第七話 赤き目の民
「温羅の子は死せず。赤き目を持ち、夜を歩み、言葉を封じし者なり」
『古鬼記』に記されたその一文が、目に焼きついて離れなかった。
鬼は、退治されたのではない。封じられ、そして、今もこの地に息づいている――
私は、眠れぬまま夜を越え、朝を迎えた。
秋政様は何も問わず、ただ「焦るな」とだけ言ってくれた。
だが焦りはあった。
もしも“赤き目の民”が実在するのなら、いつまでもこちらを見逃してはくれないだろう。
それは、彼らにとってもまた、口をつぐんできた世代の記憶を脅かすことになる。
◇ ◇ ◇
その日の午後、城下の薬売りの老婆が、ひそひそ声で話しているのを聞いた。
「……あの家の子、また熱を出したらしい。目が真っ赤でな、まるで“鬼の子”だと」
私は思わず立ち止まった。
「“鬼の子”ですか?」
老婆はぎょっとしたようにこちらを見たが、私が秋政の妻だとわかると、慌てて頭を下げた。
「お、お許しを。ほんの村噂でございます……西谷の村の子どもが熱病で……それだけのことで……」
西谷――
以前、老婆の守人に出会った祠のある村の名だった。
「私、その子に会いに行ってもいいかしら?」
老婆は戸惑いながらも、小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
西谷の村は、夏草に埋もれるように、山の中腹にあった。
その最奥、杉の木立に囲まれた小屋に、目を腫らした少年が横たわっていた。
名を「瑛太」という。
母親は私を警戒したが、赤き目に動じない私の姿に、やがて打ち明けてくれた。
「この子は……生まれたときから、目が赤いのです。夜目が利いて、光にも敏感で……だから、村では“鬼の血”とささやかれて……」
沙夜「病ではありませんね。これは、生まれつき?」
「はい……それだけで、忌み子として扱われてきました」
瑛太の赤い目は、確かに異様だった。けれど、不気味ではなかった。
澄んだ深紅の瞳は、不思議とまっすぐこちらを見つめていた。
「ぼく……夢で見るんです。大きな砦。石の階段。赤い布を巻いた男が、ぼくに言うんです――“言葉を捨てろ”って」
沙夜「砦……それは、鬼ノ城?」
瑛太は小さく頷いた。
この子は、“記憶”を継いでいる。
血と共に、温羅たち異郷の民の何かを――
「奥方様……この子は、温羅の子孫なのでしょうか」
菊がぽつりとつぶやいた。
私は、それにすぐ答えられなかった。
だが、ある仮説が胸に浮かんだ。
「鬼」とは、征服された民の“呼び名”であると同時に――
“異なる言葉”を話す者たちだったのではないか。
言語の壁が、文化の断絶を生み、そして恐怖と排除に変わった。
“言葉を捨てろ”という夢は、自らのルーツを守るために沈黙を選ばされた記憶――なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
その夜。村を離れようとしたとき、あの老婆の守人が再び現れた。
「……見たな、赤き目を」
沙夜「はい。でも、恐ろしくなどありません。あの子はただ――」
「血は、受け継がれる。忌まわしくも、誇らしくもある」
老婆の声は震えていた。
彼女は、瑛太の祖母だったのかもしれない。あるいは、かつて同じ目を持っていた者か――
「忘れるな。鬼は、いまもこの地に生きておる。おまえの足元に、息づいておる。
だが、それを“語る”ことは……誰かにとって、争いを招く」
その言葉に、私は胸が締めつけられた。
“歴史は記されるべきか、それとも封じられるべきか”――
その問いが、はっきりと形を持ちはじめた。