第八話 封じられた言葉
「言葉を捨てろ」
瑛太が夢で見たという、赤い布を巻いた男の言葉。
それはただの幻ではなく、この吉備の地に根づいた、ある歴史的な強制の記憶だったのではないか――。
私は書庫に戻り、『古鬼記』の続きと、秋政家に残る他の古文書をあらためて探しはじめた。
その中で、一冊だけ、風変わりな記述が目についた。
『山方風俗録』――
これは秋政家に仕えていた古い記録係が、山間の村々の風習を書き留めた文書だった。
その中に、こう記されていた。
>「鬼族ノ者、言ノ葉ヲ封ズ。是、上意ニ従ヒシカラズ。然ル者ハ、夜半ニ失セリ。
> 残リテハ、母語ヲ禁ゼラレ、童ニ至ル迄、声ヲ呑ム」
──鬼の末裔たちは、ある時を境に、自分たちの言葉を禁じられた。
そして、その言語を話し続けた者は、“夜半に姿を消した”。
沙夜
「これは……単なる迷信じゃない。言語の抹殺よ……!」
彼らの母語は、この地で“存在してはならぬもの”にされた。
言葉を奪うこと、それはすなわち、記憶と文化そのものを消し去るということ。
◇ ◇ ◇
その夜。
私は秋政様にこの記録を見せた。
「……この“鬼の言葉”とされるもの、本当に存在していたとすれば……」
「実在した。いや、“している”かもしれぬ」
秋政様の声は静かだった。
だが、目はわずかに揺れていた。
「実は、わが家にはもうひとつ……御神体として保管されている“文字板”がある。解読不能の奇妙な板だ」
私は思わず身を乗り出した。
「その文字、見せていただけますか?」
秋政様は頷き、奥の蔵から、風呂敷に包まれた黒ずんだ木板を持ってきた。
そこには、線と点が組み合わされた奇怪な模様――
まるで絵と文字の中間のような文様が、縦に連なっていた。
沙夜
「これは……象形文字? いや、もしかして……古代ツングース系か、騎馬民族系の文字体系……?」」
文字板には、小さく「温羅守之図」と刻まれていた。
秋政「この板は、先祖が“温羅の残骸”と共に持ち帰ったと伝わる」
その瞬間、私は気づいた。
この板こそ、温羅たちの“言語”が遺された唯一の痕跡なのだ。
◇ ◇ ◇
数日後。
私は再び、吉備津神社の老神官を訪ねた。
文字板を見せると、神官は息を呑んだ。
「……これは、“サヒラ”の印。渡来の民の秘文……」
「“サヒラ”? 聞いたことのない言葉です」
「それは、おそらく“司る者”を意味する古語。この地に来た者たちは、鉄と火の技を持ち、言葉と共に神を運んできた。だが――」
神官は一拍おいて続けた。
「この国では“神”とは、畏れるものでなくてはならなかった。
“火を操る神”は恐れられ、“神を持つ者”は“鬼”と呼ばれたのだ」
私は、ぞっとした。
鬼は、信仰の形が違ったがゆえに、異端とされた。
言葉も、神も、技術も――すべてが“異質”という理由で封じられた。
◇ ◇ ◇
帰り道、私は小高い丘に立った。
夜風に吹かれながら、言葉を持たなかった“鬼たち”に思いを馳せた。
彼らの“語られなかった歴史”は、
今も、私たちの足元に、静かに横たわっているのだ。
そして私は、決意した。
この言葉を、私が記す。たとえそれが“禁忌”であっても。
言葉が記憶ならば、私がこの“鬼たちの記憶”を書き記す者となろう。