080.公爵の帰還と王太子命
「さて、流石に領地を空け過ぎた。儂らも帰らねばならぬ。目的であったクレットガウ子爵の顔は見られたしな。満足よ。マルグリット、この一月、楽しい一時を過ごさせて貰えた。感謝する。先の国王陛下、ハンスなどとも旧交を温められた。現国王陛下、王太子殿下などもよく頑張っているようだ。ベアトリクスの薫陶が効いているな。流石儂の娘よ。しっかりと王家を掌握しておる。ランドバルト侯爵とも仲良くなれた。たまには王都に顔を出す物だな。今度は息子たちを派遣するとしよう。マルグリット、そう寂しそうな顔をするな。今生の別れではない。遠い東の地にあっても愛しているのは変わりがないぞ、マルグリット」
「……お祖父様、わたくしも愛していますわ」
二人は抱き合っている。
ラントと顔合わせをしたルートヴィヒはすぐさま領地に帰るべく準備をしていた。本当にラントの顔を見るためだけに待っていたらしい。だがその代わりに王家や他の貴族との交流も深めていたようだ。
「そうだ、お祖父様。素敵な馬車があるの。ラントならすぐに改造してくれるわ。王家も絶賛したのよ。全然揺れないの。是非使って欲しいの。ねぇ、ラント。お祖父様の馬車だけでも改造してくれないかしら?」
「それは構わんが」
「ふむ、クレットガウ子爵の実力を見る良い機会か。儂も見せて貰おう。お前たちも見せて貰え。何せ僅か数ヶ月で魔導士資格を試験官まで驚かせて即座に合格を勝ち取ったと言う俊英だ。見るだけで勉強になる。わかったな」
「「「はいっ」」」
マリーの従兄弟や従姉妹たちが声を揃えて返事をする。皆見目麗しい。ルートヴィヒの言うことは絶対のようだ。まるで絶対王政の王の様に君臨している。それだけの貫禄がある。さもありなんという感じだ。ルートヴィヒに逆らうのは国王陛下ですら難しいと聞く。ましてや孫たちなど逆らう気すら起きないだろう。
「わかった、マリー。やらせて貰おう。閣下、少し馬車を弄らせて頂きます。なぁに、三十分も掛かりません。ご照覧あれ」
「くくくっ、そんな短い間にやるということは魔法を使うのであろう。卿の魔法の腕を見る良い機会だ。精々見せて貰うことにしよう」
ラントたちは馬車が仕舞われている倉庫に移った。ルートヴィヒが来ているせいで馬車の数が増えている。ルートヴィヒが乗る馬車はやはり絢爛豪華であり、且つ剛健であった。見事な馬車だ。グリフォンを意匠とした公爵家の家紋が綺麗に描かれている。
「それでは始めさせて頂きます。良い馬車ですね。改造を施すと街道での揺れがぐっと収まりますよ」
「ふむ、それは助かるな。流石に儂もまだまだ現役のつもりではあるが年も年だ。長旅は疲れる。揺れが収まるというだけで旅も楽になるという者よ」
ラントは一度見せたことなので即座に魔法を展開した。〈念動〉でネジを外し、箱馬車の箱部分だけを脇に除ける。そうして現れた板バネに特殊な木材と金属で補強する。ちなみにこの金属、チタンを魔法金属にした特殊な魔法金属だ。合金にしているのでそう簡単には手に入らない。そういえば設計図を買った王家は作れたのだろうか。ふと疑問に思った。
「見事な物よ。〈念動〉であれほどの重さの物を傷一つつけず動かすとは。流石魔導士資格を持っているだけあるな。魔力制御が完璧でないとああは行かん。魔力量も高いな。お前ら、同じことができるか?」
「いえ、とても真似できません。魔法の構築スピードも正確さも初めてみるレベルです」
魔法を嗜むらしいマリーの従兄弟の一人が答える。そうだろうなと思う。魔導士や魔法士でもこれができるのは一握りだろう。宮廷魔導士なら同じことができると思う。ラントの技量はルートヴィヒに認められたようだった。
「これで完成です」
「ふむ、乗ってみねばわからぬがマルグリットの言う言葉だ。信用しよう」
「閣下のお役に立てたのなら幸いです」
