでもない無茶を言う。
信じてくれるか?)
俺の魂が覚悟と共に緊張する。
「当たり前ではありませんか。
あなたはわたくしの頭脳。
わたくしはあなたの心臓。
疑う余地などどこにもありませんわ」
リリアの揺るぎない信頼。
それが俺の最後の背中を押した。
(よし、聞いてくれ。
今からわざと隙を作る。
俺の右の肩甲骨あたり、あそこは装甲が厚く致命傷にはならない。
そこを正面のゴブリンにわざと攻撃させる)
「なんですって!?
正気ですか、アルマ!?」
さすがのリリアも俺の狂気じみた作戦に動揺を隠せない。
(正気だ。
俺の分析が正しければ、奴らはその隙を最大化するため指揮官である弓ゴブリンも含めて、一瞬だけ全ての攻撃を俺の右半身に集中させるはずだ。
そのほんの一瞬の硬直……
それこそが俺たちが作り出す唯一の勝機だ!)
それはあまりにも危険な賭けだった。
俺の分析が間違っていれば、ただ無防備に致命傷を受けるだけだ。
だが、俺の魂はこの作戦の成功を確信していた。
なぜならこれは俺一人で考えた作戦じゃない。
リリアの《霊素視》がもたらす情報と、俺の《機構造解析》が導き出した結論が完璧に一致しているからだ。
「……分かりましたわ。
あなたの設計図、信じましょう。
わたくしの全てを乗せて」
リリアの覚悟が決まる。
行くぞ。 俺はリリアの防御指示を一つ、わざと無視した。
正面のゴブリンが振り下ろす短剣を、避けずに右肩で受ける。
――ガギィンッ!
凄まじい衝撃と共に、右の肩部装甲が大きく凹み火花が散る。
狙い通り。
その瞬間、敵全体の動きがほんのわずかに、しかし確かに変わった。
全てのゴブリンの殺意が、霊素の昂りが俺の右半身一点に集中するのを、リリアの《霊素視》が捉える。
「来ます、アルマ!」
(分かってる!)
指揮官である弓ゴブリンが勝利を確信したかのように、その弓をギリギリと引き絞る。
前衛のゴブリンたちも俺の右腕や右足に止めを刺そうと、その刃を振りかぶる。
全員の意識が攻撃だけに集中した、そのコンマ数秒の隙。
それこそが俺たちが待っていた、完璧な「反撃の好機」。
「――今です、アルマッ!!」
リリアの魂の絶叫が俺の全身に響き渡る。
俺はもはや防御も回避も考えない。
ただ分析が導き出した最短経路を、リリアが示してくれたただ一点の急所を目指すだけだ。
俺は凹んだ右肩の痛みを無視し、それを逆にバネのように利用して身体全体を強引に回転させた。
そしてその遠心力を全て乗せた、鉄の身体そのものを弾丸とした不格好極まりない体当たりを敢行した。
(どけぇぇぇぇぇぇぇっ!!)
正面にいたゴブリン二体を、まるでボウリングのピンのように弾き飛ばす。
左右から迫っていたゴブリンたちの短剣が俺の背中を浅く切り裂くが、構うものか。
俺の視線はただ一体。
味方を壁にされて油断しきっていた指揮官の弓ゴブリン、ただ一人だけを捉えていた。
「キッ!?」
指揮官ゴブリンが驚愕に目を見開く。
だが、もう遅い。
俺の巨体がその貧弱な身体に、ゼロ距離で激突した。
――ゴシャッ!
肉が潰れる嫌な感触。
指揮官ゴブリンは悲鳴を上げる間もなく、ただの肉塊へと変わった。
それと同時に、今まで俺たちを縛り付けていた統率された連携という名の「呪い」が完全に解ける。
「ギ……ギャ……!?」
「キシャ……ア……?」
指揮官を失ったゴブリンたちは烏合の衆と化した。
さっきまでの狡猾な狩人の面影はどこにもない。
ただ目の前で起きた理解不能な現象に怯え、後ずさるだけだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、その無慈悲な鉄の貌を残りのゴブリンたちに向ける。
(……次、誰だ?)
その無言の圧力が奴らの戦意を完全に粉砕した。
「「「ギィィィィィィィィィィッ!!!」」」
蜘蛛の子を散らすように、ゴブリンたちは我先にと武器を放り出し、通路の暗闇の奥へと逃げ去っていった。
「はぁ……はぁ……」
静寂が戻った通路に、俺の魂の荒い息遣いだけが響く。
鎧はボロボロだ。
右肩は大きく凹み、全身に無数の傷が刻まれている。
お世辞にもスマートな勝利とは言えない。
泥臭く、傷だらけのギリギリの勝利だ。
だが。
(……勝った。
俺たち、勝ったんだ……)
「ええ……。
やりましたわ、アルマ。
わたくしたちの初めての勝利です……!」
リリアの声は疲労の中にも、確かな喜びと誇りを滲ませていた。
俺たちは初めて、二人で一つの困難を乗り越えたのだ。
その事実が傷ついた鎧の痛みよりもずっと強く、俺の魂を温かく満たしていた。
(……よし、行くか。奴らの仲間が戻ってくる前に)
俺はリリアに同意を促し、再び前へと歩き出した。
ちぐはぐで不格好で、失敗だらけ。
それでも俺たちは確かに、前に進んでいる。
ゴブリンたちが逃げていった通路を進むと、やがてひときわ大きな空洞に出た。
天井がやけに高く、じめりとした空気が漂っている。
まるで巨大な獣の腹の中のようだ。
俺たちがその不気味な静寂に満ちた空洞に、第一歩を踏み入れたその瞬間だった。
キィン、と。 人間の耳には聞こえない、しかし魂を直接揺さぶるような甲高い不快な音が、暗く何も見えない天井の奥から無数に降り注いできた。