082.マリーとランドバルト侯爵2
「まぁ、ランドバルト侯爵様は面白い方ですわね」
「いやいや、マルグリット嬢の見識の高さには驚かされる。流石アンネローゼ様の落とし胤だ。その美しさもまるで過去に戻ったようだ。惜しい方を亡くしたものだ」
「えぇ、母が亡くなった時はわたくしも大変悲しい思いを致しました。あの時は周りなど見えずに泣きじゃくりましたことよ」
マリーはまたランドバルト侯爵邸を訪っていた。
なにせ侯爵の末娘がラントの側室となるのだ。義父親になると言っても過言ではない。更に南方の雄と呼ばれるランドバルト侯爵が王都に居るのは冬の間だけ。春には領地に帰る。親交を温められるのは今だけだ。
ラントの味方はいくら居ても良い。だがランドバルト侯爵はすでにラントの手中だった。何せ家督を奪った簒奪者である弟を廃し、毒に侵されていた体を治し、自身だけでなく家も領地も家族の命すらも救われたのだ。
故にラントには側室、側室の娘たちの貞操まで捧げている。侍女や使用人も食い放題だ。ラントは定期的にこの館を訪れて女たちを貪っていると聞く。
「そういえばラントの子を孕んだ方はいらして? うちはなかなかできませんの。ラントの魔力が高すぎるせいですわね。難しいことですわ」
「それは仕方あるまい。魔力差があるとなかなか子はできぬ。クレットガウ子爵ほどであれば難しかろう。地道に待つしかない。だが伯爵家の娘であった侍女の一人が身籠ったようだぞ」
「本当ですか? もし産まれたら見に来ますわ。ラントの子ですもの。優秀に決まっていますわ」
「はははっ、俺は春には領地に帰る。だが妻たちや娘たちは残していく。何せクレットガウ子爵の子を身籠って貰わねばならぬからな。マルグリット嬢もいつでも当家を訪うと良い。歓迎する。家令にも申し付けておこう」
「ありがとうございます。感謝致しますわ」
マリーはぐいと身を乗り出した。何せラントの子を孕んだ女が居るというのだ。嫉妬心もあるがラントの子なら誰の子でも可愛がれる自信がある。それがマリーの愛だ。ついてきたエリーもギラリと瞳を輝かせているのがわかる。以心伝心だと思った。
「はっはっは、それは間違いがないな。当家も期待している。息子たちには悪いがあの男ぶりには敵わん。俺もクレットガウ子爵には敵わぬと思っているくらいだ。せめて半分でも良い。息子たちに分けて欲しい物だ。妻や娘たちがクレットガウ子爵の子を身籠った暁には次々代の侯爵を任せても良い。次代は流石に息子に継がせねばならぬからな。だが次々代なら良かろう。南方も決して安全とは言えぬ。優秀な子が跡を継ぐのは当たり前の事だ。息子も既に子が居るし、魔力も高いがクレットガウ子爵の子には敵わぬだろう。当家はクレットガウ子爵に乗っ取られる形になるな。はっはっは、だがその為にクレットガウ子爵の子種を頂いているのだ。それも仕方あるまいて。孫贔屓はせぬ。しっかりと見定め、後継者を決めるつもりだ。孫がクレットガウ子爵のように逞しくランドバルト家を背負う男に育つならば、そのままランドバルト家を継げば良い。どちらに転んでも当家には損はない。有能な子同士競い合い、家督を争う。そして勝者は全てを得る。貴族に取っては当たり前のことだ。長男だからとあぐらを掻いていては当主は務まらん。ふふふっ、楽しみなことよ、なぁ、マルグリット嬢」
「えぇ、南方の雄、ランドバルト侯爵様がそうおっしゃるならそうなるでしょう。間違いありませんことよ」
マリーはランドバルト侯爵と声を上げて笑った。
ランドバルト家は南方の雄と呼ばれているが当然南方には公爵家も存在する。しかし南方の公爵家は武よりも知性を重んじる。軍師タイプ、謀略を巡らすタイプなのだ。現宰相も南方の公爵家の出だったはずだ。
