072.マリーとランドバルト侯爵
「はぁ、ラントがいないと寂しいわね」
「マルグリットお嬢様。ですがやることは山積みですわよ。魔力制御の練習もしなくてはなりません。茶会や夜会の招待状は山程届いています。流石に全てお断りするのは難しいでしょう。ランドバルト侯爵もマルグリットお嬢様にお会いしたいと言っております。現役の侯爵閣下の呼び出しです、流石に無視はできません」
「そうね、一度会わないとね。閣下の娘がラントの側室に来るのですから。ランドバルト侯爵も狡猾ね。お礼と言いつつ妻や娘を差し出し、わたくしのラントを囲おうとするなど流石上級貴族だわ。倒れてもただでは転ばないわね。ただラントへの印象は良いわ。わたくしにも無理難題は言わないでしょう」
マリーはエリーが持ってきた書類の束を見て呆れた。それほど招待状が届いているのだ。美し過ぎるというのも問題だ。誰もが王国の至宝と謳われたアンネローゼの再来と言われるマリーの事を一目見たいと茶会や夜会に誘いにくる。
公爵家や侯爵家の夫人や令嬢の名前まである。流石のマリーも無下にはできない。ラントが居なくともマリーはマリーでそれなりに忙しいのだ。
「でも流石に多すぎじゃないかしら」
「冬場は社交の季節ですからね。貴族院も休みに入ります。令嬢たちがマルグリットお嬢様の噂を聞いて是非会いたいそうですよ。この機会を逃すとなかなか会えませんからね」
マリーは自身の価値を高める為に稀にしか茶会や夜会にしか出席しない。故により多くの夫人や令嬢たちがマリーの姿を一目見たいと紹介状を送ってくるのだ。選り取り見取りではあるが、断りきれない招待状も中には潜んでいる。
「これは出なくてはいけないわね。公爵夫人だわ。わたくしでも断りきれないわね。こちらは侯爵家の令嬢。ラントに色目を使っていた女ね。婚約者が居たはずですけれど、夜会でラントと踊って惚れてしまったのでしょう。ラントが格好良すぎるというのも問題ですわ。しかしこれも惚れた弱みですわね。良い令嬢を選んでラントに食い散らかして頂きましょう。ラントも喜ぶことでしょう。何せ侯爵家や伯爵家の令嬢の乙女を頂けるのですから」
「えぇ、ラント様は案外貴種の血に弱いようですから飛びつくでしょう。ランドバルト夫人や側室の令嬢たちを与えられて喜んで食べているようですよ」
エリーが微笑みながら言う。ランドバルト侯爵は狡猾だ。自身の娘すら手駒にしてラントと友好を築こうとしている。
マリーは夜会や茶会の招待状を更に見た。ほとんどはくずかごに放り込み、それらは回収されてデボラが断りの返事を書く。幾つかは参加の返事を、マリーが参加する旨を華麗な字で返事を書いていく。マリーの手書きの返事だ。それだけで価値がある。
「ふぅ、少し疲れたわね。休憩するわ」
「はい、お疲れさまです。マルグリットお嬢様。すぐお茶を淹れますね」
女の戦いを舐めてはいけない。茶会も夜会も戦場なのだ。だがマリーは四大公爵の一角、東のランベルト公爵の孫娘であり、王妃殿下の姪である。マリーを侮れる貴族はこの国には存在しない。マリーの勘気に触れば彼女たちは即座に茶会や夜会から弾き飛ばされるだろう。
噂は千里を駆ける。マリーの気分を損ねたと言うだけで致命的だ。即座にベアトリクスの耳に入る。影の女王と呼ばれているベアトリクスに睨まれてはどんな爵位にあろうとも許されない。故に夫人たちも令嬢たちもマリーの美しさに見惚れながら阿ってくるのだ。
「お初にお目に掛かります。ランドバルト侯爵閣下。東部を守らせて頂いているランベルト公爵の孫娘、エーファ王国ブロワ公爵令嬢、マルグリット・ドゥ・ブロワ。参上致しました」
