088.公爵の要請と準備
「コルネリウス! ランドルフ公爵閣下からの手紙は見たか?」
バンと扉が開き、ラントが飛び込んでくる。コルネリウスは驚いた。初めてラントに名で呼ばれたのだ。だがコルネリウスは許している。むしろ嬉しく思った。だれもコルネリウスが呼び捨てにされることを咎める者など居ない。なにせ主のコルネリウスが何度も良いと言っているのだ。侍女や騎士、文官たちもわかっている。
だが普段来ない文官が居てコルネリウスが呼び捨てにされたことに仰天していた。何せコルネリウスを呼び捨てにするなど国王陛下か王妃殿下くらいしか存在しない。だがその誰でもない。たかが子爵が王太子を呼び捨てにしたのだ。それは驚くだろう。
コルネリウスは「良い、気にするな。私が許していることだ」と宥めた。文官は驚きながらも「殿下が許していられるなら」とまだ驚きが解けず、体が固まっているが必死に言葉を紡いだ。
それにしてもラントの慌て方が酷い。何があったのだろう。
「おい、ランベルト公爵からの書簡はあったか?」
山積みにされている書類の束を見る。
「あ、昨日緊急で届いたのでお持ちしたところでございます。王太子殿下」
「そうか、すぐさま開けろ」
「はっ」
コルネリウスは書簡を読んだ。簡単に言えば東の樹海が怪しいのでラントと王都の騎士団や魔導士を借りられないかという打診だった。
あのランベルト公爵が言うのだ。余程の事だろう。何せ東の鬼と呼ばれる男だ。齢六十を超えて全く衰えを見せず、コルネリウスの祖父である先の国王や宮廷魔導士長をしているハンスとも仲が良い。コルネリウスや父である国王陛下でも頭が上がらない御仁だ。
その方が王家に助けを求めている。応えない訳にはいかない。王家は税を徴収している分、貴族たちが困っていれば助ける義務があるのだ。御恩と奉公とはそういうものだ。
それがわかっていない貴族は王家に叛意を持ったり反乱を起こしたりする。もしくは闇商売に手を出したりする。コルネリウスたちは常に全国各地に影を放ち、貴族たちを監視していた。
だがランベルト公爵は違う。王国に長く仕え、しっかりと東の守りの役目を果たしてきた豪傑だ。彼が求めるならラントでも騎士団でも魔導士たちでも幾らでもだそう。影の調査など必要がない。それだけの信用のある男で家だ。彼らが叛意を抱くことなどあり得ない。
ただコルネリウスはラントを指名したのはマルグリットを愛する祖父としての感情が混じっているなと見抜いた。しかし救国の英雄と名高いラントの実力を直に見てみたいというのも本音だろう。
ランベルト公爵もあの大戦は経験していない。ラントの実力を見た者は夜でもあったこともあって案外多くないのだ。騎士や魔法士たちは常に叩きのめされているので十分知っているだろうが。
「ふむ、アーガス王国王太子としてランツェリン・フォン・クレットガウ子爵に命じる。ランベルト公爵の要請に応え、第四騎士団一個大隊と魔導士団を一つ貸し与える。確実に原因を調査し、氾濫の予兆があればすぐさま対処せよ」
「はっ、ランツェリン・フォン・クレットガウ、然と承りました」
「すぐ命令書を書く。少し待て」
コルネリウスとラントは和やかな雰囲気で話すことが多い。仕事で疲れた時などにラントと話すと和むのだ。故にコルネリウスはラントを定期的に呼び出して話し相手にする。様々な話題を転がしてくれていていつ話しても面白い男だ。更にヘルミーナやディートリンデも懐いている。ディートリンデなど惚れているのではないかと疑っている。
だがそれも仕方がない。ラントには男ぶりでは王太子教育を厳しく受けて来たコルネリウスですら敵わないと思うほどなのだ。街娘だろうが貴族の子女だろうが、王女ですらラントの武勇と姿を見れば惚れ込むだろう。それほどの男だ。
だからこそ手放す訳には行かない。アーガス王国で侯爵位を与えてもよい。その代わりに王国に留まって欲しいものだとコルネリウスは願っていた。
