094.エルフとの邂逅
「あぁ、ラントはどうしているのかしら。それにしても甥っ子や姪っ子というのは可愛いものね、エリー」
「えぇ、マルグリットお嬢様。まだ幼い頃のマルグリットお嬢様を思い出しました。一つ違うだけで淑女教育や貴族教育の質が違うのでたった一歳でも大きく違うように見えますね」
「えぇ、五歳くらいまでは自由に過ごさせて貰えますけどね。六歳になればもう子供とは言われません。淑女なら淑女の。騎士なら騎士の教育が始まりますわ。簡単な魔法の練習も始まります。覚えることは山程ありましてよ。ヘルミーナもそろそろ淑女教育が始まるのではないかしら」
マリーとエリーたちは公爵城で大人しく待っていた。当の公爵は騎士団を率いて出ていってしまい、伯父であるヘルムートが公爵城を取り仕切っている。
マリーの伯父や叔父、伯母や叔母、そしてその子供たちである従兄弟や従姉妹。そしてそれらの子供たち。甥っ子や姪っ子たち。
王都では会えなかった嫁に出た従姉妹たちもいる。マリーが公爵城を訪れた時には会った事もない分家の子たちもいる。分家の者たちとも血は薄いが繋がっている。大体が祖父の側室の子であったり妾の子であったりして、分家の男子と縁組をするのだ。
流石に他領に嫁に行った者とはなかなか会えない。だが王都で会えた夫人にマリーの縁者は居た。公爵家は五代前の当主が好色でかなりの分家がある。多数の子を残したのだ。それは何十人とも百を超えるとも言われる。
何せ平民だろうが貴族の子女だろうが夫人だろうが気に入れば抱き、愛人にしまくった性豪なのだ。公爵家当主に文句を言える貴族や平民はそう居ない。
そしてヤればできる。沢山の公爵の血を引いた子が公爵領に溢れ、多くは騎士や魔法士になり、一部は認知され、一部は放置された。放置された者たちはハンターや傭兵などになって活躍したと言う。
故に今でもランベルト公爵家は分家の多い家だ。子爵号や男爵号なども幾つも持っているので分家には子爵家当主や男爵家当主も多い。公爵領ではハンターや傭兵も強い者が未だに揃っている。
良い事なのか悪い事なのか悩みどころだ。夫人や令嬢を強引に奪われた貴族家などには未だに恨まれていると聞く。ランベルト家は公爵だから文句を言えないだけで潜在的な敵貴族は案外多いのだ。
「甥っ子や姪っ子は可愛いけれど分家が多すぎるわ。ランベルト家がいくつあるのよ。曾お祖父様より前のご当主様は胤を撒きすぎよ」
「でもラント様も似たような事になっておりませんか? 本人の意思ではありませんが、公爵家、ランドバルト侯爵家、そしてベアトリクス様から送り込まれる女騎士や侍女たち。そして子爵家に雇われた侍女や使用人たち。私たちが知っているだけでもラント様が抱いた女は百ではききませんですよ。彼女たちが全員懐妊すればすごいことになります」
エリーが事実を述べた。その通りだ。ラントはその勇名を轟かせ、テールの麒麟児に恥じぬ魔法の腕を見せつけ、騎士団を叩きのめした。
故にラントに憧れる令嬢は多い。更に見目も良い。ラントに迫られて断る令嬢はそうそう居ないだろう。ラントは権力ではなく、自身の魅力で子女たちを魅了するのだ。
そして貴族の令嬢たちは強い男が好きだ。魔法でも剣でも、強い男の子を求める。それが家を強くする早道でもあるからだ。本能に刻まれていると言っても良い。
どれほど見目がよくても魔力のほとんどない平民など気にもならない。相手の魔力がどれだけ研ぎ澄まされているか、魔力量はどうか。そこに惹かれるのだ。魔力持ちは大概が顔立ちが整っている。例外はあまりない。故に平民などは放っておいても寄ってくるのだ。
「はぁ、ラントに会いたいわ。待っているだけと言うのは辛いものね」
「その間に魔力制御の練習を致しましょう。公爵家の魔法士もマルグリットお嬢様の魔力制御は素晴らしいとお褒め頂きましたよ」
エリーが熱弁する。確かにせねばならない。マリーが聖女であることは決してバレてはいけないのだ。だがマリーの想いはこの場に居ないラントに馳せていた。
(はぁ、ラントに会いたいわ)
