078.ラントと公爵
「これはこれは公爵閣下。マクシミリアン三世陛下よりこの度子爵位を賜りましたランツェリン・フォン・クレットガウ子爵でございます。ご尊顔を拝謁でき、光栄でございます。どうぞ宜しくお願いします」
「ふむ、平民上がりと舐めていたが案外自分の立場をわかっておるではないか。所作も古い礼法だが洗練されている。悪くない。だが子爵程度ではマルグリットの伴侶とは認められぬ。うむ、まだ名乗っていなかったな。陛下より東の守りを任されているルートヴィヒ・フォン・ランベルトである。面を上げて良い。ふむ、顔立ちは整っているな。北方の出か、その薄い薄灰色の髪、帝国を彷彿とさせるがなかなかの男ぶりだ」
ラントは急にルートヴィヒが現れたことによって驚いたが即座に跪いた。マリーが後ろで「ごめんね」と手を合わせている。マリーにも予想外の滞在だったのだろう。しかも滞在理由はおそらくラントの品定めだ。
王国の至宝と呼ばれたアンネローゼは公爵閣下も可愛がっていたと聞く。そのアンネローゼの生き写しのマルグリットはさぞルートヴィヒにも可愛がられているだろう。どこぞの馬の骨なんぞに渡す理由がない。
ルートヴィヒは品定めを隠すつもりもないのか、ラントの仕草や所作、体つきなどを舐めるように眺めている。ラントは隠すことはない為、堂々と胸を張り、対処した。ルートヴィヒもラントの胆力に驚いたようだ。普通公爵に舐めるように見られれば騎士だろうが貴族だろうが顔を背ける。しかしラントはしっかりとルートヴィヒを見つめて目を逸らさなかった。
(しかしいきなり公爵閣下がいるとは聞いてないぞ。マリー、先に教えてくれよ、先触れを出すなど幾らでも方法はあっただろう)
ラントは内心で毒づくが、この館の主はルートヴィヒである。マリーですら勝手はできない。先触れを出すことが許されなかったのだろう。サプライズというやつだ。
(こんなサプライズはごめんだがな。だが流石公爵閣下。魔力が洗練されている。武の気配も強い)
貴族というよりは宮廷魔導士や熟練の騎士と言われても信じてしまいそうだ。それほど魔力が洗練されており、脇の騎士などはおそらくルードヴィヒの得物であろうハルバードを持っている。二人で持つほど重い重厚なハルバードだ。
ルードヴィヒは実際本人が東の魔境に騎士を率いて魔物を狩っていると聞く。本格的な武闘派なのだ。そのくらいはマリーから説明されて知っている。だが本人を目の前にするとその威容に足が竦む気がした。
コルネリウスなど相手にならない。宮廷魔導士長のハンスに似た匂いがする。高圧的に接している訳ではないのだが、なんというか強者特有のオーラがあるのだ。
ラントはルートヴィヒの評価を二段階ほど上げた。彼ならば近衛騎士団長だろうが宮廷魔導士長だろうが務まるだろう。実際先代国王陛下と同年代で、宮廷魔導士長のハンスとも親交があり、貴族院ではトップを争っていたと聞く。先代国王とハンス、そしてルートヴィヒは貫禄もあり実力もある。そして親交も厚く信頼も厚い。現国王ですら頭が上がらぬと聞くのも理解できる。この貫禄はなかなか出せる物ではない。
「ふむ、目を逸らさぬか。それに強い武の気配、更に魔力が洗練されておる。なかなかの物よ。見るだけで実力者であるとわかる。その若さでよくその頂きに達したものだ。見事。救国の英雄と聞いていたがその噂に偽り為しというところだな。更にマルグリットの危機に馳せ参じ、盗賊たちを蹴散らし、王都まで護衛をしたと言うではないか。ただの平民にできる事ではない。何せ反乱軍の勢力圏を抜けてきたのだ。生半可な胆力と実力では務まらぬ。公爵ではなく、祖父として、クレットガウ子爵よ、マルグリットを守り通したことを感謝する。さらに褒美を与えよう。何が良い? 金か? 女か? 名誉か? 魔導書や魔剣を求めるか? だがマルグリットは簡単にはやれんぞ。その噂に違わぬ実力を示してみよ。第一段階は合格じゃ。じゃが儂は厳しいぞ」
ルートヴィヒはそう言って下がっていった。ラントはほっと胸を撫で下ろした。マリーはラントに済まなそうにしている。だが問題ない。実力を示せというのならば示せば良いだけだ。ラントに敵う者などそうは居ない。切り札は幾つも隠し持っている。どんな難題でも切り抜けてみせよう。ラントは美しいマリーの顔を見てそう決心した。
◇ ◇
「ごめんなさいね、ラント。お祖父様がどうしてもラントの顔を一目見たいと言って帰らなかったの。王都にいる間は先の国王陛下やハンス閣下と旧交を温めていたそうよ。ですがわたくしの伴侶は貴方、ラントと決めています。お祖父様が反対すれば国を出奔致します。わたくしはそれほどの覚悟でしてよ。ラント、貴方は如何? わたくしを娶る自信がありまして。お祖父様を説得、いや、実力で納得させる自信はありまして?」
マリーは自身の覚悟を示しつつラントの愛情を確かめた。ラントは不敵に笑った。今この部屋にはラントとマリー、エリーしかいない。遮音結界も張ってある。
