第二話 戦国の朝は、炊きたての米と女の政治
――朝五時。
鶏の鳴き声とともに、私は目を覚ました。
ふと、横を見ると誰もいない。ああ、そうか。戦国時代の夫婦って、夜は同じ寝間にいても、朝にはすぐ離れるんだっけ。
それにしても……。
「この布団、藁の匂いがする……うん、時代感じる」
寝起き第一声がそれってどうなの、私。
でも、これが今のリアル。どうやらこの城――「高松の館」というらしい――では、日の出とともに動き出すのが当たり前のようで、奥方である私にも“仕事”があるらしい。
えっ、戦国の奥方って何するの? 刺繍? 茶? それとも、鬼退治?
「奥方様、お目覚めでございますか」
障子の向こうから声がした。家臣の娘で、私の世話役としてついてくれている“菊”さんだ。たぶん十六歳くらい。しっかり者で、私より全然、時代に適応してる。
「おはよう、菊さん。今日って……何か、予定ある?」
「ええ、本日は朝餉のあと、城下の巡視でございます」
――巡視?
「……それって、行かなきゃダメなやつ?」
「はい。奥方様のお言葉で、米の配給や井戸の水量が決まることもありますので」
ああ、うん。聞かなかったことにしたい。
つまり私は、城主の妻として、戦国の“地域政治”に参加しているのだ。
この世界、めちゃくちゃジェンダーフリー……いや、逆に容赦ないな。
◇ ◇ ◇
朝餉をすませて、菊さんに着物を着付けてもらい、私は館の裏手にある城下の「井戸場」へ向かった。
田畑の周囲には、朝から農民たちが集まり、米の分配をめぐって話し合っている。井戸の水量が少ないと、田植えや生活に影響が出るから、これはけっこう重要な問題らしい。
「奥方様のお考えを、お聞かせ願えますか」
無理。無理すぎる。
私、井戸の水の量とか測ったことない。田んぼなんて、遠足でしか見たことない。
でも――
「井戸は自然のものでございます。あるがままに受け止め、無理に争わず、時に譲ることもまた、恥ではありませぬ」
あれ? 口から自然と『徒然草』の一節が出てきた。
すると農民たちは、顔を見合わせて「ははあ……さすが奥方様」「仰るとおりで」と、うなずき始めた。
……え? いけた?
『徒然草』の知恵、意外と万能かもしれない。
◇ ◇ ◇
午後になって戻った私に、秋政様――つまり夫――が声をかけてきた。
「今日の巡視、よくやってくれたな。井戸場の件、聞き及んでいる」
「え、あ、はい……なんとか、無事に……」
「“譲ることもまた、恥ではなし”――とは、良き言葉だ」
――あれ、まさか、ちょっと褒められてる?
戦国時代って、怖いだけじゃないかも。
そしてこの人……表情は固いけど、意外と、ちゃんと人の話を聞くタイプなのかも。
でも、その夜。
菊さんがぽつりと、こう言った。
「奥方様、最近、城のまわりに“鬼火”が出るという噂が広がっております」
鬼火――つまり、鬼の仕業?
吉備津彦命と鬼ノ城の伝説。かつてこの地に住んでいたという“温羅”の話。
そういえば、徒然草にも怪異や怪談の記述があったような……。
「もしかして、それも――私の仕事ですか?」
「はい。奥方様は、“外から来られたお方”ですので……」
あ。バレてる?
私が“この時代の人間じゃない”こと……。
そんな、徒然なるままじゃ済まされない気配が、夜の闇の中で、ふわりと立ち上っていた。