第四話 吉備の地に封じられしもの
鬼火が現れなくなってから、三日が過ぎた。
戦のない日々が続き、城下もどこか穏やかな空気に包まれている。
だけど、私はあの夜の「少年の影」と「鬼火の言葉」が忘れられなかった。
――「兄さまの魂が、ここで待ってる」――
鬼という存在は、本当にただの怪異なのか。
それとも、そこに人の心や、歴史が関係しているのではないか――。
◇ ◇ ◇
その日、私は「吉備津神社」へ向かっていた。
城から馬で一刻。山のふもとにあるその社は、神職の間では「鬼退治の社」と呼ばれ、かつて吉備津彦命が“温羅”という鬼を討った場所とされている。
「ここに、鬼が封じられていると聞いて……」
私は、神職にそう尋ねた。
すると、白装束の老神官は小さくうなずき、こう言った。
「封じられている、というよりも……忘れられようとしておるのです」
「忘れ……?」
神官は、拝殿の奥にある石室へ案内してくれた。
そこには、石棺のような大きな岩と、うっすらと掘られた文字があった。
「これは、“温羅”と書いてあるのでしょうか」
「はい。“うら”――かつて、吉備の地に住んでいた異郷の民の名です」
神官の話によれば、“温羅”は大陸から渡ってきた技術者の一族で、かつてこの地に築いた城を拠点に、独自の文化と技術で繁栄していたという。
だが、時の朝廷にとって、それは“異質な存在”だった。
力を持つ異族は、時に“鬼”として語られる。
「彼らは“討たれた”のではなく、“語り直された”のです。鬼として」
私は、息を飲んだ。
つまり、温羅とは“悪しき化け物”などではなく、吉備に根ざした別の歴史だったのかもしれない。
それが、いつしか“征服の物語”の中で、“退治されるべき存在”に書き換えられた――。
そして、鬼火。
あの青白い光は、忘れ去られた誰かの記憶――あるいは、その“語られなかった歴史”の亡霊だったのではないか。
◇ ◇ ◇
その帰り道、私は偶然、秋政様と出くわした。
彼は城下の古井戸を視察に来ていたらしい。
「……お前が神社に行っていたことは、家臣から聞いている」
「はい。どうしても、鬼のことが気になって……」
秋政様はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「我が家は、この地を治めるようになって三代。だが、その前にこの地に何があったか、誰も語りたがらぬ」
「だからこそ、知りたいと思ったのです」
私の言葉に、秋政様はわずかに目を細めた。
「戦の世にあって、忘れられるべきことと、語り継ぐべきこととがある。……お前は、どちらを選ぶ?」
私は迷わず、答えた。
「語られるべきものが“鬼”として黙らされたのなら、私は、それを聞きたい。聞くべきだと思います」
風が、草をゆらした。
秋政様は、それを見やりながらぽつりと言った。
「……ならば、ある場所に案内しよう。“鬼”と呼ばれた者たちの痕跡が、いまだ残る地だ」
私は、頷いた。
鬼とは、何者なのか。
なぜ語られ、そして消されたのか。
戦乱の世の奥底に沈む、失われた記憶の糸を、私は少しずつ、たぐり寄せていた。