第六話 口をつぐむ者たち
「今夜、誰かが奥方の部屋の外を通ったと?」
秋政様は眉をひそめた。
「はい。気のせいではないと思います。足音が、二度……決して見回りのものの歩き方ではありませんでした」
私は慎重に言葉を選びながら話した。
あの夜、“鬼ノ城”から帰った直後の異変は、ただの偶然ではない。
「誰かが、あの遺構のことを知っていて、近づいた私たちを牽制してきた……そう思えてなりません」
秋政様は黙った。
やがて重い声でこう言った。
「……やはり、お前には話しておくべきかもしれぬ。吉備には、“封じの掟”というものがある」
「封じの……掟?」
◇ ◇ ◇
それは、秋政家の先祖がこの地を治め始めた時から、代々密かに受け継がれてきた口伝だった。
“鬼の墓所には近づくな。吉備の古城に触れるな。異声を耳にしても返すな”。
「何百年も前から、吉備の支配層は“鬼の記憶”に蓋をしてきた。異郷から渡ってきた者たちが残した文明の痕跡も、歴史も――全て、忘れられるべきものとして」
私は、背筋がぞくりとするのを感じた。
語り継ぐべき歴史が、語ってはならぬ禁忌に変えられていた。
「……では、私たちが“あの骨”を見つけたことは……」
「間違いなく、誰かの逆鱗に触れた。おそらく、神官の一派か……あるいは、口伝を守る“民間の守人”かもしれぬ」
民間の守人――。
私は以前、村で見かけた「古い衣装をまとった老婆」の顔を思い出した。
話しかけても返事をせず、ただ祠の前で古語のような言葉をつぶやいていた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、私は菊を伴って村のはずれへ向かった。
あの老婆に、もう一度会うために。
小さな祠の前、風に揺れる杉の枝の下。
彼女は、今日も静かに石を並べていた。
「……ごめんなさい。前に声をかけたの、覚えてますか?」
老婆はしばらく黙っていたが、ふいに、口を開いた。
「鬼の……棺に触れたのは、おまえか」
その声は、かすれてはいたが、確かな怒りを帯びていた。
「その者たちは、もう忘れられておる。封ぜられた。掟を破れば、村に災いがくる」
「でも……彼らは、人だったのでは?」
老婆は、目を細めた。
そしてぽつりと、こんなことを口にした。
「鬼は、鬼になったのじゃ。人々が“そう呼んだ”ゆえにな。
だが、鬼の子孫はいまもこの地に、生きておる。
口をつぐみ、名を伏せ、山に入り、声を殺して……な」
私は息をのんだ。
――鬼の血が、この吉備に今も……?
「奥方さま……やはりこれは、ただの昔語りではありません」
「ええ。そして、これはまだ“入口”なのよ」
鬼は、ただ退治されたのではない。
この地の“中に”、今もなお、その痕跡は息づいている。
その日の夜。
私は書庫で、古い文書を見つけた。秋政様の家に代々伝わる私家記。
『古鬼記』――鬼と呼ばれし者の記録。
最初のページに、震える筆致でこう記されていた。
>「温羅の子は死せず。赤き目を持ち、夜を歩み、言葉を封じし者なり」