「ふふん、俺を誰だと思っている。テールの麒麟児、アーガスの救世主。新星の英雄、ランツェリン・フォン・クレットガウだぞ? 心配するな。あのタイプのジジイの扱いは慣れている。何せ俺の師匠がどれだけ意地悪だったと思っている。あの程度可愛いものだ。伝説の大賢者と有名らしいジジイは悪辣さではルートヴィヒ閣下の数倍は上を行っていたぞ。どんな難題だろうが即座に解決してやろう。マリー、安心するといい。俺にはマリーのことしか見えていない。信用しろ、信頼しろ。知っているか? 俺が本気を出せば冗談でも誇張でもなく国さえ滅ぼせるのだぞ? 王城の結界など一気に吹き飛ばし、城や王宮ごと騎士や魔導士、国王一家すら即座に蒸発させてくれる。ただし、マリーが望むなら、と注釈はつくがな。ベアトリクス王妃殿下もコルネリウス王太子殿下も良い奴らだ。気に入っている。ハンス閣下やアドルフ閣下、ウルリヒ閣下なども良い男たちだ。今回連れて行ったヴィクトールも良い男だった。それに俺もこの国も気に入っている。温暖な気候でそれなりに魔境があり、発展もしていて活気がある良い国だ。国が敵対してこん限りは俺も滅ぼすなど言わん。滅ぼすなら帝国だな。この前暗殺者を送り込んできやがった。当然返り討ちにしたがな。安心したか? マリー」
「まぁっ、暗殺者! 聞いておりませんわ」
「ふっ、暗殺者程度即座に首だけにしてやったわ。わざわざ言うほどの事でもあるまい。それよりもマリー、言うことがあるだろう?」
マリーはラントにしなだれかかった。その瞳は潤んでいた。ラントへの愛情と信頼が胸から溢れそうになる。ラントがこの笑みを浮かべた時、ラントは必ずマリーの期待に応えた。今後もそうだろう。むしろマリーの期待以上の成果を齎すだろう。いつだってラントは規格外なのだ。
マリーは、真にラントの正体を知る者。後世に英雄として歴史書にも描かれるであろうラントを疑うことなどあり得ない。
「あぁ、ラント。愛していますわ。わたくしは貴方が誰よりも強いことを誰よりも知っています。信用致しますわ、信頼致しますわ。必ずお祖父様の試練をくぐり抜け、いえ、お祖父様の度肝を抜いてやってくださいまし。ふふふっ、あのお祖父様が驚く所などそう見られた物ではないわ。想像したら吹き出してしまいそう。そうよね、ラントはテールの麒麟児、放浪の大賢者の弟子。救国の英雄。最高位の勲章を一度の戦争で得た陛下からの信頼も厚いわたくしの王子様。ラントが信用しろと言われれば無条件で信用致します。信頼も致します。是非わたくしが選んだ最高の男をお祖父様たちに見せつけてやってくださいまし」
「ふふふっ、任せておけ。マリー。俺は有言実行の男だ。そして愛する女の期待は必ず裏切らん。吉報を待て。すぐさまルートヴィヒ閣下に認めさせてやろう」
はぁとマリーはラントにしなだりかかり、熱い息を吐いた。
(あぁ、ラントのこの獰猛な笑み、格好良すぎますわ。これだけで濡れてしまいそうになりますわ。ほら、エリーまで顔を真っ赤にしていますわ。そう、ラントはわたくしの真の王子様。わたくしが危地にあれば必ず助け、わたくしが求めれば帝国の皇帝の首さえ持ってきてしまうでしょう。ふふふっ、王国の命運も帝国の命運もわたくしが握っている。それを考えてしまうと笑いが止まりませんわ)
マリーは祖父がラントに絡んだことに驚いたが、ラントは自信満々に宣言した。必ずラントを認めさせると。あの祖父にだ。公爵家の誰も逆らうことが許されていない、現国王ですら気を使う祖父。ルートヴィヒ・フォン・ランベルト。
だがまだまだ若いラントがあの程度のジジイなら幾らでも手の平の上で転がせると宣言した。ラントは言った言葉は必ず裏切らない。むしろ言わずともいつの間にか帝国の暗殺者すら退けている。帝国の暗殺者に殺された王国貴族は多いと聞く。それほどの腕前なのだ。
しかしラントは帝国の暗殺者など鎧袖一触とばかりに跳ね返してしまったらしい。しかも彼に取っては報告するに値しない些事だとばかりの態度だ。
これがマリーの惚れた男、ラントだ。マリーは久々に会うラントの姿に再度惚れ直し、抱きついてキスを求めた。ラントも激しくマリーを抱きしめ、巧みな舌使いでマリーをメロメロにした。
マリーは幸せだった。ラントが側にいるだけで安心できる。
(ふふっ、わたくしが選んだ騎士、ラントの実力を思い知ると良いですわ。お祖父様)
マリーはラントから離れるとエリーがラントに抱きついてキスを受けている。エリーも寂しかったのだ。今日はエリーが夜に呼ばれるかもしれない。
エリーと抱き合い、キスを交わしているラントを見つめ、マリーは心の中で高笑いを上げていた。
ラントなら言った言葉は必ず実現するだろう。実際ラントは公爵など相手にもしてもいない。権威に礼儀として跪く事はあっても心までは跪かないのだ。ラントらしいと思った。そしてそのラントらしさにマリーは惚れたのだ。
愛しいラントが断言してくれたことでマリーは安心した。今日はゆっくり寝られそうだった。