そしてその手綱はマルグリットが握っている。マルグリットの実家も彼女の無事を知り、国に帰して欲しいと要請が来ている。彼女は本来エーファ王国の公爵令嬢なのだ。当然返すべきだ。だがそうするとラントまでついて行ってしまう。それがもどかしくて仕方がない。だが未来のことを憂いても仕事が無くなるわけではない。
コルネリウスは全権委任の命令書を書き上げると、跪いているラントに与えた。
◇ ◇
「第四騎士団か。いつ来てもやはりハンターギルドに似た匂いがするな」
もちろんラントは第四騎士団が初めてではない。彼らの事も鍛えている。騎士団長とも懇意にしている。全ての騎士団とラントは仲が良いのだ。
王国第四騎士団は魔物対策を主として結成された騎士団だ。民間のハンターではどうしようもない凶悪な魔物を狩り、魔境の氾濫などに対処するスペシャリストの集まりだ。
自然、槍や大斧、ハルバードや大型の戦棍などの長物や大きな得物が多くなる。更に着ているのも金属甲冑ではなく、革鎧の者が多い。金属甲冑は音がなる上に森を歩くには向いていない。盗賊にしか見えないような斥候すら混じっている。
第四騎士団は斥候や盾役、アタッカー、魔法士などハンターに近い感じで五人一組を基本として訓練を行っている。
「ヒューバート卿、宜しいですか」
ヒューバート・ドゥ・ロイジンガーは第四騎士団の団長だ。団員の訓練を見張っている所にラントは声を掛けた。確か侯爵か伯爵の出だったはずだ。ハンターならばすぐに一級になるだろう。それほどの武勇に優れ、戦術眼もある男だ。元ハンターのラントとはとても話の合う男で既に親友と言って良い。
「これはこれは、クレットガウ子爵。今日はうちに来られる日ではないはず。それにそんなに急がれてどうかされましたか?」
「王太子殿下の命令で第四騎士団の一個大隊を借りたいのだ。これが命令書だ」
ヒューバートは命令書を受取り、しっかりと読み込んだ。
「ふむ、拝見させて頂きます。確かに、クレットガウ子爵に全権委任し、大隊を派遣しろと書いてありますな。しかしランベルト公爵は武勇に優れた方。単純な魔境氾濫程度公爵家自身で収めてしまいそうですが」
「俺もそう思う。だが閣下本人が救援要請を送ってきている。おそらく相当怪しいのだろう。ランベルト公爵には俺も会って話したことがある。閣下の目は確実だ。閣下が国の救援を必要とするということはそれほどの大事だと言うことだ。従ってくれるな」
ヒューバートは大仰に跪いた。
「王太子殿下の命令です。当然でございます。私も同行致しましょう。大隊長では不安が残ります。当然大隊長も連れていきますが」
「それは心強い。頼りにさせて貰います。ただこきつかいますよ」
ラントがウィンクしながら言うとヒューバートは豪快に笑った。
「はははっ、クレットガウ子爵に言われると本当に死ぬ目に合わされそうですな。しかしそれが騎士の役目、例え命が失われたとしても臣民の命を魔物から守るのが第四騎士団です。それこそが本望です。ご心配なく」
「あぁ、ついでに宮廷魔導士を一人借り受けてくる。魔法士付きだ。それほどの案件と言うことだ。心しておけよ」
「はっ、即座に一個大隊を選抜します。出立はいつですか?」
「すぐにでもと言いたい所だが準備に数日は掛かるだろう。早くて二日後、遅くても三日後だ」
「畏まりました。第四騎士団はクレットガウ子爵の指揮下に入ることと致します」
ヒューバートは華麗に礼をした。普段は粗野だが貴族然とした対応もできるのだ。当然だ、貴族の子に生まれ、貴族院を卒業し、騎士団を一つ任されているのだ。それほどの男でなければ責任ある役職には付けない。
「俺は宮廷魔導士を訪ねてくる。準備をしておいてくれ」
「はっ」
ラントはそう言うと第四騎士団を離れた。次は宮廷魔導士だ。ハンスに話を通すのが一番早いだろう。
