089.行程
「第四騎士団、出立。準備は完璧か? 一つの欠けも許さぬぞ」
ヒューバートは一個大隊、騎士百六十名と大隊長、中隊長たち、更に従騎士たちに声を掛けた。大きな声で完璧に準備がされていると報告が上がる。
「よし、ではクレットガウ子爵の命令を待つ。王城前の広場で待機だ。輜重隊、遅れるなよ」
「はっ」
一個大隊とは言っても騎士だけで構成されるわけではない。治癒魔法士も居れば騎士には必ず従騎士がついている。更に魔法士団も居る。宮廷魔導士まで出張っている。輜重隊も居る。大体倍以上の人数が居ると言って過言ではない。更に魔法士たちにも見習い魔法士たちがついている。魔法士の世話をしながらその魔法を見て盗むのだ。故に全体で五百人ほどの規模になる。
「これはヴィクトール卿、そなたが呼ばれていたのか」
「ヒューバート卿、共に仕事をするのは久方ぶりだな。ハンス閣下からのご指名だ。それにクレットガウ子爵の元に居れば魔導の真髄を見られるぞ。彼は宮廷魔導士の誰よりも魔導に精通している。俺は次代の宮廷魔導士長などと呼ばれているが、クレットガウ卿が宮廷魔導士に入ればたちまちハンス閣下は安心して引退し、クレットガウ卿に長の座を渡すだろう。だがどの宮廷魔導士も文句一つ言えん。宮廷魔導士は実力が全てだ。誰が彼に敵うものか。あの若さで最低でもこの国最高の魔導士と呼ばれるハンス閣下と同等だぞ? 俺はこの眼でしかとみた。あれほどの御仁、大陸全体で百年に一人産まれるか否かと言うほどの英傑だ。宮廷魔導士長ですら役不足だろう。彼は世が世なら王にすら成れる器だと俺は見る。彼ならば全ての貴族が、臣民が、忠誠を誓うだろう」
ヒューバートはヴィクトールのラントへの評価に驚いた。確かに勇名は轟いている。第四騎士団も鍛えてくれている。だが次代の俊英と呼ばれるヴィクトールがそれほど褒め称えるのだ。只者ではない。ヒューバートはラントへの認識を改めた。彼は宮廷魔導士の心すら既に掴んでいるのだ。
「皆のもの、待たせたな」
そしてそのラントが颯爽と現れる。絵になる男だと思った。
全員が一斉に敬礼した。一糸乱れぬ統率だ。魔法士団も同じだ。見かけだけの敬礼ではなく、敬意を持った敬礼だ。爵位は子爵だが彼の命令は絶対だ。ヒューバートは自分の騎士団たちに徹底的にそう言い聞かせて置こうと改めて思った。
「皆揃っているな。今回はランベルト公爵閣下の要請で東に行くことになる。東の樹海だ。でかい魔境だぞ。凶悪な魔物がいる。だがお前たちならそんな魔物も敵ではないだろう。そうだな? 何の為に鍛えている? この時の為だろう。存分に腕を振るえ。魔物を倒し、公爵閣下に恩を売る絶好の機会だ。逃すなよ。ただし無駄死にはするな。お前らの教育費にいくら国費が掛かっていると思っている。危ないと思えば退け。敵前逃亡などと小さいことは言わん。危ないと思えば俺を呼べ。ヒューバートを呼べ。ヴィクトールを呼べ。必ず倒してやる」
「「「はいっ」」」
五百を超える声が一斉にあがる。
「そしてランベルト公爵閣下の孫娘であるマルグリット嬢もついてくることになった。だがお前らは気にしなくて良い。マルグリット嬢は俺が守る。公爵家騎士団もついている。ただし王国の至宝と呼ばれている姫君だ。無礼は許さんぞ」
「「「はっ」」」
全員が興奮している。なにせ王国の英雄が今回の遠征を統率し、茶会にも夜会にもなかなか顔を出さないと噂のマルグリットが一緒に来るというのだ。騎士たちも魔法士たちも一目で良いからその吟遊詩人すらこぞって歌うその美しさを見たいと思っているのだ。
ヒューバートは苦笑した。彼らの気持ちがわかってしまうのだ。
ヒューバートは流石にマルグリットに夜会で会った事がある。
なんと美しい姫君かと思った。王女と言われても遜色がない。実際王女殿下たちとは従姉妹の関係にある。血筋はこの国最高に高貴だと言って過言ではない。何せ現公爵閣下の孫娘であり、ベアトリクス王妃殿下の姪であり、コルネリウス王太子殿下の従姉妹なのだ。これを高貴と言わずして誰が高貴となるだろう。現職の宰相や大臣、侯爵ですらそれほどの高貴な血筋ではない。公爵家は王家の血筋を定期的に取り入れているのだ。王家に最も近い一族だ。
更に隣国のエーファ王国のブロワ公爵家の娘でもあらせられる。
ヒューバートも夜会で一目見ただけで虜になった。あれほど美しい女性がこの世に存在するものかと目を疑った。それほど神々しかった。女神が降臨したのかと幻視した。そして在りし日のアンネローゼを思い出した。マルグリットの母親であるアンネローゼも夜会で意識せずとも中心人物になっていたものだ。王国の至宝と呼ばれた所以だ。
そして彼女がラントに恋心を抱いていることを一目で見抜いた。二人が踊る姿は夜会で常に注目される。美男美女で優美に踊るのだ。夜会の主役は彼ら二人だと言ってもおかしくはない。夜会を開催した者たちも、彼らが参加するだけで株があがるのだ。
