074.ランベルト公爵の来訪
「おお、マルグリット。また更に美しくなおって。まるでアンネローゼが蘇ったかのようだ。会えて嬉しいぞ」
「わたくしも嬉しいですわ、ルートヴィヒお祖父様。伯父様たちはいらしませんの? 勝手に公爵邸をお借りしておりますがご容赦くださいまし。ベアトリクス叔母様には許可を取っておりますわ」
「構わん構わん。可愛い孫娘じゃ。タウンハウスなど好きにすれば良いのだ。だが流石に領地を空ける訳には行かん。魔境がざわついている。故に息子たちには領地を任せ、妻と孫たちを連れてきた。ほれ、お前たち。マルグリットに会えるのは久々だろう。挨拶せよ」
ランベルク公爵邸には本来の主人、ランベルク公爵ルートヴィヒが訪っていた。正妻である元王女やマリーの従兄弟や従姉妹も伴ってだ。当然大所帯で、騎士を百人も連れている。魔導士や魔法士も連れてきている。当然だ、当代の公爵家当主になにかあってはいけない。国が乱れる元となる。公爵家騎士団は精強なことでアーガス王国でも有名だ。普段騎士が戦う物ではない魔物との戦闘も経験し、鍛え上げられている。
ルートヴィヒはもう六十を超える。だがまだまだ現役で凄腕の魔導士でもある。前国王陛下の信頼も厚く、現国王陛下、マクシミリアン三世でもルートヴィヒには強く言えない。それほどの発言力を擁している。何せ国王の叔母が正妻なのだ。強くでられるはずもない。
「ふむ。タウンハウスには久々に来たがサバスがよくやっているようだ。しっかりと鍛えられているな。これならば公爵家が恥を晒すこともないだろう。デボラも良い女だ。よく働いていると報告書が届いている。それで、マルグリット、……噂のクレットガウ子爵はどこにおるのだ。この館にいるのだろう」
「ラントは北の要塞へ王太子殿下の用命で遠征しておりますわ。冬なのに大変なことです。ですが平民の身から子爵位を賜ったのです。王家に報いなければなりません。彼は凄腕の剣士であり、魔導士でもあります。お祖父様にも負けなくてよ」
その言葉にルートヴィヒは驚いた。ルートヴィヒは宮廷魔導士にも成れる程に魔法に魔術に精通している。公爵家嫡子であった為にその未来はなかったが、宮廷魔導士長のハンスとも旧知の仲で、実力は伯仲しているともっぱらの噂だ。更に武も極めている。得物はハルバードだ。
(お祖父様とラント。どちらが強いのかしら。お祖父様も若い頃は戦場で名を轟かせていたと言うし未だ魔物を本人が狩って来ると聞くわ。お元気なことで何よりですけれど公爵家当主が魔境に入るなど普通はありえませんわ。ラントとは違うタイプの規格外でございますね)
マリーは久々に合う祖父と従兄弟たちと旧交を温めた。幼い頃に遊んで貰った者たちばかりだ。幼い頃から美しかったマルグリットは隣国に住んで居た為、彼らに会う機会はそう多くはなかったが可愛がって貰っていた美しい記憶は残っている。
しかし従兄弟たちの様子がおかしい。どこかもじもじとしている。
(マルグリット様がお美しくなられたことで驚いているのですよ)
エリーが耳打ちしてきた。なるほどと思った。マリーは最高級のドレスを身に纏い、ラントが宝物庫から頂き、与えられた美しい装飾品も着けている。ラントが作ってくれた精油や香油、化粧品はマリーの美しさを際立てている。年頃の男に成長した従兄弟たちはマリーの美しさにやられてしまったのだろう。
何せ公爵家の城にはマリーの母親、アンネローゼの肖像画がドンと飾ってあるのだ。そしてマリーは王国の至宝と呼ばれた若かりし頃のアンネローゼにそっくりだった。
「ふむ、残念だな。王国の救世主と名高いクレットガウ子爵に会ってみたかったものだ。帰るのはいつ頃だ?」
「さて、一月は掛かると聞きました。何せ北方要塞をより強固にせよと言う命令です。そう簡単には行かないでしょう」
ルートヴィヒは顎髭を弄りながら唸った。
「帝国との国境か。帝国の蠢動はここ十年で急に増えている。ランドバルト侯爵が反乱を起こしたのも帝国の影があったと聞いている。エーファ王国でも王太子を始め、王家が汚染されていたと聞く。未然に防げたようで何よりだ。なにせ同盟国だからな、エーファ王国が乱れればアーガス王国に帝国軍が殺到せざるを得ない。それはアーガス王国も同じだ。つい数ヶ月前には国が割れていた。そこで颯爽と現れたのがクレットガウ子爵だ。マルグリットの命も救ってくれたと聞く。感謝しかない。国外追放も魅了に操られていた結果であったようだ。エーファ王国の王太子は二年ほどの記憶が混濁していて、マルグリットを追い出したことを後悔しているようだぞ」
流石公爵家当主だ。情報収集には余念がないらしい。既に隣国の情勢まで掴んでしまっている。
マリーはうっすらと笑った。従姉妹たちが「ほう」とため息をついてマリーの美しさに見惚れている。
「エーファ王国に巣食っていた帝国の間者や策謀を見破ったのもラントですわ。わたくしも命を何度も救われました。ラントに会えねばわたくしの命は儚く散ってしまっていたでしょう。感謝してもしきれませんわ」
