079.公爵の独白とラントの過去
「大旦那様、本当にクレットガウ子爵をお認めにならないのですか? マルグリットお嬢様を救い出した張本人で、国王陛下や王妃殿下の信頼も厚い。更に反乱まで一夜で落とした稀代の英雄と名高いクレットガウ子爵ですよ」
「ふん、お主、あの男の瞳を見たか?」
ルートヴィヒはついてきた信頼している執事に尋ねた。手には深い藍色のグラスとラントから贈られた蒸留酒がある。魔法で綺麗な氷を作り出し、カランとグラスを回すと芳醇な香りが部屋に立ち込める。深い藍色であるのはルートヴィヒの瞳の色に合わせたのであろう。抜け目のないやつだとルートヴィヒは笑った。舌先で舐めるように飲むと飴色の蒸留酒のきつさがちょうど良い。
「瞳ですか? いえ、旦那様を常に見つめていらしたではないですか。英雄の姿とはこのようなものかと見惚れておりました」
「あやつはな、一匹狼の瞳をしておった。アーガス王国にいるのは単純だ。マルグリットがおるからよ。あやつならどこの国に行っても両手を上げて歓迎されるであろう。あの武の気配、魔力の研ぎ澄まされ方、只者ではない。見ただけでわかった。長く王国に尽くしていた儂ですら見たことのない英傑よ。あやつならいつでも王国を出奔し、自分の腕だけで生きていけるだろう。誰も奴を従えることなどできん。マルグリットも良い男を選んだものだ。流石アンネローゼの娘だな。男を見る目だけは確かだ。嫁ぎ先のブロワ公爵も良い男振りであった。だがクレットガウ子爵の方が上だな」
「それほどですか?」
執事がルートヴィヒの言葉に驚き、声を上げる。
「儂が今の実力で、あと四十若くても敵わぬだろうよ。それほどの男だ。認めぬも認めないもない。あれほどの覇気、生まれながらの王のようだ。戦乱の世ならば大陸を征服する勢いで全てを平らげるだろう。誰も彼も奴に頭を垂れよう。それほどの力があの瞳にはあった。自分に自信があるものしかできぬ瞳よ、くくくっ、儂は奴を見極めるつもりでいたが同時に奴に品定めされていたわ。儂を品定めする男など王国にはそうそうおらん。それにランドバルト侯爵が褒め称えておったぞ。訪ねたら儂に跪いて感謝を述べおった。クレットガウ子爵が居なければランドバルト家は王国から消えていたとな。娘も妻すらも差し出したらしい。侯爵も必死だな。くくくっ、南方の雄と言われたランドバルト侯爵の心すら既に掴んでおる。ベアトリクスやコルネリウスすらクレットガウ子爵を認め、そして警戒しておる」
「警戒ですか?」
執事は少し疑問符をつけて尋ねてきた。
「あれほどの男が敵に周ったとなればどうなる。帝国にでも取り込まれれば即座にアーガス王国もエーファ王国も滅びるだろう。五百年前に帝国を打ち立てた大皇帝のように、いや、それ以上に、あの男を手に入れれば大陸制覇すらできるだろう」
「それほどですか。それで警戒と……流石は大旦那様です」
ルートヴィヒは深く頷いた。グラスを傾ける。熱い酒が喉を通った。美味いと思った。これほど美味い酒があるのかと六十年以上生きてきて初めて知った。それが齢二十を少し越えたくらいの男が自作したと言うのだ。これを売り出すだけで王都を席巻する商会を打ち立てられるだろう。金など無尽蔵に湧いてくる。
「当たり前だ。奴を御することなど現国王陛下ですらできん。褒美を聞いたか? 最高勲章に国宝を三つ、旧伯爵邸に膨大な金銭。更に三段飛ばしの子爵位だ。王国の歴史も長いが平民が一年もせずに子爵位になり、更に魔導士試験に受かるなど前代未聞だろう。前例すらない。大帝国時代ですら聞いたことがないわ。宮廷魔導士の職も近衛騎士の職も蹴ったと聞いた。聞いた時には笑いが止まらなかったわ。ハンスがぼやいておったぞ。先の国王陛下も気にしておった。どこぞに出奔されやしないかとな。あやつは百年に一人生まれてくるか来ないかと言われるほどの英傑よ。ふふっ、酔ったかな。少し喋りすぎた。だがそう簡単にマルグリットをやる訳にはいかん。その実力、とくと見せて貰うとしよう。王国の新たなる英雄の力をな。ふふふっ」
