084.春の香りと動乱の気配
「春か、温かくなってきたな」
ラントは外の景色を見て呟いた。マリーを拾ったのが秋だった。貴族院は秋に始まり、秋に終わる。ラントも冬が来る前に魔の森を抜けたかったので秋に抜け出した。その当時はまだ反乱はそれほど広がっていなかったのだ。
「懐かしいものだ。もう半年近くになるか」
ラントは煙管に火を付け、紫煙を曇らせた。そして回想を続ける。
ラントはマリーを拾い、アーガス王国にとんぼ帰りすることになった。
お荷物を二人も連れて魔の森と広がった反乱軍の領地を駆け抜けた。
幾度か襲撃を撃退し、王都まで護衛し、お役御免だと思ったらマリーにコルネリウスに献策せよと話を振られ、あれよあれよと言う間もなくラントは戦争の中心人物になっていた。
なにせラントが策謀し、作り上げた作戦だ。しかもラントの腕頼みな部分も多かった。作戦だけ渡し、逃げ去るなど責任のないことはできない。
ラントもアーガス王国は数年居る。それなりに愛着も多い。仕方ないとコルネリウスたちを助けたら大事になった。
なんと子爵位を賜ったのだ。伯爵邸も貰った。国宝を三つも賜った。最高勲章まで頂いた。報奨金は莫大だった。元は反乱を起こした貴族家からの賠償金だ。ラントの報奨金には大盤振る舞いのように白金貨が積み上がった。一生掛かっても平民では使い切れないであろう額だ。
「ふぅ、うまいな。この前北方山脈でトールが取ってきた薬草は良い香りがする」
更に無官ながらも子爵には貴族年金がある。勲章にも年金がついている。それだけで一年豪遊できる。そしてベアトリクスやコルネリウスが振ってくる仕事を熟せば当然金が手に入る。無償で奉仕する訳ではないのだ。毎回きちんと大金貨が山程手に入る。
だがハンターらしく宵越しの金は持たないと豪遊する訳には行かない。
ラントは子爵であり、家臣たちを持つことになった。彼らを養わねばならない。更に騎士に魔法士たちが殺到した。侍女も多く採用した。
騎士団長と魔法士団長は元王城騎士と元王城魔導士に任せ、鍛え上げるように指示した。侍女たちは侍女長が厳しいのできちんと躾けてくれるだろう。夜は可愛く鳴く侍女長も昼は厳しいのだ。
彼らを雇い続けるには金が掛かる。更に忠誠心も維持しなければならない。
北方諸国では部下に裏切られる上司など当たり前に居た。無能はすぐに殺されるのだ。ラントは部下に裏切られたくはない。故に契約魔法を使ってまで縛った。本来契約魔法を受け入れることは貴族の子らにとって屈辱に当たる。だが彼らも行き場がないので喜んで契約魔法を受け入れた。背に腹は代えられないというやつだ。
「ラント、ここにいたのね」
「なんだ、マリーじゃないか。騒がしいぞ。淑女の仮面はどうした?」
「あら、わたくしとラントの仲じゃないの。良いじゃない、たまにはこうしてフランクに語り合いましょう」
ノックもせずにラントの私室が開けられる。こんなことができるのはマリーだけだ。日の光に照らされてマリーは相変わらず美しかった。そんな女に惚れられている。男冥利に尽きるというものだ。ラントはニヤリと笑い、マリーに微笑みかけた。
◇ ◇
マリーはラントの私室にノックなしで入り込んだ。ラントが煙管を曇らせている。紫煙が窓から入る光でゆらゆらと揺れている。なんと絵になる男だろうと思った。
ベッドには昨日食べたであろう侍女がまだ寝ている。使用人たちは静かに畏まっている。ラントとマリーの逢瀬を邪魔する者など居ない。
「ラント、その煙管格好いいわね」
「いいだろ、ジジイに貰ったんだ。通常の十倍は葉が入る。それでいて頑丈でな、竜が踏んでも壊れんぞ」
「あら、──から頂いたのね。装飾も古い形式だけれど美しいわ」
マリーはラントの持つ煙管に着目した。金と銀が混じり合い、光が当たると輝いている。ラントが煙管を吸う。特別な葉なのだろう。香木のような匂いがする。たまにラントが纏っている匂いだ。マリーはこの匂いも好きだった。
魔法使いは煙管を嗜む者が多い。魔力を回復する葉や回復速度を上げる葉を煙管に詰めて吸うのだ。魔法薬もあるがそちらは急ぎの時に使う。時間がある時は煙管を使う。それが魔法使いの常識だ。
ハンスもヴィクトールも当然煙管を持っている。だがラントの持っている煙管のなんと見事なことか。さすが放浪の大賢者から頂いたものだ。国宝に指定されてもおかしくないだろう。