マリーはラントの本気を知っている。あの時は真に恐ろしいと思った。それほど莫大な魔力だった。公爵家の生まれであるのに見たことがないほどで、桁が違うと肌で感じた。放浪の大賢者が弟子に取ったのもそれが理由だろう。
明らかに突然変異としか思えない莫大な魔力。そしてそれを操る能力。騎士にも負けぬ剣技。そして騎士団長や元帥さえ驚く戦略眼。それを実行する能力。先を読み、コルネリウスの命を二度も救ったとも聞いた。ラントには驚かされてばかりだ。
男に求められる者は全て揃っている。これでラントがモテない筈がない。更に子爵号まで持ち、魔導士であり、伯爵邸を貰い、金にも困っていない。完璧すぎて呆れてしまう。故にマリーもラントが他の令嬢に手を出すのを止めないのだ。ラントも男だ。滾る事はあるだろう。マリーが鎮めることは許されていない為に、他の女をあてがうしかない。
そして他の者たちもそうだ。ラントの素晴らしい血を一滴でも取り入れたいとどんどんと令嬢や女性を送り込んでくる。この流れは暫く止まらないだろう。他の公爵家も食指を伸ばして来るかも知れない。
「マリーお姉ちゃん、この本読んで」
「あらあら、いいわよ。じゃぁあちらのソファに座りましょう」
可愛い姪っ子がねだってきた。姪っ子の母親が困っている。彼女はマリーのことをマルグリット様と呼ぶのだ。子供が粗相しないか心配なのであろう。
だがマリーもそこまで狭量ではない。子供の多少の粗相くらい笑って許せるくらいの度量はある。
姪っ子が持ってきた絵本をゆっくりと読み聞かせながら、マリーはラントの事を想った。
◇ ◇
「ふむ、地脈の流れがおかしいな。明らかに歪まされている」
「地脈ですか」
「そうだ、霊脈や龍脈などとも言う。地面の下に流れる大きな魔力の流れのことだな。魔境は大概その魔力が強い場所にできる。魔物も魔力が強い場所を好む。強い魔物ほどより大きな魔力を必要とするからな。そうでなくては森などあっと言う間に食い尽くされてしまう。森が残っているのは奴らが樹木や草などではなく、魔物や魔力を喰って生きているからだ」
「なるほど」
ラントが説明するとヴィクトールがしっかりと頷いた。魔物学はあまり詳しくないのだろう。だが宮廷魔導士なのだ。地脈や霊脈は知っておいて損はない。ラントはヴィクトールに詳しく説明した。
今日は日帰りで様子を見るつもりで来ている。騎士二十名、魔法士十名。斥候を十名放っている。樹海がどうなっているのかの簡易的な調査だ。
だが樹海に入った瞬間、ラントは確かにおかしいと感じた。人為的な物を感じる。通常の氾濫の予兆ではない。
(これは本格的にまずいかもな)
氾濫とは縄張りを束ねる主たちが暴れることによって大概起きる。東の大樹海には十を超える大魔獣がいる。そしてそれらが別個縄張りを持ち、大樹海の中で魔物を食い散らかしている。だが時に縄張りを持つ主同士がぶつかり合うことがある。
そうなると大変だ。なにせ街すら吹き飛ばすような魔物がぶつかり合うのだ。周辺の魔物は余波で死んでは堪らないと浅い層に逃げ出す。すると浅い層に住む弱い魔物たちが樹海から溢れてくる。中層以上の魔物すら溢れてくる。場合に寄っては深層の魔物すら出てくる。それが氾濫だ。
主たちの戦いの決着が着くまで、氾濫は収まらない。クラクフ市があるのはその氾濫への対処と魔物の間引きだ。間引いて置けば氾濫の規模も小さくなる。他の魔境へ接する都市も同じだ。
クラクフ市には一級が二組いると聞いた。二級も四組いる。ならば魔物の間引きは十分されているだろう。ハンターギルドには多くのハンターが居た。問題はなさそうに見えた。だが確かに森の様子はおかしい。ラントの勘が警鐘を鳴らしていた。かなりやばい状況だ。
「公爵閣下の勘も侮れんな。地脈の事など知らんだろう。だが長年樹海を見ていたことでおかしいことを的確に見抜いたのだ。そして恥だとは思わずに国に救援要請を出した。慧眼だ。氾濫が起きてから救援要請を出しても間に合わん。クラクフ市は壊滅するだろう。ランドバルト市ですら危うかったかもしれんぞ」
