086.閑話:コレットの決意
「あぁ、クレットガウ子爵。あの温もりが忘れられませんわ」
コレットはとある豪商の娘であった。そしてラントがたまたま下町の職人ギルドを訪ねた時、目が合い、誘われ、馬車の中で手折られた女だ。未だ年は十八にもなっていない。
恋人は居たが乙女だった。結婚するつもりであったがラントの事を知ってしまった今、恋人が色褪せて見えた。同じ大きな商会の次男であったが、跡取りではない。店が近かった為、幼い頃から遊び、淡い恋心を抱き、恋人になった。だがそれは本当の恋ではないと思い知らされた。
「まずはマルグリット様にお伺いを立てないと」
コレットは考えた。ラントの恋人には成れなくとも、妾にも成れなくとも、愛人には成れる。コレットの心はたった一度の逢瀬でラントに奪われていた。故にどうするか必死で考えた。
ラントとマルグリットの物語は吟遊詩人たちが歌っている。何度も聞き、歌を覚えてしまったほどのものだ。
当然それはマリーが流した話だ。ラントの株を上げようと、こっそりと吟遊詩人たちに歌わせ、流行らせた。何せ危地に陥っていた公爵令嬢をハンターが颯爽と助け出し、王太子殿下に内乱を収める策を出し、見事成し遂げたのだ。ラントの英雄譚は歌劇にもなると言う。早くみたいものだとコレットは思った。
もう恋人への想いはない。ラントへの想いだけが募っている。だが待っているだけではラントとは結ばれない。
「お兄様も頼りなかったですし、公爵家や子爵様と繋がりは持つべきですわね」
コレットの兄が商会の次の長とみなされていて、有能ではあるのだが、内乱の時に兄はパニックになった。何せコレットの家が主に扱う商材は穀物だ。
王国南部は王国の穀物庫と言われている。その南部のランドバルト家が反乱を起こした。当然穀物は入ってこなくなり、物価は大幅に上がり、商会は干上がった。
だがラントが電撃的に内乱を解決した。ほんの数ヶ月のことだった。王太子殿下の勇名も鳴り響いた。戦争を知らぬ王太子はまだ甘いかも知れないと平民からは見られていたのだ。
だが内乱できちんと騎士たちや軍の統率を取り、見事ランドバルト市を落とした。ほぼ無血開城であったが、大将としてしっかりと軍を率いられる事を証明したのだ。戦うのは騎士や軍が戦えば良い。だがコレットの兄のように情勢不安の時にパニックになるようでは国を率いてはいけない。その不安をコルネリウスは払拭した。これで王国の次代も安定だと民は安心したのだ。
「まずは手紙をお出ししなくてはならないわね」
コレットはマリーに手紙を書き始めた。さらさらと時候の挨拶を丁寧な文章で書き、続いてラントと街中で出会い、手折られた事。そしてその想いが途切れないこと。それを許して欲しいこと。その代わりにコレットの商会の扱っている商品を公爵家と子爵家にはかなり割り引いて取引する旨を書き記した。
これは商会長である父も認めていることだ。公爵家や今話題のクレットガウ子爵家と懇意になれるのならば娘の一人や二人惜しくはない。多少赤字覚悟で商売をしても繋がりがあるというだけで商会の名が上がる。
更にラントの子を孕めば必ず魔力持ちが産まれる。魔力持ちは貴重なのだ。騎士とまでは行かなくとも上級の傭兵やハンターは大概が貴族の血を引き、その魔力を引き継いだ者たちだ。魔法使いに成れる者はより厳しい。
通常であれば偶発的に平民の中に産まれる突然変異の魔力持ちに期待するしかない。しかしその確率は恐ろしく低い。魔法使いなどほぼ貴族の子で占められて居て、それでいて千人に一人と言う希少さだ。だが魔法使いの子は魔法使いの適性を継ぐ。魔法を使える貴族の胤を、魔法を使う騎士たちの胤を貰う方が余程確実性が高い。
上級のハンターや傭兵たちがモテるのも同じ理由だ。金銭や強さだけではない、その血にも期待されるのだ。
「うふふっ、ランツェリン・フォン・クレットガウ子爵様。早くお会い致したいわ。ドワーフ工房の前でお待ちしていたら会えないかしら。とりあえず店の丁稚を一人張り付かせて置きましょう。貴族街から出てきた馬車で、クレットガウ子爵家の家紋がついた馬車が出てきたらすぐさま知らせて貰えるように致しましょう」
コレットは夢を見るように呟いた。
コレットの商会は大手なだけあって収納鞄の使用も国に許されている。何せ扱うのが穀物だ。馬車で運んでいてはどれだけ馬車があっても足りはしない。なにせ王国南部から北部まで運ぶことまであるのだ。収納鞄は必須だ。
当然国からの貸与であるし、莫大な貸与金を払って借りている。だがそれでも馬車の数は多くなる。当然傭兵を護衛に雇わなければ成らない。専属の傭兵だ。
しかしコレットが魔力持ちの子を産めば、しかもそれが更に名高いラントの子であれば騎士でも魔法士でも成れるかも知れない。そんな子が一人商会にいるだけで、盗賊や魔物など簡単に蹴散らしてくれるのだ。
下級貴族の戯れで孕んだ魔力持ちなどとは桁が違う。魔法学院にも通わせることができるかもしれないし、コレットの実家はそれだけの財力はある。コレットの子が商会を継ぐことすら可能だ。
つまりコレットがラントと情を交わすことはコレットの想いも遂げられ、商会の未来にも関わってくる。国家資格である魔法士一人雇おうと思うと莫大な金額が掛かるのだ。傭兵の比ではない。
「はぁ、マルグリット様、許してくださるかしら」