「ほっほっほ、クレットガウ子爵、どうされましたかな」
「ランベルト公爵閣下からの要請があった。宮廷魔導士を一人と五十の魔導士や魔法士を貸してくれ。これが命令書だ」
「それで昨日聞いて来おったのか。なるほどの。相変わらずコルネリウス殿下にはこき使われているようじゃな。殿下もよほど早くクレットガウ子爵を昇爵させたいと見える。ほっほっほ」
老人の瞳がギラリと光る。隠居のような顔をしてまだ全然現役だ。覇気が違う。
「こちらはそれほど急いではいないのだがな。昇爵などそうそうできるものではない。子爵でも過分なくらいだ」
ハンスは大笑いした。腹を抱えて笑っている。
「ガハハハハッ、いやいや、子爵では全然身の丈にあっておらんぞ。せめて伯爵、できれば侯爵位を賜るべきじゃ。お主の実力はそれほどじゃ。儂が保証する。謙遜などせずにさっさと伯爵や侯爵になり、騎士団や軍を率い、帝国を蹴散らしてくれることを期待しておるぞ。この老骨にこの前のように痛快な魔導の極みを見せてくれ。死ぬ前に卿の活躍をまた見たいものよ。本来はこれも同行したいが儂はそう簡単に王城から出られぬ。ヴィクトールを出そう。奴も色々経験しておいて損はないじゃろう。クレットガウ子爵、奴の教育も頼むぞ。次代か次々代の宮廷魔導士長じゃ」
「それは職務外なのですが」
ハンスはギラリと睨んだ。隠居したいと言っている老人とは思えない眼光だ。
「そんなケチなことを言うではない。側で見ているだけで勉強になったはずじゃ。戦争に着いていった後、北方について行った後、ヴィクトールのやる気は倍になったぞ。腕も急激に上がっている。見ているだけで刺激になったのだろう。いつかは卿に追いつくという気概が感じられるようになった。良い事じゃ、若者はそうでないとの」
ハンスは言うだけ言って笑いながら去っていった。
だが目的は達成した。ヴィクトールなら気心も知れている。魔導士も魔法士も魔術士も全員の顔を知っている。ヴィクトールなら良い人員を選んでくれるだろう。ラントはヴィクトールを探し始めた。
◇ ◇
「あぁ、ラント。おかえりなさいまし。準備は出来たかしら。わたくしは万全よ」
「私も万全です。お嬢様が居る所には私も着いていきますよ」
マリーとエリーはラントが城から帰ると準備は万端にしていつでも出られると宣言した。
「出立は二日後か三日後だ。それほど逸るな。準備という物がある。騎士団はそう簡単に動かせん。今日はランドバルト侯爵の家に泊まる事にする。明日は自宅に帰る。王都を離れることを教えねばならぬからな。特にランドバルト侯爵は春には領地に帰られるのだろう。顔を見せておかねばならん」
「そうですわね。挨拶は大事ですわ。ですが夫人や令嬢たちは置いていくようですよ。好きに使って良いそうですわ」
「そうか、有り難い配慮だな。感謝し、贈り物をしておこう。二度と毒などに侵されぬようにな」
ラントはギラリと瞳を輝かせて言った。
その瞳の獰猛さに、マリーとエリー、侍女たちは見惚れた。使用人たちの手も止まっている。だが誰も咎めはしない。皆見惚れているからだ。
ラントも実の兄に毒を盛って家督を奪った反乱の首謀者に怒りを覚えていたのだ。しかしもう彼らはラントの手によって始末されている。念の為ということだろう。
実際マリーやエリーにはラント特製の毒に反応するアクセサリーが与えられている。毒が近くにあると色が変わるのだ。即座にわかる。毒入りのスープなどを無理やり飲まされない限りは、どこで何を食べても安全だ。茶会や他の貴族家に行く時などマリーはエリーの、エリーはマリーのイヤリングを常に監視して飲み物や食べ物を摂取しているからだ。
マリーはそこまでしてくれているラントにいつものように感謝し、抱擁した。愛する男が帰ってきたのだ。まずは彼の匂いを堪能させて貰おう。ラントが抱擁を返してくる。マリーは幸せに浸った。