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第3話 初の華麗なるバトル②

 一方、峠の先頭付近ではクロエの漆黒の馬車が華麗にドリフトを繰り返していた。月光に照らされながら急カーブへ突入し、驚くほどの角度で車体を滑らせる。普通なら姿勢を崩してしまうような限界域のドリフトも、クロエの操縦と魔導石の制御により難なくこなしている。それはまさに闇夜の中を舞う黒い蝶のようで、周囲の視線を奪うパフォーマンスだった。


「さすが、クロエ様……!」

「やっぱり峠では彼女が一番かもしれないわ」


 貴族仲間の歓声を耳にしながらも、クロエはただ前方を見据える。ライナスの姿は見えないが、どうせいつか前後を争うことになるだろうと予感していた。彼と互いに最高の走りで勝負をする――それこそが今夜の目的なのだ。そう思っていた矢先、視界の隅に木製の小さな馬車が見えた気がして、クロエはほんの一瞬だけ眉をひそめた。


「あれは……誰?」


 彼女が見とがめたのは、狭いコーナーを猛スピードで抜けてくる異端の馬車だった。地味な外見にもかかわらず、まるで軽々と坂を下るその姿に、クロエは苛立ちと好奇心がないまぜになった感覚を抱く。


 やがてコースのラインが合流する地点で、クロエとミレイの車体がわずかに併走する形となる。ランタンの淡い光の中、クロエはハンドルを切りながら目線だけを横にやる。そこにいたのは、緊張しながらも真剣な表情を浮かべるミレイだった。


「……下町の馬車?」


 思わず漏れたクロエの言葉は、ほとんど風にかき消される。対するミレイは、横目に見えた漆黒の馬車と華やかな衣装に息を飲んだ。まさか、あれほどの迫力を持った貴族令嬢が隣を走るなんて想像していなかった。峠の闇の中でも際立つ気高さと、確固たる技量に圧倒されそうになる。


 しかし次の瞬間、ミレイの馬車がコーナーで一歩前へ出る。車体の軽さを活かしてイン寄りのラインを切り取り、ほんのわずかだがクロエの車輪をかすめるように抜き去ろうとしたのだ。その一瞬の機転に、クロエは瞳を大きく見開く。


「こんな簡素な馬車に、抜かれる……?」


 自分が甘く見ていた馬車に、コーナーで先行を許すなど思ってもみなかった。クロエはすぐさまアクセルを踏み込み、ドリフトの角度を深く取って追いすがる。魔導石が一段と強い閃光を放ち、車体を加速させる。


 両者の車輪がギリギリまで迫り合い、いつ接触してもおかしくないほどの距離だ。だが、ミレイは配達で培ったバランス感覚を発揮し、冷静にハンドルを操作して逃げるラインを確保した。クロエもまた、その走りに戸惑うことなく、即座に修正して後ろにつく。息を詰めた攻防が束の間続き、闇夜を焦がすような激しい走りへと変わっていく。


「すごい……あの貴族令嬢の馬車と、木製の馬車が競り合ってる……!」

「どっちが先に抜け出すんだ?」


 コース沿いで見守る貴族たちが声を上げ、歓声とざわめきが広がる。クロエとミレイは互いに譲る気配を見せず、コーナーが連続する急坂を猛スピードで駆け下りていく。すでに細かいことを考える余裕はない。感じるのは、ハンドルを握る手応えと、馬車から伝わる路面の震動だけだ。


 しかし、その争いも次のヘアピンカーブで絡みが解ける。クロエが得意とする大きなドリフトで外側から一気に差し込んだところ、ミレイはインを取ろうとしたものの、コース上に置かれた魔導ランタンを避けるためにわずかに減速を強いられたのだ。その隙にクロエが前へ出て、ミレイはその後方につく形になった。


「やっぱりすごい……。あの人の馬車の動き、まるで踊っているみたい……」


 ミレイは追う立場となりながらも、クロエの走りに目を奪われる。スピードに乗ったまま、馬車がするするとコーナーを滑り抜けていく姿は、素人目に見ても別次元の技量を感じさせた。


 一方クロエは、わずかに優越感を取り戻しながらも、背後に迫る木製の馬車がまったく視界から消えないことに苛立(いらだ)ちを覚えている。普通ならここで置き去りにできるはずだというのに、ミレイの馬車はその軽快さを武器に、どこまでも食らいついてくる。


 その後も、いくつものコーナーを抜ける中で二人は密かな火花を散らし続けた。わずかな差の攻防が繰り返され、交互に前後を入れ替わるような場面まで生まれる。周囲の観客たちも目を奪われ、もはや他の馬車の動向を忘れてしまうほど、その緊迫したレースに釘付けになっていた。


 だが、峠のコースは長く、起伏が激しい。(ふもと)が近づくと複数の合流点があり、順位やライン取りが混雑することもしばしばだ。クロエが次のコーナーへ突入しようとした瞬間、別の馬車が横から割り込んできて一瞬ラインを塞ぐ。そのためクロエは減速を余儀なくされ、ミレイの馬車も巻き込まれる形となった。結果、二台とも思うように加速できず、隊列が乱れてしまう。


「くっ……」


 クロエが短く息を吐き捨て、ミレイは危うく衝突しかけた馬車に気を取られる。そのわずかな混乱の合間に、ほかの貴族たちの馬車が前後をすり抜けていき、順位関係が混沌とする。


