097.公爵とエルフの姫
「なんじゃと! エルフの姫がやってくるだと!」
「はっ、クレットガウ子爵閣下がエルフの姫君と談笑し、こちらへ向かっております。直に着くことでしょう。クレットガウ子爵からの伝言です。間違えても敵対するな。言葉を慎み、頭を垂れろ、だそうです」
「そんなことは言われずともわかっておるわ!」
ルートヴィヒはラントの放った先触れの話を聞いて大声を出した。それほど大事なのだ。長年樹海を守るルートヴィヒですらエルフには会った事がない。エルフが出てくるということはそれほどの大事が起きているということだ。
ルートヴィヒの勘は間違えていなかった。樹海で大事が起きているのだ。だが危険度を二段階は上昇させなければならない。何せエルフが出張ってきている。
クラクフ市が壊滅どころではない。ルートヴィヒの本拠地であるランベルト市ですら危ういかも知れない。それはつまり公爵領の壊滅だ。アーガス王国の国力は大幅に減じる事となる。笑うのは帝国だ。つまり今回の事も、帝国の策謀なのだろう。ルートヴィヒは確信した。
「お主ら、エルフの姫がクレットガウ子爵と共にやってくるらしい。間違えても剣を抜いてはならんぞ。跪き、頭を垂れるのだ。なにせエルフは我ら人族を救ってくれた恩がある。我らにとっては伝承や伝説でしかないが長い寿命を持つエルフに取っては少し前の出来事だ。我ら人族が恩を忘れているなどと思われてはならん。わかったか」
〈拡声〉の魔法を使ってルートヴィヒが激を飛ばす。
「「「「「はっ。必ず公爵閣下の言う通りに致します」」」」」
公爵騎士団、そして王都から来た第四騎士団、魔導士や魔法士たちはルートヴィヒの号令に従った。
当然だ。エルフの姫などに勝てる訳が無い。この場の全員がたった一人のエルフに皆殺しにされてもおかしくはないのだ。
だが斥候の報告ではラントとエルフの姫は交渉し、笑いながら喋っていると言う。更にエルフの姫はアーガス語も解すると言う。下手なことは言えない。伝わってしまうのだ。一言でも言葉遣いを間違えれば、即座に公爵家など潰れるだろう。
(クレットガウ子爵とエルフの姫君は友好的だという。それだけが救いだな。公爵騎士団が大挙して大樹海に潜っていたらエルフに侵略だと間違えられていたかも知れん。紙一重であったな)
ルートヴィヒは心の中で胸を撫で下ろした。
大樹海の奥に潜む魔物よりも恐ろしい存在。それがエルフだ。更に姫だと言う。とんでもないことが起きたとルートヴィヒは体を震わせた。
これほど恐ろしい思いをするのなどいつぶりだろう。まだ若い頃に樹海の奥にまで進んでしまい、敵わぬと思った魔獣と出会った時か。それとも帝国の侵攻をギリギリで凌いだ三十年前の戦争の時か。少なくともここ数十年覚えたこともない恐怖に囚われた。
(現れたか、本当にエルフだ。姫君かどうかはわからんが、明らかに魔力が異常じゃ。敵う気がせんの)
そうこうしているうちにラントたちの姿が見える。まずラントとエルフの姫君と思われる美しい女性が現れ、続いてヒューバートやヴィクトールと言った森に先遣隊として潜った者たちが森から出てきた。
ラントと彼らは五十メルほど距離が離れている。彼らもエルフが恐ろしいのだろう。気持ちはわかる。ルートヴィヒすら恐ろしいと思うのだ。
かなりの距離があるが膨大な魔力を隠しすらしていない。樹海ですら魔物がその魔力を感じて逃げ出すだろう。宮廷魔導士長であるハンスよりも強い。遠目で見るだけでもわかった。樹海の主の魔物が現れたと言われても信じられるほどの強大な魔力だ。
そしてラントはエルフの姫君と談笑しながら歩いている。一つの緊張もないように見える。
