第三話 鬼火は夜風とともに
戦国時代に転生して、一番怖いのは――戦じゃない。
戦じゃないんですよ、ほんとに。
夜です。
とにかく夜が怖い。明かりがろうそくしかないし、虫の声と風の音だけが耳に残る。静かすぎて、何かが近づいてくる音がすごくリアルに聞こえる。
そして今夜は、特別に――不気味だ。
「奥方様……本当に、おひとりで大丈夫で?」
「うん、大丈夫。……菊さんこそ、無理しないで、もう休んで」
私は、館の裏手にある小道を一人で歩いていた。
目的地は、噂の“鬼火”が現れたという井戸のあたり。
もちろん怖い。でも、放っておけない。
ここはもう、私の暮らす“世界”なのだから。
◇ ◇ ◇
井戸場についたのは、亥の刻(午後10時ごろ)を回ったころ。
あたりは静まりかえっていて、ただ風が梢を揺らしていた。
「……ほんとに、何もな――」
ぶゎ、と風が巻いた瞬間だった。
闇の中に、青白い光がふわりと浮かんだ。
それは、人の頭ほどの大きさの光球で、炎のようにゆらゆらと揺れている。
しかし燃えているのに、熱がない。音もしない。……ただ、そこに在るという存在感だけが、ずしりと空気を重たくしていた。
「鬼火……って、これ、ほんとに……?」
私はそっと、歩を進めた。
そして、もう一歩近づこうとした瞬間――
ガサッ
背後の藪が揺れた。
「ひっ……!」
慌てて振り向くと、そこには一人の、子どものような影が立っていた。
髪はボサボサで、顔は汚れ、布のようなものを体に巻きつけている。
目が、光の中でぎょろりと光った。
「……おまえ、だれ?」
私はとっさに答えた。
「わ、私は……この館の奥方……」
影は、黙って鬼火を指差した。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「これは……兄さまだ」
「え?」
「戦で死んだ……兄さまの魂。ここで……まってる」
そう言ったきり、少年はふらりと闇に消えた。
鬼火も、それに続くようにふっとかき消え、風だけが残された。
◇ ◇ ◇
翌朝、私は秋政様に報告した。
鬼火は、どうやら“人の記憶”が形をとったものだったのかもしれない。
「この土地には……戦で命を落とした者たちが、まだ眠れていないようです」
「……無念の者は、時に形を持つ。そういう言い伝えは、ある」
秋政様は静かにうなずいたあと、ふとこんなことを言った。
「そなたは、時折おかしなことを言う。まるで、別の世界から来た者のように」
ドキリとした。でも、彼の目は優しかった。
「それでも――この吉備の地にとって、そなたは“答え”になるやもしれぬ」
その夜から、鬼火は現れなくなった。
けれど私は思う。夜の闇は、ただ暗いだけじゃない。
そこには、忘れられた思い、言葉にならなかった心が、ただ静かに、漂っているのだ。
――徒然なるままに、鬼もまた、何かを語ろうとしていたのかもしれない。