(ふふふっ、この任務、厳しいだろうが楽しいものになるだろう。俺も存分に腕を振るい、クレットガウ子爵に認めて貰うとしよう。そして噂に違わぬその腕前、魔物相手での戦いを存分に見させて貰おう。人相手と魔物相手は勝手が違う。だがクレットガウ子爵は魔物狩りも得意としているという。その腕を見られることに感謝しなくてはならんな)
ヒューバートはラントのことを見つめ、ニヤリと笑った。
◇ ◇
「こうやって一緒に出かけられるのは嬉しいと思いますわ」
「あぁ、急ぎではあるが規模がでかいからな。どうしても行程はゆっくりになる。どうせ移動の間はやることはない。マリーとゆっくりと話せて良いな」
「あら、嬉しい」
ラントとマリーは同じ馬車でゆっくりと会話をしていた。馬車の中にはエリーや他の侍女もいるが二人の会話に混ざっては来ない。必要があればマリーが指示をし、なにか取ってきたり休憩の際に茶を淹れてくれるくらいで静かに二人の会話の邪魔をしないようにしている。
「ラント、どのくらいで着くのかしら」
「本来は一ヶ月と言いたい所だが急がせている。三週間ほどで着くだろう。強行軍だ、辛いだろうが我慢してくれ」
「魔の森を抜けるのに比べればなんということはありませんわ。この馬車も全く揺れません。まだそれほど前でないというのに懐かしく感じますわ」
マリーはラントの隣に座り、しなだれかかった。ラントもマリーの腰に手をあて、ぐいとマリーを抱きしめてくれている。ラントの独特な香りがマリーの鼻をつく。
既に公爵邸では数人侍女や使用人がラントの子を孕んでいる。ランベルト侯爵邸でも幾人かラントの子を孕んだと聞いている。王妃殿下の侍女も一人が孕んだと聞いた。
早くマリーもラントに抱かれたいという思いがどんどん積もっていく。
だがこれが良いのだ。溜めて溜めて、そしていつか愛しのラントの伴侶になり抱かれる。その日を心待ちにしている時間が心地よい。マリーはラントの為ならばいくらでも待つ覚悟があった。嫁き遅れと言われようが何でも良い。
ラントはプライドの高い男だ。自身が納得せねばマリーを抱くことはない。ラントがマリーに並び立つと自身で納得した時、ラントはマリーを心地よく手折ってくれるだろう。それまでは他の女で我慢して貰うしかない。マリーもずっと我慢しているのだ。
「クレットガウ子爵閣下」
「なんだ?」
ラントが呼ばれ、窓を開けて対応する。
「斥候を先に放っても構いませんか。先に状況を確認しておこうと思うのです」
「それは俺も指示しようと思っていた。許す。斥候二十名で先に公爵閣下に詳しく話を聞き、その先の樹海の様子も見てくるのだ。俺の短剣を預けよう。これで公爵閣下にも伝わるはずだ。わかったな」
「はっ、畏まりましたっ」
騎士が即座に去っていく。しっかり躾けられている。ラントはどの騎士団もとりあえず稽古がなっていないと煽り、纏めて叩きのめす。そして上下関係をわからせた上で死ぬ気で熟さねばならない訓練メニューを騎士団に与えているのだ。
おかげでたった一冬で王国騎士団は精強になったと聞いた。ただラントに言わせるとまだまだ甘いらしい。最低一年は鍛えなければならないと言っていた。できれば二、三年欲しいと言っていた。そうでないと帝国には抵抗できないと。それほど帝国の脅威は大きいのだ。もちろん攻めて来ないのが一番良いのだがそんな安楽な未来は存在しない。
「ラントも冷たい飲み物でもいかが?」
「あぁ、有り難く頂くとしよう。マリーはいい女だな。すぐに俺の欲しいものを察してくれる」
「あら、ラントもわたくしが抱きしめて欲しい、キスして欲しい、頭を撫でて欲しいと思った時にしてくれてよ? お互い様ですわ」
ラントとマリーは笑いあった。騎士団たちは先行している。だがバトルホースが引いているのだ。公爵家の馬車も通常の馬車よりも余程早い。ラントが外を見た。春風が心地よさそうだ。
「少し風に当たってくる。待っていろ」
「はい」
ラントは走っている馬車から乗り出すと、指笛を吹いた。アレックスが即座にやってきてそれに飛び乗る。高速で走っている馬車からバトルホースに飛び乗るなど並の者にできるはずがない。こんな何気ない動作だけでラントの凄さを改めて認識する。
大魔法など放たなくとも、ラントは戦いに身を置く男なのだということが即座にわかる。彼は常に自身を鍛え続けているのだ。サボっている所など見たことがない。酒を飲んでいても、煙管をふかしていても、魔力制御の訓練をやりながら休んでいる。
公爵邸に居ても常に剣を振り、魔力を纏い、制御や操作を無意識下で鍛えている。
寝ている時ですらそうなのだ。本を読んでいても、マリーが近づけば即座に気付く。感知能力の広さが半端ではない。宮殿のように広い公爵邸の全ての者の動きをその魔力感知のみで把握しているのではないかと疑ってしまうほどだ。
実際デボラやサバス、侍女たちが近づいてくると誰が来るぞとノックの前に言い当てる。魔力の少ない使用人たちですらそうだ。全ての使用人の名を覚え、魔力すら覚えているのだろう。まだまだ未熟なマリーには真似のできないことだった。
「あぁ、ラント。愛しい人。わたくしも負けていられませんわ」
マリーはラントの居ない間、ラントに与えられた魔法具を使って魔力や神気の扱いの練習をした。