ラントはもう自重を知っている。なんでもかんでも前世の知識に頼り、生活を豊かにすれば良いと言うものではない。そうすれば必ず貴族や王族に目をつけられる。そして戦争の為の魔道具を作らされる。故にラントは安全で、生活が豊かになるちょっとした技術だけを少しずつ開示していっていた。間違っても戦争の兵器を作れと言われぬように、脳ある竜は牙を隠すのだ。
「ではな、マルグリット、クレットガウ子爵。また会える日を楽しみにしているぞ。クレットガウ子爵、間違ってもマルグリットに手など出すでないぞ。まだ儂は許した訳では無い。侍女や使用人はくれてやる。それで我慢しておけ。公爵家の次代を担うことを許そう。ふっ、とっくに手を出しているようだがな」
「はっ」
ラントがしっかりと古風な礼をするとルートヴィヒはニヤリと笑い、侍女たちに手を出していることを見破っていることを仄めかした。
そしてすぐさま見送りに出るラントとマルグリットの二人を眺めて即座に王都を去っていった。
嵐のような男だとラントは思った。だがあの老人は嫌いではなかった。あのように年を取りたいと思った。なにせ常に魔境を見張り、自身も戦っているのだ。そしてあの年まで生き残っている。生半可な実力ではない。
洗練された魔力の籠もったハルバードを持っていた。良い品だった。魔物など近づくだけでひき肉にされるだろう。目に見えるようだった。
「行ったな」
「えぇ、行きましたね。ですがラントがいない寂しさをお祖父様や従兄弟たちが埋めてくれました。幼い頃に遊んだ子たちが立派に成人し、妻や子を為している者もいました。嫁に出てしまった従姉妹たちとは会えませんでしたが、分家の嫁に出た従姉妹は居ました。優しくしてくれた姉のような存在で嬉しかったですわ」
「良かったな」
「えぇ、えぇ。エーファ王国に居ればなかなか会う機会はないでしょう。あっても夜会などのパーティや茶会です。あれほどゆっくりと親交を温めることはできません。ある意味ラントのお陰ですわね」
マリーはくすりと笑った。本当に充実した一月だったのだろう。ラントが居なくて寂しいと部屋で憂鬱になられるより余程マシだ。だが少しは寂しがって欲しい。そこに矛盾が生じる。感情とは厄介な物だとラントは思った。
「そういえば王家の職人がラントを呼んでいるようよ。ベアトリクス叔母様が言っていたわ」
「職人が? 何の話だ?」
「さぁ、知らないわ。詳細はベアトリクス叔母様に伺って」
「わかった、会ってくるとしよう。サバス、王宮に先触れをだせ。ベアトリクス王妃殿下の予定を訪ねるのだ。そしてラントが会いたいと言っていたと聞いてくるのだ。即座に動け。わかったか?」
「はっ、畏まりましたラント様」
旦那様呼びだったラントへの呼び方がラント様に戻っている。ラントは新しく館を賜った。そして本来の主人、ルートヴィヒが居た。間違ってもラントのことを旦那様と呼んではいけない。サバスは空気を呼んだのだ。
ラントは旦那様呼びされるのがくすぐったかった。だから今後もラントで良いと言った。サバスもデボラも頷いた。すぐに侍女や使用人たちもラントのことをラント様と呼んでくれるようになるだろう。それで良い。もうラントは公爵邸の主ではない。立派な爵位と館を持つ主人であり、公爵邸では客人なのだから。
◇ ◇
「クレットガウ子爵、久しぶりね。会えて嬉しいわ」
「ベアトリクス王妃殿下も相変わらずお美しいですね。見惚れてしまいます。ランツェリン・フォン・クレットガウ子爵、ただいま帰参致しました。そして職人がどうとか聞いたのですがどうかしましたか」
ベアトリクスは久々にラントの顔を見られてご満悦であった。その日の予定を全てキャンセルしてラントを呼び出したのだ。
彼に抱かれたクラウディアや侍女たちもラントの登城に喜んでいる。まだ子を孕んだ娘は居ない。また公爵邸やラントへ与えた旧伯爵邸に送り込まなければならない。
ラントには常に影が張り付いている。ラントには当然バレていて見逃されているのであろう。影もラントに鍛えて貰おうか、ベアトリクスは少しそう考えた。横道に少しそれたが王都内であればラントの居場所など王家には筒抜けだ。