ヴィクトールは驚いて聞いてきた。
「それほどですか」
「あぁ、ヴィクトールは大樹海は初めてか。かなりおかしいぞ。浅い層でこれだけおかしいという事は深い層では相当やばいことになっている」
「西の魔の森には入った事がありますが、確かに様子が違いますね」
「どうだ、ヒューバート卿。第四騎士団長の意見は」
ヒューバートは周囲を見回していった。
「地脈云々はわかりませんが明らかに通常の樹海とは思えません。通常の樹海には何回か遠征したことがあります。魔の森もです。ですが明らかに様子が違う。なんというかこう、ピリピリしていますな」
「それで良い。それだけわかれば十分だ。さて、一旦帰るか。公爵閣下たちにも報告せねば」
ラントたちが踵を返そうとした瞬間、圧倒的な魔力がいきなり現れた。
ラントが迎撃体勢を取る。遅れてヴィクトールやヒューバートが構える。騎士たちは圧倒的な魔力に恐れ慄いている。
『お前たちか、森を荒らしているのは』
そこに居たのは美しい森妖精族の女だった。金色の髪が風に揺れ、翠色の瞳を持っている。特徴的な笹穂耳を持っている。
おそらくラントしか理解できない精霊語で語りかけてくる。すぐさま襲われないのは僥倖だった。襲われていたらラント以外即全滅していただろう。ヴィクトールやヒューバートは惜しい。散らせたくない命だ。
エルフ族は樹海や魔の森に住み、集落を形勢している。精霊樹という大きな樹木を守り、大魔境の中でも余裕で暮らしている強力な種族だ。
既に弓に矢を番えており、腰に剣も佩いている。鎧は必要ないのかかなり薄い衣を纏っている。
ラントたちを警戒しているのがわかる。目の前の美しいエルフ以外にも森の樹の上に四人、潜んでいるのがわかる。
エルフ相手にこのメンバーで戦うのは無謀だ。少なくともラントは切り札を何枚も切らないといけないだろう。それでもラント以外は死ぬだろう。
(落ち着こう。奴らは話し合いができない相手じゃない)
ラントは敵対の意思がないことを示す為に両手を上げた。そして他のメンバーにも同じようにするように促す。剣に手を掛けていた者たちも剣から手を離し、両手を上げた。するとエルフも弓を下げた。話ができない相手ではないのだ。ラントはエルフたちがプライドが高く、面倒くさい相手であることを知ってはいるが、話せない相手ではないことも知っている。きちんと手順を踏めば良いだけだ。本来エルフは友好的な種族なのである。ただし高慢であるが。
(人族に取っては多大な恩がある相手だしな)
人族が魔物の脅威で滅びかけていた時、助けてくれた種族の一つがエルフ族だ。人族にとっては恩人と言える。
実際に絶滅しかけていたという記録が残っているのだ。その時人族は大陸全体で数万人まで人口を減らしていたという。少なくともこの大陸の人属は一度絶滅寸前まで陥ったのだ。
当時の獣人族やエルフ族、ドワーフ族、鬼人族、竜人族などが助けてくれなければ人族はこの大陸で生き残ってはこられなかった。
眼の前のエルフ、彼女らは生まれながらの戦闘種族だ。人族の魔力持ちなどよりも遥かに強い。貴族でも余程でないと勝てない。勝っているのは繁殖力だけだ。
エーファ王国の南西には獣人族の国がある。中堅クラスの国が多くあり、種族毎に棲み分けていると言う。争いはなく、領土的野心もない。故にエーファ王国の南西は安全だ。ただし国境は魔境になっているので魔物の氾濫がなければ、だが。
『誇り高きアールヴの姫よ、この邂逅に精霊に感謝しよう。我らは森を荒らすつもりはない。むしろ何故森が荒れているのかを調査しに来たのだ。敵対するつもりはない』
『ふむ、お前、精霊語が喋れるのか。珍しいな』
『師に叩き込まれた。複雑な言葉はわからんが、普通に会話するくらいならできる』
エルフの女はフンと鼻で笑った。高慢なエルフらしい態度と言える。
マリーとは違う意味で絶世の美女だ。ただし特大の毒がある。手を出すのは命知らずとしか言いようがない。それがエルフという種族だ。
それがラントたちとエルフの姫、リリアナとの邂逅だった。