(大物じゃな。どうしてああ堂々としていられるのか。クレットガウ子爵には何か秘密があるのじゃな。そうでなければエルフ族は人族など意に介さぬ。虫を見るような目で見つめ、興味がなければ無視し、過ぎ去ると聞いている。つまりクレットガウ子爵はエルフの興味を惹く何かがあるのだ。だが問いただせん。クレットガウ子爵の秘術であろう。そうでなければ納得が行かん。むぅ、もう来るな。儂が最初に跪かなければ)
ルートヴィヒは覚悟を決めた。強大な魔物よりはまだ話せるエルフの方が百倍マシだ。ただし敵対しなければと注釈が付くが。
ラントたちが近づいてくる。ルートヴィヒはエルフの姫君に向かって跪いた。後方にいるものたちはその魔力の大きさに当てられて怯んでいたが、ルートヴィヒが跪くとすぐさま習った。
千を超える人間が一斉に跪く。国王陛下の謁見の間を見るようであった。
◇ ◇
「ランベルト公爵閣下。樹海を探索していた所、アールヴの姫君と遭遇いたしました。彼女の名はリリアナと言うそうです」
「リリアナじゃ。殊勝な事よ。面を上げることを許す」
リリアナがそう言ったがルートヴィヒ以外は全員顔を下げていた。ラントはルートヴィヒがきちんと皆に言い聞かせていてくれた事にホッとする。もしリリアナの癇に障れば大虐殺が起きてもおかしくないのだ。エルフは増えすぎた人族が多少減った所で気にはしない。
絶滅しようとしていた時に助けてくれたのは本当に危なかったのと彼らの気まぐれだ。今の増えすぎた人族が縋っても何もしてくれないだろう。
「ルートヴィヒ・フォン・ランベルトと申します。アーガス王国では公爵の位を与えられています。東の大樹海の氾濫からアーガス王国を守る任を国王陛下より預かっております。リリアナ姫様、そのご尊顔、拝謁できて光栄でございます」
「うむ、良きにはからえ。私は別にお前たちが死のうと生きようとどちらでも良い。森を穢さぬのであれば許そう。そのつもりはないな?」
ルートヴィヒは震えながら続けた。
「当然でございます。我ら人族はエルフの方々に受けた恩を忘れて居りませぬ。金銀財宝でも魔導の秘術でも国宝でも何でも差し出しましょう」
「そんな物は要らぬ。だが人族が森で悪さをしているぞ。それにはどう釈明する」
ルートヴィヒは堂々と答えた。流石公爵だ。手元に震えは見られるが声は震えていない。
「我らの敵国である帝国の仕業でしょう。同じ人族に見えるかも知れませぬが、我らは森を穢さぬ人族でございます。どうかお見逃しくださいませ」
リリアナは大仰に頷く。腕を組んでいる。とても偉そうにラントには見えた。いや、実際に偉いのだ。何せエルフの姫なのだから。アーガス国王、マクシミリアン三世陛下ですら彼女には跪くことだろう。
ラントは跪くルートヴィヒたちを見ながら考えた。ヒューバートやヴィクトールたちもいつの間にか合流し、跪いている。斥候に雇ったガンツもだ。
まるでラントに全員が跪いているように見えた。なにせラントはリリアナの隣で立っているのだ。話の邪魔はできない。だが一緒に跪くこともできない。だから隣で黙って見ている。
(よくぞ帝国もエルフに喧嘩を売るようなことをするものだ。命が要らんのか? それともこの程度ではエルフは出てこないと踏んだか? 流石に後者だろう。皇帝陛下は暗愚とは言われて居らん。むしろ英雄の資質があると言われている。帝国国民の心も鷲掴みにしていると聞く。俺が帝国に居た時代も治安は良く、良く治められていた。それとも皇帝の意を拡大解釈して功を逸った家臣が無謀な策を実行したのか? そうだな、その方が納得はできる。どこかの阿呆が馬鹿をやったのだろう。皇帝陛下には拝謁したことはないが、悪い噂はない。公明正大で、民を飢えさせることなく、魔境の氾濫にも精強な帝国軍で防いでいた。あの皇帝陛下がエルフを敵に回すような策を取る筈がない。ランドバルト侯爵家の反乱を即座に防がれて誰かが逸ったのだろうな。エーファ王国の魅了の策も俺のブローチとモノクルで破れた。運の悪いことだ。リリアナは特大の地雷だぞ)