ルートヴィヒは夜闇の中不敵に笑っていた。執事は主がこれほど嬉しそうに語り、笑うのを久々に見た。
◇ ◇
「コルネリウス王太子殿下、ランツェリン・フォン・クレットガウ子爵。ただいま戻りました」
「おう、久しいな。クレットガウ子爵よ。コルネリウスで構わぬと言っているではないか。堅苦しいぞ」
「どこに耳があるかも知れませんのでご寛恕を」
「くくくっ、卿は慎重だな。あれほどの策を打ち立てた男とは思えぬ。俺は一瞬で卿の策に心が踊ったぞ。まぁよい。座れ。どうせ今回の任務も確実に済ませてきたのだろう」
ラントはコルネリウスの執務室で今回行った任務の委細を報告した。帝国の間者が使っている洞窟を発見して、罠を掛けたと言えば驚いていた。更に崖を崩し、巨大な壁で渓谷を塞ぎ、帝国側の要塞に魔物をけしかけたと聞いて大笑いしていた。瞳に涙が浮かんでいる。よほどおかしかったのだろう。
(さすが王太子だ、笑う姿も絵になるな。それにマリーの従兄弟だけあって美形だ。所作も完璧だ、笑う姿すら美しい。……俺もそうありたいものだ)
ラントはコルネリウスと雑談を交えながら、公都に寄り、ついでに魔術陣の更新も行ったと報告しておいた。報連相は大事だ。特に相手は王太子である。勝手に行ったと思われては堪らない。ラントの任務は北方の強化だ。当然北を任されている公爵領の城塞都市の強化も任務のうちである。
「卿には適当に任務を放り投げるだけで良いな。思っていた以上の仕事を短期間に熟してくれている。王国騎士団も近衛騎士団も、そして魔法士団も卿の書いた指南書で必死になって自身を鍛えているぞ。卿がまだ齢一桁の頃からやっていたと聞いて目玉が飛び出るかと思ったわ。子供にさせる訓練内容ではない。くくくっ、だがそれがあるからこそ、クレットガウ子爵の今があるのだな。ある意味納得が行ったわ」
「子供の頃は地獄でしたけどね。常に師匠に死ねと心の中で思っておりました。いえ、口に出していたかも知れません」
「ふふふっ、ラントを育てた男か。会ってみたいものだ」
「クソジジイですよ。今どこにいるのかも知れません。魔境の奥地で死んでいてもおかしくないですね」
ラントは笑いながらコルネリウスに返した。
(あのジジイは鬼畜を通り越して鬼だからな。自分ができることは他人もできて当然のように思っている。三百年を超えて生き、放浪の大賢者などと呼ばれる男と誰が肩を並べられるものか。阿呆か。マジで死ね、ジジイ。万が一殺せたとしても即座に生き返っても俺は驚かんぞ)
ジジイが死んだ瞬間、誰も敵わぬ死霊王が爆誕し、国が幾つも滅びるかも知れない。目に見えるようだった。
ラントは心の中で悪態をついたがジジイがしごいてくれたおかげで今のラントがある。それには感謝をしている。ラントが子供時代のテールは酷い状況だった。危うく国が傾きかけていた。それこそ十歳のラントを戦場に出すくらいには危うかったのだ。
(今思い返しても怒りが湧いてくるな。子供にやらせる訓練じゃねぇ)
だがそれが転機だった。ラントが戦功を上げ、敵将の首を討ち、領土を獲得する。更に農業改革など前世の記憶を頼りに行った。平民でも簡単に使える井戸を作り上げた。その頃のラントは自重を知らなかった。前世の記憶の赴くままに、自国が滅びないように必死にテールを強化した。しなければ国が滅び、自分が死ぬからだ。
ラントの前世の記憶を総動員した知識とジジイに鍛えられた魔法や錬金術のお陰で国は富み、兵は強くなっていった。テールが大きくなったのはラント頼りではあったが、歴戦の騎士や魔導士たちは間違いなく精強であった。