そしてその知性で公爵家は南方を豊かにし、王国の穀物庫となっている。
武を重んじるランドバルト家や辺境伯家を自在に使い、南方の治安を安定させている。
反乱が起きた時もカールの弟は公爵領だけは攻めなかったものだ。反乱の首謀者でもあるカールの弟は公爵の恐ろしさを身に染みて知っていたのだろう。避けるように進軍をし、決して触れようとはしなかった。公爵家もどうせこんな反乱などすぐに収まると見て手出しをしなかった。
実際コルネリウスは迷ってはいたが、王家が本気を出せば力尽くで捻り潰せた。しかしそれでは国力が落ちる。だからこそ迷っていたのだ。そこに光明を齎したのがラントである。
ラントの策は最低限の被害で国力を落とさず、首謀者たちと唆した帝国の間者だけを間引いた。次代を担うコルネリウスの名も王国に鳴り響いた。王国の次代は安泰だと皆が思った。
ラントの名は轟き、コルネリウスの名も上がる。更に国力は下がらず、南方の反乱は収まり、王家に従った貴族家も褒美を貰った。ランドバルト侯爵は体も治り、家族も救われ、領地まで取り返せた。三方良しどころではない。損をしたのは反乱軍だけだ。王家に取っても誰に取っても最高の結果を齎した。ラントにしか為し得ない偉業だ。
故にラントは重宝され、様々な仕事を振られている。しかし警戒もされている。あれほどの力がもし王家に牙を剥いたらと考えない馬鹿者は王家には居ない。宰相や大臣、騎士団長、宮廷魔導士たち、全てがラントの一挙手一投足を見つめている。
しかしラントに瑕疵は全くない。命令は必ず受領し、完璧に仕上げる。更にサプライズでより良い結果を齎す。叛意は見せず、王家の求めには必ず応じている。王家から様々な要望がラントに振られているのは試しなのだ。ラントが危険な思想を持っていないか。王国の害にならないか。なったとしたらどう対処するのか。
(ですが絶対に許しませんことよ)
マリーは心の中で誓っている。ラントにもし手を出すなら実の叔母であり王妃であるベアトリクスでも、王太子にして従兄弟のコルネリウスですら許さない。マリーは虎視眈々と牙を磨いている。魔力制御も安定してきている。上級魔法も覚えられそうだ。魔法士試験にすら受かるだろう。それほどラントの指導は厳しく、的確だ。そしてマリーは一時間たりともサボらず、ラントが幼い頃に行っていたというメニューを毎日熟している。それにラントに与えられた魔法具が幾つもある。神気も段々制御できるようになってきた。
神気は魔力の上位互換だ。同じ出力で放てば必ず神気が勝つ。王城の大結界ですらいずれ破れるようになるかもしれない。
「そういえばヒルデ、貴女今晩わたくしのうちに来なさい。花を散らさせてあげるわ。ただしわたくしの前でよ。よろしくて?」
「はい、マルグリットお姉様」
ラントの側室になる予定の令嬢、ヒルデガルデ・ドゥ・ランドバルトはマリーに対して上位者へする礼を取った。マリーから見ても完璧だ。ランドバルト家の教育はしっかりされているらしい。
夫人や娘たちもマリーとカールの会話を邪魔したりはしない。静かに茶を啜り、二人を見つめている。話が振られれば的確に返し、会話を盛り上げる。機微のわかった良い夫人や娘たちだ。魔力も高い。ラントの子を孕むのにふさわしい母体だ。
マリーは彼女たちとも親交を深め、心を掴んでいった。いずれ彼女たちはマリーと同じ男の子を孕むのだ。姉妹と言って差し支えがないだろう。
魔の森を抜けた際にはランドバルト領は敵国のようなものだった。マリーの似顔絵が賞金首になっていた。だがもうそんな心配はない。
「マルグリット嬢もいつでもランドバルト市に遊びに来て欲しい。是非クレットガウ子爵も連れてな。俺自ら案内しよう。自分で言うのもなんだが良い街だぞ。その頃には子爵は伯爵になっているかもしれんがな、はっはっは」