ラントは帝国の指揮を取っている者に同情した。
「さて、ラント。お主がこの森の騒ぎをなんとかすると言ったであろう。私はそれを見守ることにしよう。確実に成功させよ。失敗すればわかっているな?」
「あぁ、わかった。俺は有言実行の男だ。なんとかしよう」
リリアナの視線が期待に満ちている。エルフの里の生活に飽きて居たのだろう。リリアナはまだ若い。外の世界を知りたいのだ。
たまにそういう好奇心旺盛なエルフが存在すると聞く。しかしそれがエルフの姫であるということが問題だ。族長である父エルフも頭を抱えているであろうことは間違いない。
ラントもなんとかすると言ってしまった手前、第四騎士団や公爵騎士団でなんとかして貰おうと思っていた予定が全部崩れた。
ラントの一挙手一投足がリリアナに見張られている。これは切り札を切らざるを得ない。ラントが手抜きなどをすれば即座に見破られるだろう。それは不味い。
「ランベルト公爵閣下」
「はっ」
「いえ、私にそこまで畏まられても困ります。公爵閣下、私は只の子爵です。頭をお上げください」
「だがリリアナ姫様が居られる。我慢せよ」
「仕方ありませんな。それでは公爵閣下とヒューバート、そしてヴィクトール、ガンツを残して解散せよ。陣地に戻り、天幕に入っていよ。これから作戦会議をする。お前らは要らん。解散」
ラントがそう言った瞬間、全員がすっと立ち上がって逃げ出すように陣地に戻っていった。指名されたヒューバート、ヴィクトール、更にガンツなどはもう顔面蒼白だ。
ルートヴィヒの執事だけは残っている。流石の胆力だ。主を死んでも守るという気概を感じられる。公爵を守る騎士団たちも残ろうとしていたが、公爵が「良い」と声を掛けて帰らせようとする。彼らが居ても意味はない。リリアナが殺そうと思えば全員死ぬし、そうでなければ全員生きる。そういう世界だ。圧倒的暴力とは全てを超越する。
「お前らも戻れ。儂は大丈夫じゃ。儂を誰だと思っておる。ハルバードだけ置いていけ。儂の得物じゃ」
ルートヴィヒがそう言うと公爵騎士団たちも退去する。どうであろうと氾濫は確実に起こる。その時に彼らの力を借りることになるだろう。
「リリアナ、強大な魔物が戦っても大丈夫な場所はあるか? 俺に策がある。一時的に森は荒れるがこれが一番早い。東の大樹海の木々はあっという間に成長する。一箇所荒れるくらいなら許してくれるだろう?」
「ふむ、策があるのならば仕方がないな。許そう。良い場所がある。それなりに拓けていて精霊樹とも我らの里とも遠い場所だ。ここから森の奥に行った場所だな」
「わかった。ガンツ、樹海の地図を持っているだろう。出せ」
「はい」
ガンツが樹海の地図を広げる。リリアナはその地図を見て地図から離れた一点を指で示した。ガンツの地図には載っていない場所なのだ。それが良い場所なのだろう。
「トール」
「ワン」
「この場所を探ってこい。そして北と南の魔寄せ香を回収してくるんだ」
「ワン!」
トールは呼ばれてすぐ影から現れ、樹海に走っていった。銀の閃光のようだった。
『ほう、シルバーフェンリルか。良い従魔を連れているな。私でも相対するには勇気がいる相手だぞ』
『おい、バラすな。隠しているんだ』
一発でトールの正体を見破られたラントは慌ててリリアナの口を閉じるように促す。一応精霊語で喋ってくれてはいるが精霊語を解す者が居ないとも限らない。慌てて遮音の結界を張った。