北方諸国と言うのは精強でなければ生き残れない場所なのだ。弱肉強食を絵に書いたような土地だ。気がついたら国の名前や王が変わっている。弱い王などは即座に臣下に倒され、一族郎党殺される。そうでなければ国が失われるからだ。クーデターなど日常のような者だ。例え上位者でも失態を演じれば部下に殺される。そんな殺伐とした地獄のような土地だった。そんな話を茶菓子片手にコルネリウスと話す。
「くくくっ、卿の昔話が聞けるなど嬉しいことだ。母上や妹たちも聞きたがるだろう」
コルネリウスが笑う。パタパタと可愛らしい足音が聞こえてきた。ヘルミーナだろう。衛兵が通し、ヘルミーナが現れる。
「あっ、ラントいた~。ラント~。抱っこ。そしてわんわんだして」
ヘルミーナは現れて即座にラントの膝に乗り、トールを可愛がった。この小さなお姫様はなぜかラントに懐き、こうして毎回会う度に膝の上に乗ろうとするのだ。コルネリウスにすらこれほど懐いていないらしい。
コルネリウスの話では人見知りをする子だと聞いたがラントには全く警戒心がない。幼いながらに良い男を見抜く瞳を持っているのだろうか。疑問は尽きないがラントは小さなお姫様を膝の上に乗せ、頭を撫でてやった。うっとりとしている。
(昔話などするものではないな。あの地獄を思い出してしまった)
剣と魔法のファンタジー世界に転生したと知った時は単純に喜んだ。魔法に憧れない男などいるだろうか? いや、いるわけがない。
しかしそれも弱冠二歳の頃には裏切られた。ラントも憧れており、騎士をやっていた兄が戦争で死んだのだ。魔法士をやっていた姉も失った。九つの頃には父も戦争で失った。弱冠十五の兄が伯爵家を継いだ。それほど危険な場所だったのだ。
転生させるならもっと良い場所に転生させろと神を呪ったほどだ。だがラントが五歳の頃、フラッと現れたジジイはラントの才に目をつけ、弟子に取った。それこそ神がそうあるべしと仕組んだかのように。
そして地獄の日々が始まった。精神年齢は大人であっても子供の体だ。それが並の騎士や魔導士よりも厳しい鍛錬を課されたのだ。寝る間もなく修練させられた。できなければできるまで飯が与えられなかった。
寝る間すら鍛錬を行わされていた。寝ていても突然〈灯火〉の魔法を放たれるのだ。気付かなければ火傷では済まない。毛布や寝台まで燃えてしまう。必死に魔力感知を磨き、障壁を無詠唱で使えるようになった。
(ふっ、過去なんて振り返るもんじゃないな。兄上は元気でやっているだろうか)
幸いテールが潰れたと言う報は聞かない。ラントは兄に秘策を幾つも伝授していたのでクレットガウ家は安泰だろう。母と妹の行く末だけが気になるがもう国には戻れない。国王に目を付けられたからだ。あの時のラントには逃げ出す以外選択肢はなかった。兄には悪いと思いつつも国を出奔した。多くの敵を殺す道具など作りたくなかった。
こればかりは仕方がない。ラントは自身が絶対にイヤだと思ったのだ。更に国に束縛されることが許せなかった。今のラントならば国王殺しをやり、自身が王になり、北方諸国を平らげ、史上初の北方統一を成し遂げていたかも知れない。勢いに乗って帝国にも牙を剥いたかも知れない。そんな過去を幻視してラントは獰猛に笑った。
「ラント~、わんわんのしっぽ~」
トールがしっぽをふりふりとしてヘルミーナの気を引いている。
ラントもコルネリウスもその姿を見てくすりと笑った。近衛騎士や侍女たちも微笑ましく見つめていた。叶うならこのような幸せな日々が続けば良いと願っている。
だがラントが憧れていた剣と魔法のファンタジー世界のようにこの世はそんなに甘くはない。試練は突然降りかかる。真夏の土砂降りのように。避け得ない脅威がすぐ側に迫っていた。