更に葉が十倍入るということは空間拡張の魔法が掛けられていると言うことだ。煙管一本になんと贅沢なことだと思った。
空間魔法使いは国でも希少なのだ。見つかれば即座に国に捕まり、錬金術を仕込まれ、収納鞄を作らされたりと忙しくなる。
だが給金は良い。籠の鳥だが贅沢はできる。たまに平民でも空間魔法適性を持つ者が居るので、平民たちは喜んで王城に囚われる。大量の給金で家族を助けられるからだ。
貴族の子となるとまた話は違ってくる。自身のなりたい選択肢が無くなるのだ。
ただ魔法士や魔導士になることはできる。宮廷魔導士には空間魔法使いが何人も居る。そこまで駆け上がれば自由もできる。どちらにせよ王城に雇われていることには変わりがない。逃げ出しさえしなければ多少の自由は許される。ノルマは熟さねばならないが、空間魔法ばかり鍛えられ、ラントが秘密で使えると言った〈転移〉などを覚えられると困るので国もそこまでは鍛えない。収納鞄が作れる程度で留め、後は他の魔法を覚えるように指導するのだ。
「ラント、貴方春の生まれなのですってね。幾つになるの? そういえば正確な年を知らなかったわ」
「言ってなかったか? 年が明ければ二十五だ。お前とは七つ差だな。春と冬だから八つ差に近いがな」
「そうね、でもそのくらいの年の差、わたくしは気にしなくてよ。ラントもヒルデガルデを食べられるくらいだから年の差など気にしないでしょう?」
「当たり前だ。旬の食べ頃の貴種など食べない訳がないだろう。流石にマリーの先に孕ます訳にはいかんがな」
ラントがニヒルに笑う。マリーはラントのこの笑みが好きだった。
ヒルデガルデはマリーの言うことを聞き、マリーの目の前で乙女を散らした。隠し部屋ではなく、一緒の部屋に居てエリーと共にかぶりついてみていた。
ラントは優しくヒルデガルデを扱っていた。ラントの妙技は素晴らしく、初めてだと言うのにあっという間にヒルデガルデはラントの虜になった。マリーは目の前で行われる情事に顔を真っ赤にしながらラントの裸体の美しさに見惚れた。
筋肉が随所についている。鍛えられ、引き締まった美しい体だった。あれほど近くで裸体を見たのは初めてだ。想像以上に逞しかった。早く抱かれたいと思った。ヒルデガルデにも嫉妬したほどだ。
「ラント、子爵などではわたくしを手折ることは許されなくてよ。お祖父様に殺されるわよ。早く功を上げて伯爵にでも侯爵にでもなりなさい。貴方ならできるわ」
「あのなぁ、そう簡単に伯爵や侯爵になれてたまるか。阿呆か。それに功を上げる機会があるということは国難が迫っているということだ。平和が一番だ。まさかお前は俺の昇爵の為に事件が起これば良いと願っているのか? 戦争を望んでいるのか?」
マリーは慌てた。そんなつもりじゃなかったのだ。
「そうじゃないのよ、ただほら、羨ましいの」
マリーはちらりとまだ寝ている侍女の方を見て言った。ラントに抱かれた侍女は朝の仕事は免除される。激しい夜を過ごすからだ。朝は使い物にならない。マリーが合図すると侍女は使用人に起こされ、マリーが居ると知ると慌ててシーツを被って出ていった。使用人たちに湯で洗われ、仕事に戻ることだろう。
「ふむ、もう待てんか? 別に今手折ってやっても良いのだぞ。公爵閣下は良い男だったが俺の事を認めていた。気付かなかったのか? 俺が手折っても閣下は文句一つ言わず笑って済ませるに違いない。そういう男だと俺は見た。俺の見る目が信じられんか? マリー」
ラントはマリーに近づき、くいと顎を人差し指で上げ、ラントの顔が近づいてくる。マリーの胸は破裂寸前だ。何せ今すぐ手折っても良いと言われたのだ。想像してしまい、顔が赤くなる。マリーもヒルデガルデやエリーのようによがるのだろうか。きっとそうなるに違いない。マリーはヒルデガルデやエリーの初夜を見てそう確信している。
「本当ですの? 東方の鬼と呼ばれたお祖父様ですのよ」
「ふふん、俺が誰に育てられたと思っている。あの程度のジジイ、俺を鍛えたジジイに比べたらまだまだ可愛いもんだ。だが良く鍛え上げられている。良い戦士だと思った。ああいうジジイには長生きして欲しいものだ」
ラントは祖父である公爵をジジイと呼んだ。マリーはそれに笑ってしまった。国王陛下ですら頭の上がらない祖父をジジイと呼び捨てる男が居るとは思わなかった。しかも可愛いとまで言っている。
(あの厳格なお祖父様が可愛いですって!?)
