095.アールヴの姫
「クレットガウ卿、説明しては貰えんか」
「今は忙しい。後にしろ。死にたいのか。怒らせれば全滅するぞ。黙っていろ!」
ヒューバートの言葉にラントは強く返した。全員が黙る。エルフの言葉をわかる人族はここにはラントしか居ない。そしてまだ女性エルフとの話し合いは始まったばかりだ。こればかりはラントですらどう転ぶかわからない。一瞬で皆殺しにされてもおかしくない状況なのだ。
『ふふん、私は人族語もわかるぞ。私に通じぬとでも思ったか?』
『とんでもない。だが人族語がわかるのであればそちらで話しても良いか? 仲間たちが戸惑っている』
『いや、それではこちらの仲間に伝わらない。使えるのなら精霊語で喋れ』
エルフの女は命令口調で言ってくる。
『わかった。樹木の上に四人隠れているな』
『わかるのか。お前、精霊様の匂いがするな。もしや加護持ちか』
『ちっ、それは俺の切り札だ。少し前、雷の精霊の試練を受けたことがある。俺は精霊持ちだ。誰にも言うな』
『くっ、精霊様の試練だと。我らアールヴですら少数しか試練を潜り抜けた者などおらん。しかも雷の精霊様だと。雷の精霊様の試練は厳しい事で有名だ。それを潜り抜けたというのか。まだ若きヒトの身で』
エルフの女性は悔しそうに言った。ラントはニヤリと笑った。
『シヴァ。出てこい』
『は~い、ラント。愛しい子。久しぶりね、呼んでくれて嬉しいわ』
『まさかっ、本当に雷の精霊様。しかも大精霊様ではないか!』
エルフの女性はラントが呼び出した精霊のシヴァに驚く。他の四人はなぜか樹から降りてきて跪いた。それほどシヴァの威光は強かったらしい。
四人のエルフに気付いて居なかったのか、ヒューバートやヴィクトール、騎士や魔法士たちが驚いている。だがラントが黙っていろと言ったので彼らは静かにしている。
この中で精霊を見られるのは精々ヴィクトール程度だろう。ヒューバートも見られるかも知れない。通常は巨大な精霊力を感じることしかできない。しかも薄っすらとしか見えないはずだ。〈精霊眼〉がなければ精霊の姿は精霊が望まなければ見られない。そしてシヴァは姿を隠している。
ヴィクトールやヒューバートは五人もエルフが現れたことで固まった。彼らを怒らせたら確実に全滅することがわかっているのだ。騎士や魔法士たちは腰を抜かしてへたりこんでいるものもいる。それほどエルフとは怖い種族なのだ。だがまだ話せるだけマシだとラントは思った。
『わかったか? アールヴの民よ。我らは汝らを害するつもりはない。シヴァに賭けて誓おう』
『わかった。雷の大精霊様の加護を持ち、従えている御仁の言葉だ。信じるとしよう。おい、お前たちは下がって里に報告しろ。私はまだやることがある』
『姫様っ、それはっ』
一人のエルフが異議を唱える。
『大丈夫だ。私一人ならばどうとでもなる。これでも族長の娘で私も精霊様の試練を潜り抜けている。お前たちより余程強い。信用ならんか?』
『いえ、姫様がそうおっしゃるのであれば』
そう言って四人のエルフは姿を消した。一瞬だった。ヒューバートもヴィクトールもあまりの展開に追いついていない。ラントだって予想外だ。ここでエルフが出てくるとは思っても居なかった。
『いいのか、奴らは護衛だろう』
『私は一人であの四人よりも余程強い。父上が言うから彼らがついているだけだ。むしろ問題はお前だ。同族が精霊様に殺されるなどあってはならない。お前とは敵対できないな』
『最初から敵対する気はないと言っているだろう。誇り高きアールヴの姫よ。名前を聞いても?』
エルフの女は少し左上を向いて再度ラントに向き合った。名を教えるか悩んだのだろう。エルフの名は特別だ。真名はまず教えられないだろう。
『リリアナと呼べ。真名は教えぬ。お前の名前はなんだ』
『ランツェリン・フォン・クレットガウだ。ラントでいい』
とりあえず自己紹介まではこぎつけた。これで安全だろう。ラントは胸を撫で下ろした。
なにせエルフは超戦闘民族だ。千年を超える寿命を持ち、人族よりも遥かに高い魔法適正と魔力を持ち、更に〈精霊眼〉を持っている。
通常人族が使えない精霊魔法まで使う上に、その長い寿命を使って魔法どころか剣術や槍術、弓術など通常の人族では到達できない頂きまで昇る恐ろしい種族なのだ。
『そうか、ラント。ラント。ランツェリン・フォン・クレットガウはなかなか言いづらいがラントなら良いな。ラントと呼ぶとしよう』
『あぁ、構わん。俺もリリアナと呼ぶ。姫様と呼んで欲しいか?』
リリアナは首を振った。
『いや、リリアナで良い』
『そうか、助かるよ。彼らにリリアナを紹介しても?』
『構わぬ、ラントの仲間なのであろう。森を穢さないのであれば許そう』
人族は危険な時に助けて貰った恩がある。二重の意味でエルフには出会ったら逆らってはいけないとどこの国でも教えられる。貴族なら尚更だ。ハンターたちも厳命されている。
しかし通常エルフは人族の前に姿など現さない。それが出てきたということは、本当に樹海に異変が起きているという証左だ。