「えぇ、楽しみにしていますわ。ラントにも伝えておきましょう」
「いや、既に彼には誘いを掛けてある。是非マルグリット嬢と共に来て欲しいとな。ハンター時代に何度か来たことがあるようだが、城の中を案内すると言えば喜んでいたよ。流石にハンターは城には入れん。彼も男だな。城は男心をくすぐるものだ。当家の秘伝書も見せると約束した。秘伝だがクレットガウ子爵に使われるならば本望だろう。俺ですら高度過ぎて使えん魔法だ」
「あら、ラントは魔法には貪欲でしてよ。よく壺を押さえておりますのね」
ランドバルト侯爵は笑いながら言う。
「あれほどの魔導士、魔法に興味がないなどという事はあるまい。末は賢者か大錬金術師か。恐ろしいものよ。今ですら勇名が轟いているが、後世の歴史に彼の名は必ず残るだろう。俺の名は残らん。彼の英雄譚の一説で助けられ、恩を感じて多大な感謝を示したと一言のみ残るのみだろう。だがそれで良い。事実だからな。故に妻だろうが娘だろうが差し出すのよ。あれほどの恩、侯爵家の全てを譲ったとしても返しきれん。クレットガウ子爵が侯爵に昇爵したらこの侯爵邸を進呈しよう。伯爵邸では都合が悪かろう。だが他の侯爵邸はそうそう空かぬ」
「まぁっ、本当に宜しいのですの? 侯爵に昇爵するとは決まっておりませんことよ」
マリーは本気で驚いた。カールの目が本気だったからだ。
「構わぬ。それに帝国の蠢動は収まっておらぬ。東方も怪しいと聞く。まだまだ彼の活躍の場は残されている。必ず爵位でも彼は俺と並ぶだろう。そしてマルグリット嬢、そなたを娶るのだ。そうだな、長くて四、五年。短くて二、三年のうちに実現するだろう。大臣たちは前例がないなどと文句を言うだろうが、有無を言わさぬ功を立てれば誰も文句が言えぬ。俺も昇爵に賛成しよう。マルグリット嬢の祖父であらせられるランベルク公爵閣下も賛成するだろう。そうなれば陛下も嫌とは言えぬ。コルネリウス殿下もベアトリクス王妃殿下も文句など言えぬ。むしろ推奨しよう。ふふふっ、楽しみなことよ。あの反乱軍との戦いなどまだ序章。雄飛はまだ始まったばかりだ。彼は昇竜のように上り詰めるだろう。目に見えるようだ。そうは思わんか? マルグリット嬢」
「侯爵閣下はお口が上手ですわね。ですがわたくしもラントの事は信じておりますわ。必ず実現されるでしょう。そしてわたくしの手を取り、手折ってくれるのです。その日が待ち遠しくて堪りませんわ。まだ子爵なのかと尻を叩いている所ですのよ」
「がははっ、前例のない電撃的に三段飛ばしに昇爵した子爵の尻を叩くか。それはマルグリット嬢しかできぬことだな。うちの娘たちでは太刀打ちできぬ。クレットガウ子爵も良い伴侶を得られたことだ。うちの娘では正妻は務まらぬ。マルグリット嬢ほどの女傑でなくては並び立てぬ。話していてそう確信した。お似合いだ」
「まぁ、ありがとう存じます」
マリーは素直に礼を言った。お似合いだと言われたのだ。嬉しくて飛び上がりそうだ。だが淑女の仮面を被っていたマリーはそっと紅茶に手を伸ばした。茶菓子はカルカトールだ。蜂蜜が添えられている。これも美味い。
侯爵家のパティシエはマルグリットの好みすらすでに覚えている。やるなとマリーは思い、それがカールの策謀であり、感謝の印でもあることを見破った。
カールは現役の侯爵だ。美しさを褒め称え、ラントを褒め、マリーすら取り込もうとしてくる。油断はならない。だが会話は弾み、楽しい気分になれる。愛する男を褒め称えられるのだ。これほど嬉しいことはない。
マリーは気分良くヒルデガルドと彼女の侍女たちを連れて侯爵邸を辞し、公爵邸に帰って行った。