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第5話 夜明け前のドリフト②

 霧の深い峠の後半、魔獣の脅威から脱したとはいえ息をつく暇もなく、クロエとミレイは再びコーナーの攻防に突入する。もはや他の参加者は視界にない。命懸けの場を乗り越えた二人だけが、この危険地帯の先頭を走っているかのようだった。


「互いに足を引っ張り合うどころか、連携までしてしまうなんて……」


 クロエの胸中には複雑な感情が渦巻いている。あの配達馬車ごときが自分を助けたと思うと、プライドが疼く。一方で、もしあの瞬間ミレイの車輪が魔獣に飛び込んでいなければ、クロエの馬車は確実に大ダメージを受けていたかもしれない。つまり自分は、あの少女に救われたのだ。


「……借りを作ったわけね。だけど……」


 前方の闇を(にら)みつけながら、クロエはアクセルを再び踏み込む。


「勝負は別。それが峠というものよ」


 車輪が悲鳴を上げ、漆黒のボディが再び闇に溶け込むように姿勢を低くする。


 ミレイもまた、先ほどの連携は一時的なものでしかないと理解していた。クロエを助けて、逆に助けられた。それでも目の前には峠の続きがあり、一度でも気を緩めれば崖下へ落ちる恐怖がある。今はただ、クロエに追いつくことだけを考える。


「逃がさない……追いついて、勝負するんだから……!」


 木製の車体はまるで羽ばたくように揺れ、霧と夜風を切り裂いていく。細かいチューンが功を奏し、車輪のスリップを最小限に抑えながら加速できるのだ。コーナーでは馬車自体がわずかに浮くような感覚すらあり、もはや配達用とは思えないほど洗練された動きを見せている。


 そうして峠の終盤。コースは最後の急勾配とヘアピンカーブを連続させ、ゴールエリアへと続いていく。そこにはライナスや多くの貴族たちが待ち構えており、魔物騒ぎに動揺しながらも、トップを狙う走り屋が誰なのか見極めようとしている。


 ライナスは腰に手を当てながら霧の中を見つめ、その姿をまだ現さない二台の馬車を待ちわびていた。ほかの参加者が何台も戦線離脱する中、二人の姿だけがまったく見えないのだ。


「大丈夫かな……クロエにミレイ、二人とも無事だといいが……」


 そう思いつつも、ライナスの瞳にはむしろ期待の色がにじむ。もし二人が魔獣の脅威を乗り越えてここまで来るなら、まさに限界を突き抜けた走りを披露してくれるはずだ、と信じているのだ。


 そして静寂を切り裂くように、まずは漆黒の馬車が飛び込んでくる。霧をまとったままの車体が、魔導石の光を闇に散らしながらヘアピンカーブを駆け抜ける。信じがたい速度だが、クロエはまったくブレーキを緩めず、車体を横滑りさせながら直線へ抜け出そうとしていた。


 続いてほんの一呼吸遅れて、木製の馬車が姿を現す。派手さはないが軽やかな動きでコーナーをクリアし、クロエの後ろにつける。その様子を目の当たりにした貴族たちは、驚嘆と歓声が混じった声を上げる。


「来た、あれはクロエ様……!」

「でも後ろに木製の馬車……あの下町の娘が迫ってる!」


 二台は激しい競り合いを演じながら、ゴール地点へ突き進む。お互いを抜きたい、けれどそのわずかな隙を突いて抜くには、命懸けのリスクが伴う。あの魔獣との一幕を経た今、クロエとミレイはさらに闘志を煮えたぎらせているようだった。


「勝つのは私……!」

「負けるもんですか……!」


 二つの声なき叫びが、夜風に溶ける。最終コーナーをドリフトで回りきった瞬間、クロエの漆黒の車体がわずかに先行するように見えた。しかし、ミレイの馬車も軽さを武器に一気にアクセルを踏み、最後のストレートで速度を上げていく。


 ゴールエリアのランタンが(まぶ)しく光り、周囲の人影がざわめき立つ。クロエか、ミレイか――誰もが息をのんで行方を見守る。


 結果、二台はほとんど同時にゴールラインを駆け抜ける形となった。わずかにクロエが前だったか、それともミレイが追いついたかは、はっきりとは分からない。そもそも厳密な計測など行われていないため、周囲は混乱するばかりだ。


 クロエはゴールラインを越えたあと大きくブレーキをかけ、ハンドルを握り締めたまま深く息を吐いた。魔物との遭遇と、背後からの猛追。それらが重なり、さすがの彼女も高揚と疲労を同時に感じている。


 ミレイは少し遅れて馬車を停め、ハンドルを離す。全身が(ふる)えているが、それは恐怖よりも充実感によるものだった。


「やっぱり……クロエ様はすごい……」


 そう思いながら横を見ると、クロエと視線が交わる。そこには、敵意よりも何かを認め合うような色が浮かんでいた。


「……あなた、随分とやるじゃない」


 クロエは唇の端を上げ、まるで皮肉めいた笑みを浮かべる。だがその瞳には、確かな敬意が含まれているように見える。


 ミレイは息を整えながら、「クロエ様こそ……」とだけ返した。ほとんど同着だった勝敗など、もはや小さな問題に思えてくる。二人はあの魔獣と対峙し、互いを助け合い、そして全力で走り合ったという事実が何よりも鮮明に胸を熱くしていた。


 ライナスをはじめとした貴族たちは、状況を飲み込めぬまま歓声と驚きの声を上げる。クロエがトップだと言い張る者もいれば、ミレイを称賛する者もいる。だがそんな周囲の喧騒をよそに、二人の心は「走り切った」という達成感に満ちていた。


 魔獣の峠は、確かに危険を伴い命懸けだった。だが、その先で見えたものは勝敗を超えた深い尊敬と理解のような感情。互いの走りを真正面から認め合える存在に出会ったとき、人はこんなにも熱くなれる――そんな気持ちが、二人の胸に刻まれたのだ。


 こうして「魔獣の峠」の夜は、周囲の混乱を尻目に幕を下ろす。結果的に誰が一番かははっきりしないが、クロエとミレイは先頭を争い、魔獣という障害を乗り越えたという事実だけで、この夜会の主役となるに相応しかった。


 霧が徐々に晴れはじめ、夜明けを予感させる風が吹き抜ける中、クロエとミレイの馬車は静かに並んでいた。闇を割ってゴールへ至るまでの軌跡が、二人の胸に確かな絆を紡いでいる。


 勝敗よりも大きなものを見つけた二人。次に峠を走るとき、彼女たちはもはや単なる敵対者ではないかもしれない。互いの腕を認め合ったライバルとして、さらなる高みを目指すだろう。

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