 やがてゴールが近づく頃には、二人の馬車は大集団の中に紛れ込み、どこがトップなのかも判然としない混戦となっていた。闇夜の中、魔導ランタンの列がゴールラインを照らし、次々と馬車が通過していく。歓声が上がる一方で、明確な順位を見届けられるようなレース形式でもなく、結局は大雑把なタイム計測と個々の名誉を(たた)えるくらいで終わるらしい。


 最終的に、クロエとミレイのどちらが上位だったかは定かではない。周囲の貴族たちも、「漆黒の馬車はさすがだ」「いや、あの木製の馬車も相当すごいぞ」などと意見が割れている。クロエは舌打ちまじりにブレーキをかけ、ミレイも深いため息とともにハンドルを緩めた。


 火照った身体と熱い息を吐き出しながら、それぞれが闇の中で馬車を降りる。息が落ち着くにつれ、今何が起こったのか頭が追いついていないような感覚に襲われる。


 ランタンの揺れる光のもと、視線を交わしたクロエとミレイは、言葉を交わすことなく相手の存在を意識していた。クロエの瞳には、予想外の強敵を見つけたかのような鋭い光が宿り、ミレイは勝てるはずなどないと思いながらも、走りの世界の楽しさに胸を高鳴らせている。


「あなたは誰……?」

「すごい人だな……あの走り、どうやってるんだろう……」


 二人の心中には、互いに向けた疑問と意識が生まれていた。決定的な勝負はつかなかったが、わずかな時間で深い印象を残し合ったのは確かだ。


 こうして、ミレイの初陣となった夜の峠バトルは、混沌とした熱狂のうちに幕を下ろす。勝敗も明確でないまま、しかし観客や参加者の興味を一身に集めたのは、この下町の配達馬車と公爵令嬢の漆黒の馬車だった。何もかもが未知であったミレイは、驚きと達成感と、そして言いようのない悔しさを覚える。クロエもまた、不可解な相手に出会ったことで自尊心を揺さぶられ、さらに闘志を燃やしていた。


 夜の闇が深まる中、ライナスは遠目にその様子を眺めていた。今回は敢えて二人の走りを見守る立場に回り、直接介入せず、どんな化学反応が起きるのかを期待していたのだ。実際、初対面とも言える二人がまるで宿命のライバルのように火花を散らす姿に、思わず目を奪われる。


「やっぱり、あの子なら面白くなると思ったよ」


 そうつぶやくライナスの表情には、満足そうな微笑みが浮かんでいる。クロエの漆黒の馬車に対抗し得る存在を見つけた喜びと、まだ知られざる潜在力を持つミレイの今後への期待が混じっていた。


 こうしてミレイの初陣は、終わったようで終わりきらない余韻を残す。走り屋たちの夜会――派手な車体と魔導の風が入り乱れるその場で、地味な配達馬車が一際注目を浴びる結果となったのだ。誰もが「次はどうなるのだろう」と考えずにはいられない。


 ミレイ自身、馬車を降りたあとも心臓の鼓動が高鳴ったまま収まらない。人々のざわめきやクロエの不敵なまなざしが脳裏に焼き付き、あの漆黒の馬車をもっと追いかけたい、技を学びたいという不思議な欲求が湧き上がる。


「これが……夜の峠バトル、なんだ」


 熱くなった頬を冷ますために夜風を受けながら、ミレイは小さくつぶやく。勝ったとも負けたとも言えない混戦だったが、自分にもまだ伸びしろがあることを感じ取ったし、何より楽しいとさえ思える体験だった。


 一方クロエも、馬車を停めたあとでしばし沈黙している。闘争心を煽られる相手に出会うことは滅多になく、峠で常に高みを目指してきた彼女にとって、まさかこんな形で予想を覆されるとは想像もしなかった。


「下町の子娘……なのかしら」


 吐き出すように言ったその言葉には、不満と興味が入り混じった色がある。高いプライドを持つ自分に、それでも挑んできた馬車があった。木製で簡素な外見が、次回はどんな走りを見せるのか。クロエの胸にも、その問いが渦巻くのだった。


 夜はまだ更け切っていない。峠にはランタンの灯りと興奮冷めやらぬ歓声が響き続けているが、今夜の走りを終えたミレイの心には、次に走り出したときにもっと上手くなりたいという強い思いが芽生えていた。手応えも悔しさも入り混じる感情が、彼女を新たな一歩へと駆り立てる。


 そして、クロエ・ド・ベルベットという存在が、その情熱にさらに拍車をかけるだろう。華麗で攻撃的なドリフト、まるで闇夜を統べるかのような馬車さばきは、ミレイにとって想像を超えた圧倒的な世界だったからだ。


 こうして夜の峠バトルは、ひとまず幕を下ろす。しかし、まだ決着は何ひとつついてはいない。ミレイとクロエの視線が交差したあの瞬間に、二人の運命は大きく動き出したのかもしれない。貴族社会と下町という違いを超えて、二人の走りが再びぶつかる日は遠くない。


 闇の中、長い息を吐いてハンドルを離すミレイ。そして、冷えた夜風を受けながら車外に出るクロエ。どちらも満足しきれないまま、しかし妙な高揚感を胸に抱いていた。今宵、夜会の舞踏台に上がったばかりの二人は、間違いなく互いを強く意識している。次に峠を駆け下りるとき、さらに深い火花を散らすだろう――その確信だけが、熱を帯びたまま闇夜に漂っていた。

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