「ふむ、マルグリット、お主、子爵に惚れているな。これは二週間の滞在では済まされぬ。儂自らそのラントと言う男を見定めてくれよう。大戦で功を上げたことを聞いたが報告書を何度読み直しても信じられん。歴史に名を残す程の英雄が突如天から降ってきたように思えてしまう。一体どこに潜んでいたというのか。儂ですら彼の経歴は洗えなかったぞ、凄まじい隠密能力だ」
マルグリットは困った。ラントとルートヴィヒを遭わせるつもりはなかったのだ。
更に祖父の性格なら自分を倒してマルグリットを得てみよと言い出しかねない。それほどマルグリットは祖父に愛されているのだ。愛されていることは嬉しいのだが、孫娘の恋路を邪魔されては堪らない。なんとか穏便に済ませることはできないだろうか。
これはエリーやデボラ、サバスに相談案件だ。ルートヴィヒは奔放で強力だ。宮廷魔導士長を努めているハンスや王都の騎士団長にも劣らない剛の者だ。ラントが勝つことは疑わないが、苦戦は免れないだろう。
だがラントならこの程度の試練は飄々としてニヒルに笑い、軽く蹴散らしてくれるかも知れない。なにせテールの麒麟児と名高い大賢者の弟子である。〈制約〉で口には出せないが、百人の騎士や魔導士たちですらラントに敵う未来が見えない。
マリーは前向きに考えることにした。ラントが実力を示し、ルートヴィヒに認められればラントとの婚姻に一歩も二歩も近づく。何せ現職の公爵だ。その発言力は高い。彼が黒と言えば白も黒くなる。そういう男だ。
マリーは祖父に認められるラントの姿を想像してニコリと笑った。そして祖父は破顔し、祖母もニコニコと笑っている。従兄弟たちは見惚れ、従姉妹たちは憧れの眼差しでマリーを見つめている。もう幼い子供たちではない。彼ら、彼女たちも恋人や婚約者くらいいるだろう。だがラントは渡さない。例え従姉妹でも許さない。だがラントの種を、寵愛を一時受け取るくらいは許そうと思う。マリーは度量の広い女なのだ。
「さて、長旅であった。騎士たちにも強行軍でこさせたのだ。少し休ませたい、良いか。マルグリット」
「えぇ、えぇ。このタウンハウスはお祖父様の物。どう使おうとお祖父様の意のままにされてくださいまし」
「だがマルグリットは既に女主人として君臨しているのだろう。侍女や使用人たちを見ればよくわかる。構わぬ、この館などくれてやる。好きに使え。お前が主人だ。お前たちもわかったな、この館の主人はマルグリットだ。そのつもりで対応せよ。無礼は許さんぞ。何せアンネローゼの愛娘なのだからな。お主らも儂の孫ではあるがマルグリットの美しさをみよ。アンネローゼの再来のようではないか。決して逆らうなよ」
「「「はい」」」
従兄弟たちが元気に返事をする。
「ではお祖母様、宜しければお茶会など如何かしら。貴女たちも来て宜しくてよ。殿方は遠慮してくださしね。女の園でございます。ふふふっ、みんな可愛らしくなったわね」
「マルグリットこそお美しくなられましたね。アンネローゼとは私も可愛がっていました。あんなことになり、私も報を聞いて涙したものです。しかしアンネローゼはマルグリット様を残してくれました。それだけが救いです。あぁ、何と言う幸運でしょう。貴女にまた会えるとは思っても居なかったのですよ。何せ東方を守らなければなりません。貴女の結婚式にも出席できなかったかも知れません。ですがアーガス王国に居るのであれば必ず結婚式には駆けつけます。ふふふっ、その指輪素敵ですわね。クレットガウ子爵に頂いたの? そんな綺麗な宝石元王女の私ですら見たことがないわ。良いお方を見つけたのね。私は嬉しいわ」
祖母を茶会に誘うと祖母が麗しく微笑む。再会を喜んでくれているようだ。元王女だけあって気品があり、まだまだ若々しく美しい。彼女が居れば祖父も安泰だろう。隠居しても仲良くやるに違いないとマリーは思った。
そしてやはり女性ならではの着眼点が違う。マリーの左手薬指に嵌まっている指輪を目ざとく見つけ、褒め称える。きらりと透明に光るラントに与えられた指輪は元王女殿下ですら虜にしてしまったようだ。まるでラントが褒められた時のようにマリーは喜んだ。
「さぁ、お祖母様、皆、茶会室に行きましょう。この日の為に西部から取り寄せた茶葉がありますのよ。東部にいるお祖母様たちはなかなか西部の茶葉は手に入りにくいでしょう。更に南部から取り寄せた魚を夕食に用意していますのよ。楽しんでくださいね」
「あら、マルグリット、貴女素敵な気遣いができるのね。流石エーファ王国でも北方の雄と呼ばれるブロワ公爵家の娘ですわ。気品も王女と言われても遜色ありません。更に美しく磨きが掛かっています。その髪の艶はどうしたの。私にも教えて欲しいわ」
祖母はマリーの髪の艶が気になるようだ。ラントが大量に精油を作ってくれたので祖母や従姉妹たちに配ってあげよう。領地の留守を任せられている伯母や叔母にもお土産に持って帰って貰おう。ラントの作だと言えばラントの評価が上がる。
そして茶会室に行く前に鏡を見せる。効果は抜群だ。女性陣は美しく装飾された鏡に魅了され、まだ会っても居ないというのにラントの株はうなぎ登りだ。公爵家の女性陣の心も一瞬で掴んだ。これで安泰だろう。
マリーはこっそりとほくそ笑んだ。