ラントの身元は即座に割れた。ドワーフの工房に行く貴族で、家紋もきちんとついていた馬車に乗っていたのだ。すぐにクレットガウ家だとはわからなかったが、馬車の豪華さを見て上級貴族だと思った。だからコレットも即座に誘いに乗ったのだ。
だがそんなものではなかった。今はまだ子爵だがラントの将来は有望すぎてどこまで駆け上がるかわかったものではない。馬車の中で名も聞いている。今もときめく王国の英雄だと知り、まさかと思った。
何せ王妃殿下の姪で王太子殿下の従姉妹と恋仲なのだ。王族と縁続きになるラントの将来が暗い訳がない。戦功を上げなくとも最低でも伯爵にはなるだろう。
コレットはラントの顔を思い出しながら、マリーに手紙を書いた。
◇ ◇
「あら、商会の娘からの手紙? 珍しいわね」
マリーは呟きながら中を検めた。通常はデボラやサバスが先に中身を検め、検閲している。マリーの元へ平民からの手紙など届くことはない。つまりマリーが読むべき手紙だとどちらかが判断したのだ。
それはコレットというマリーでも知っている豪商の娘の想いが綴られた手紙だった。だが悪い話ではない。何せ公爵家と子爵家に優先的に商品を卸し、更に割り引くと言うのだ。実家の祖父や伯父たちなどは喜ぶであろう。
ラントからは下町に行く時に平民の娘を戯れに手折ったとは聞いていたが、コレットの想いはマリーにも伝わった。
平民一人くらい愛人に持つくらいはマリーも怒りすらしない。ラントの好きにすれば良いのだ。ラントが村に立ち寄れば未亡人や村長の娘などが差し出される。それはラント以外でも貴族なら通常の風習だ。
どこの村も魔力持ちが欲しいのだ。それが村の安全に寄与される。盗賊も魔物も軽く捻る貴族の胤はどこの平民でも喜んで頂くものだ。
だからマリーは気にせず、許可の返事を書き、ラントに直接願えと伝えた。
◇ ◇
「あら、マルグリット様から許可を頂けたわ。出してみるものね」
コレットは驚いた。公爵家から本当に手紙が返ってきたのだ。読みもされないと思っていた。それが当然だからだ。商会など呼び出される物で、基本的に御用達でない限りは手紙など読まれもしない。
中身を検めるとマルグリットは気にしないので好きにすれば良いという内容が、見事な貴族言葉で書かれていた。筆使いを見るだけでマルグリットの高貴さがわかると言うものだ。平民では見ることすら叶わない王国の至宝の再来と呼ばれるマルグリットの美しさが文字を見るだけで幻視された。吟遊詩人たちもマルグリットの美しさを絶世と褒め称えている。それほどだ。
「ではクレットガウ子爵にもお手紙を書かなくてはなりませんね」
そう呟いた時、丁稚からクレットガウ子爵の馬車が貴族街から出てきたと報告があった。前行った工房に向かっているらしい。
コレットは馬車を出させた。工房街は少し遠い。走っては間に合わない。なにせコレットは身体強化もできないただの女なのだ。
ラントは中で話し込んでいるようでなかなか出てこない。だが護衛もきちんとつけている。何時まででもコレットは待てる。
「来た!」
ついにラントが工房の外に現れた。
「クレットガウ子爵様」
「ん? お前見たことがあるな。あぁ、この前工房に行く時に手折った娘か。すまんな、忘れていた」
「お気にせず、コレットと申します。これをお読みください」
コレットはラントにマリーの手紙を見せた。そしてその想いの丈をラントに直接ぶつけた。純粋な恋心であった。
マリーに手紙を出した時点で恋人とは別れていた。悪いことをしたとは思うが婚約していたわけではない。相手も商会の跡取りでもない。多少ギクシャクはするが、商売に影響はない。仕方がないではないか。一生に一度あるかないかの英雄に出会い、恋をしてしまったのだから。
「ふむ、構わんぞ。要は王都の現地妻になりたいということだろう。家族は納得しているのか」
「当然でございます。そうでなければマルグリット様にお手紙などお出しできません。妹も姉も居ます。姉妹共々ご賞味ください」
「そうだな、マリーも許している。俺もお前は良い娘だったと思っている。帰りにまた乗っていくか?」
「はいっ!」
コレットは喜んだ。これほど生まれてきて嬉しかった事があっただろうか。ラントに初めて抱かれた時くらいしか覚えがない。
コレットはラントの馬車に連れ込まれ、再度抱かれた。今度は優しくゆっくり抱いてくれた。そして名前を呼び、キスまでしてくれた。それだけで幸せだった。
「幾度かあの工房には通う事になる。コレットの実家も今度訪うとしよう。たまにしか会えぬがそれで良いか?」
「はい、受胎日をお教え致しましょうか?」
「くくくっ、俺の子が欲しいのか。欲しがりだな。だがそんな女も嫌いではない。良いぞ、俺の紋章がついたブローチをやろう。これがあれば貴族街にも入れる。だが俺の家以外に行くなよ。他の貴族に誘われたらこの紋章を見せろ。それで他の貴族家は近づいてこなくなる」
「はいっ!」
コレットは優しく抱かれた為にまだ元気一杯だった。むしろ幸せで倒れそうだった。ラントの公認の愛人になることが認められたのだ。更にマリーにも許されている。
コレットはその後、幾度もラントと逢瀬を重ね、姉妹揃って見事ラントの子を三人も孕んだ。コレットの母や叔母たちまでも抱かれた。ラントは真の意味で性豪だったのだ。あっという間に商会の女たちはラントに見惚れ、乗っ取られた。
コレットはとても幸せだった。許してくれたマリーに感謝し、ラントに出会わせてくれた神に祈った。そして大きくなったお腹を大事に撫でた。