それだけ彼に警戒しているのだ。間違えても出奔などさせては行けない。マリーが居るからアーガス王国に拠点を構えているだけであってラントなら一人で幾らでも生きられる。白金貨も溢れるほど持っている。平民であれば人生を何回も豪遊しながら暮らせるだけの金額を持っているのだ。
「ほら、馬車の改造設計図を買ったでしょう? ですが王家が雇っている職人では金属部分が真似できないようなのよ」
「ですが秘伝の合金の比率まで書いております。あの通りに作ればできるはずですが?」
「その合金が作れないらしいの」
ベアトリクスは困ったわ、とばかりに首を傾げた。ラントにはしっかり意図が伝わったようだ。大金を払って買った設計図なのだから設計者のお前がなんとかしろと言われていることを理解した表情をしている。コクリと小さく頷いた。
「王家の職人に鉱妖精種は居ますか?」
「いえ、居ないわね。全て人族のはずよ」
「あの合金は作るのが難しいのです。ドワーフを雇われては如何でしょうか。王都ほどの人口ならば良いドワーフ職人もいるでしょう」
「ドワーフね、確かに金属や鍛冶と言ったらドワーフよね。そうね、ラント、貴方下町に行って探しに行きなさい。王妃命令よ。できるわね?」
「私ですか。仕方有りませんな。ベアトリクス王妃殿下の命とあれば従わざるを得ません」
「宜しくてよ。良い職人をスカウトしてきなさい。給金は幾らでも出します。何せ王家の使う馬車は山程あるのよ」
「畏まりました」
ラントは跪いて礼をした。相変わらず古風な礼だ。旧大帝国風の礼だ。このような礼どこで覚えたのだろうか。更にアーガス王国風の所作はまだ甘いが古風な礼の所作は完璧だ。美しささえ感じられる。ラントの礼を見て侍女たちがうっとりとしている。クラウディアまで見惚れている。
今ラントがもし剣を抜いたら近衛たちは反応できるだろうか。いや、一歩も動けないに違いない。ベアトリクスは魔法や魔術の造詣は深いが、剣術には疎い。この間合いでは即座に首を落とされるだろう。ラントの剣だ、単なる無詠唱の障壁では防げまい。ベアトリクスはその光景を想像して、ふふふっと笑った。
影の女王と言われているベアトリクスの首を簡単に取れる男が居る。その男が仮初とは言え跪いている。
万が一マルグリットがベアトリクスの首が欲しいと言ったらこの男は必ず遂行するだろう。もちろん可愛い姪であるマルグリットはそんな事は願わない。だがそれを為せる力が目の前の男にはある。それだけで警戒するには十分だ。
(良い男。私が二十年若ければ若さに負けて惚れ込んでいたに違いないわね。姉さまと一緒に即座に食べられていたでしょう)
その後、ベアトリクスはラントに北方の様子などを聞いた。帝国にオーガの大軍をけしかけたと聞いて大笑いした。帝国にはやられっぱなしだ。たまには痛い目も見て貰わなければならない。
ベアトリクスは久々に心の底から笑った。やはりラントは面白いことを考える。誰が魔境の魔物を追い込み漁のように使ってけしかけられるのか。騎士団ですら不可能だろう。
ベアトリクスはラントに退室を促し、ラントが去った後に寂しそうにする侍女や近衛騎士たちにまたラントの館を訪って良いと言うと、彼女たちの表情が華開くように明るくなった。
いずれ彼女たちもラントの血を引いた子を為すだろう。それをベアトリクスが本気で鍛えるのだ。ラントに勝るとは言わないが、そこらの貴族の子など蹴散らせるような軍団ができるに違いない。
ラントに与えた旧伯爵邸もラントのハレムになっていると聞く。公爵邸でもラントは食い散らかしているらしい。ランドバルト侯爵も抜け目なくラントに女を与えているらしい。噂では妻や娘たちまで与えているとか。
20年後のアーガス王国は更に精強になっていることだろう。その頃にはコルネリウスも立派な王になっている。弟たちもコルネリウスを補佐するであろう。そして王国の次代は優秀なラントの子で溢れかえっている。ベアトリクスはその未来を想像して、またニヤリと笑った。