ラントは目の前のエルフが姿を現した事で、違和感であった異変を確信した。
ラントは一段落したと考え、ヒューバートやヴィクトールを向いて口を開いた。
「もういいぞ。彼女はリリアナ。エルフの姫様らしい。間違っても下手な口を聞くなよ。首が飛ぶぞ。彼女はアーガス語がわかるらしいからな」
「ふふっ、人族よ、ひれ伏すが良い。我が名はリリアナ。誇り高きアールヴのイシスの枝の族長の娘にして、風精霊様と水精霊様に親しき者。人族よ、まさか三千年前の大恩を忘れたとは言わんだろうな。疾く跪け。頭が高いぞ。ラント、お主は良い。精霊の試練を越えた人族など祖父ですら知らぬだろう。故に私と対等に話すことを許そう」
リリアナが美しいアーガス語で命令してくる。仕方がない。ラントが跪く様に命令すると彼らはラントの命に従って森の中で跪いた。
ちなみにラントは跪かない。精霊を従えていることでリリアナに認められているからだ。
ラントが精霊を、シヴァを従えているからラントはリリアナと対等に話をすることができる。だが他の奴らはどうか。ゴミカスにしか見えていないだろう。実際リリアナは一人でここに居る全員を即皆殺しにできるだけの力を持っている。
エルフとはそういう種族なのだ。更に族長の娘で精霊を従えているとなれば騎士団長や宮廷魔導士でも勝てはしない。あっという間に首と胴が離れるだろう。彼らもそのことをよく知っている。故にラントの命に従い、跪くのだ。
「ヒューバート、ヴィクトール。お前たちは立ち上がって良い。リリアナ、こいつらは俺の部下だ。許せ」
「「はっ」」
「部下か、ならば許そう。それで、森の異変だったか。魔寄せ香が使われているぞ。お陰で樹海の縄張りが大混乱だ。故に私たちが出てきた」
「そうか、魔寄せ香か。俺たちの国では禁忌の魔法具だ。それは大事だな。間違いなく帝国の仕業だろう。俺たちの敵国だ。すまんな、同胞が迷惑を掛ける」
リリアナは鼻で笑った。
「人族は同族でも争うのだったな。信じられん。勝手にやっていろ。だが我らには迷惑を掛けるな。別の場所でやれ」
「わかっている。そのつもりなのだが相手が森の事など気にしていないのだ。こちらは手出しもしていない。三百年前から袂を分かっている。だが奴らはまだ俺たちの国に未練があるらしい。厄介なことだ」
ラントは軽く帝国とアーガス王国の歴史や敵対していることを説明した。
「ふん、三百年などちょっと前ではないか。私が生まれたくらいの時だ。父上から聞いたぞ。人族の大帝国の皇帝は我らアールヴとは決して敵対しないと約束したとな。それを奴らは破ったのだな」
「そうだ、三百年もあれば人族は十から十五の代替わりがある。約束も忘れ去られたか、今代の皇帝が手段を選ばぬ奴なのだろう」
「嘆かわしいことだ。私自らの手で葬ってやろうか」
なかなか過激なことを言う。だがリリアナならば皇帝の首も取れるかも知れないとラントは思った。帝国は脅威だ。リリアナをぶつけられるならば勝機がある。今はまだアーガス王国単体では敵わない。エーファ王国も混乱している。それに今代の皇帝は本気のようだ。エルフたちの助力があれば助かるどころではない。
(三百歳か、若いエルフだな。だが舐めてはいけないな。シヴァの助力がなければ俺でも敵わんぞ。森の中で戦う相手ではないな)
「ふむ、汝らが森を穢さないか私自ら見張るとしよう。ラント、お前にも興味が湧いた。付いていくぞ、いいな?」
「あぁ、好きにしてくれ。ただし一人も殺してくれるなよ」
「誇り高きアールヴを何だと思っている。ドヴェルグ達蛮族などと一緒にするな」
エルフとドワーフは当然のように仲が悪い。ドワーフは鉱石を掘り、水を穢す。更に木を切って燃料にするのだ。森を愛するエルフと仲が良い筈がない。
例え魔境と呼ばれる樹海であっても、エルフに取っては庭のような物だ。平地ならラントも戦えるが森の中でエルフと戦いたいとは思わない。必ず腕の一本や二本犠牲になる。四肢を欠損するのはラントも嫌だった。再生の魔法薬は非常に貴重であるし、再生は激痛を伴うのだ。
ドワーフたちは北方山脈に里を作っていると聞く。エーファ王国の南西にある大山脈にも里があると聞く。当然大樹海に流れる雪解け水に鉱石が溶ける。
ドワーフたちもエルフほどではないが寿命が長い。彼らの確執は遥か古代から続いているのだ。流石のラントでもどうしようもない。
「クレットガウ子爵、戻りました。え、エルフ!?」
「ガンツ、よく戻ってきた。斥候たちも欠けては居ないな。彼女は協力者だ。森の異変を解決するのに手を貸してくれるらしい。間違えても無礼を働くなよ。イシスの枝の族長の娘らしい。要はエルフの姫様だ」
「ふん、我らアールヴをエルフなどと呼ぶとは人族は低俗なことだ」
「そう言うな。俺たちの言葉ではアールヴはエルフと呼ぶ、それだけのことだ。気にしないでくれ。悪気はないんだ」
ガンツは速攻跪いた。エルフに逆らって良いことなど一つもない。目さえ合わせようとしない。それは他の帰ってきた第四騎士団の斥候たちも同じだった。ラントはどう収集をつけようか頭を抱えた。