マリーは驚いた。そんな言葉を吐けるなどラント以外この国には誰も居ない。流石テールの麒麟児だと思った。放浪の大賢者の弟子は言う事のスケールが大きい。ラントはマリーですら見通せないナニカを見ている時がある。
ラントの瞳は東を見つめていた。何が見えているのだろう。同じ景色を見てみたい。煙管の匂いがマリーのドレスに移る。今日は着替えないで置こう。ラントの匂いに包まれている。それで一日幸せになれる。
「マリー、お前今日の予定は?」
「茶会に出ますわ。侯爵家からのお誘いなので断れなくてよ。ですがしっかりとわたくしとラントを印象付けて置きますわ」
「ふむ、女子同士の茶会など何もわからん。頑張ってくれとしか言えないな」
マリーはラントに抱きつき、ラント成分を充電していた。これで一日頑張れる。そう思った。
しかしマリーが幸せに浸っていたのに、ドンドンドンと大きな足音がしてきた。近づいてきている。誰か走っているのだ。
公爵邸で走る馬鹿は居ない。走る時は緊急時のみだ。ナニカが起こったのだ。マリーは緊張した。見上げるとラントの瞳は既に戦士のソレになっている。見惚れた。戦士の瞳をしたラントほど格好の良い者は居ない。だが見惚れている場合ではない。事件が起こったのだ。決してマリーが願ったのではない。だがラントならどんな事件でも解決してくれるだろう。そう思った。
「マルグリットお嬢様、ラント様っ。大旦那様からグリフォン便が届いております。至急とのことです」
部屋を開けたのは家令のサバスだった。大旦那様とは祖父のことだ。詰まり東で何かあったのだ。更に至急だと言う。
「寄越せ」
ラントが即座に封を破る。きちんと公爵家の家紋の封蝋がされている正式な書状だ。一緒に読むと中身はラント当てだった。東の樹海の魔物がきな臭いので、ハンター上がりのラントに調べて欲しいという要求だった。
「仕方あるまい。マリー、俺は公爵閣下の要請に従って東へ行く。お前はここで待っていろ」
しかしマリーは首を振った。
「嫌ですわ。わたくしも行きます。わたくしの実家ですのよ。お祖父様も伯父様も従兄弟たちも居ますわ。可愛い甥や姪もいるんですのよ。絶対一緒に行きますからね」
「わかったわかった、そうわめくな。連れて行ってやる。出立は数日後だ。今日は王城に登城してコルネリウスに王都を離れることと騎士団や魔法士たちを借りていく。万が一があってはいかん。何せあの公爵閣下が怪しいと言っているのだ。あの男の目は誤魔化せん。閣下が怪しいと言えば必ず大事件だ。そうでなくては自身で処理するだろう。マリーの身も危なくなるかもしれない。それでも行くか?」
「行きますわ。絶対についていきます」
「わかった。では今日は茶会に行き、残りの予定は全てキャンセルしろ。わかったか」
マリーは大きく頷いた。漸く冬が開け、春になり掛けていた。だが春の嵐が近づいている。そのうねりは大きく、大嵐になろうとしていた。
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