「カール・フォン・ランドバルト侯爵だ。カールで良い。聞きしに勝る美しさだな。私はマルグリット嬢の母上、アンネローゼ様を幾度か見たことがある。流石王国の至宝と呼ばれた方だと思った。若い私など話しかけることすら許されなかった。だがそなたはまるで生き写しのようだ。マルグリット嬢が王国の至宝と呼ばれることもすぐの事だろう。会えて嬉しいと素直に思う。楽にしてくれたまえ。君には悪いことをした。だが当家も割れ、反乱の主犯となった。名高いクレットガウ子爵と友好を抱くのは必要だったのだ。許してくれ。ヒルデガルデ、挨拶致しなさい。決して失礼のないようにな。クレットガウ子爵の正妻に成られる方だ。彼女が白と言えば黒でも白だ。そのつもりでお相手せよ」
マリーはランドバルト侯爵邸に居た。侯爵に誘われ、日取りを尋ねて訪ったのだ。ここは侯爵家の応接室。豪華な調度品と美しく整った侍女たちがしっかりと応対してくれている。マリーを侮る視線など全くない。むしろ上位者として憧れの眼差しが注がれている。
美しい少女が一歩前に出てマリーに華麗な礼を見せる。流石侯爵家で躾けられているだけがある。まだ貴族院に通っていない年齢だと言うのに所作が洗練されている。マリーが見ても文句一つ出なかった。
「ヒルデガルデ・ドゥ・ランドバルトでございます。まだ成人前でございますが、クレットガウ子爵の側室にさせて頂くと父からは聞いています。救国の英雄、クレットガウ子爵のお目に適うなど望外の幸せ。それにしてもマルグリット様は本当に美しいですわね。女の私でも見惚れてしまいます。側室として、マルグリット様と共にクレットガウ子爵を支えていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします」
「えぇ、ヒルデガルデ、よろしくね。マリーでいいわよ」
「では私もヒルデとお呼びください。マリーお姉様」
マリーは彼女となら仲良くなれると思った。ラントをしっかり立て、共に彼を支えてくれるだろう。瞳がラントへの恋心をしっかりと映している。彼女ならばラントを裏切ることはない。
「それにしてもカール様、わたくしのラントに妻や娘を宛てがうなどやりすぎじゃありませんこと。侍女や使用人たちまで好きにさせているそうじゃないですか」
「次代の侯爵家の為だ。マルグリット嬢も同じことを公爵家で行っていると聞く。王家も似たようなことを企んでいるようだ。考えることは同じだな。英雄の血を取り入れたい、クレットガウ子爵の歓心を買い、忠誠を得たい。本心にはクレットガウ子爵を敵に回したくないと言う意図がある。実際彼が敵に回れば即座に王国は潰れるだろう。それほどの男だ。見ただけで納得させられたよ。私も男として自信があったが彼には敵わぬと思い知らされた。更に彼の子たちは次代の王国を支える礎となるだろう。公爵家だけに独占はさせられぬ。悪いが受け入れてくれないか」
マリーは美しく微笑んだ。
「えぇ、構いませんわ。わたくしも承知しています。側室、側室の娘などをあてがっているようですね。カール閣下の本気を感じますわ。そこまでされては文句も言えません。ランドバルト家は大変でございますものね。わたくしも同じくラントに助けられた身、お気持ちはわかりますわ」
マリーもランドバルト侯爵もラントに助けられた同志だ。マリーもランドバルト侯爵の気持ちは痛いほどわかる。命や家族まで救われ、奪われた家督まで戻ってきたのだ。
感謝などいくらしてもしたりないだろう。それこそ妻や娘を差し出すなど当然のことだとランドバルト侯爵は笑いながら言った。それでもまだまだ恩は返せないとぼやく。
なにせラントは名誉も金銭も必要としない。実力で勝ち取れるからだ。他者に恵んで貰う必要などかけらもない。それでは女を与えるしかない。苦肉の策でもあるのだ。
マリーもそれがわかっていて公爵邸の侍女たちをラントの好きにさせている。ラントは金にも爵位にも靡かない。金銀財宝を与えたとしてもラントは自由を侵害されれば一瞥もせず去っていくだろう。
マリーが公爵令嬢でなくても助けてくれたであろうし、ただの町娘であっても救われただろう。
実際ラントは幾度か町娘や令嬢の危険を救い、惚れられ、抱いたことがあると言っていた。さもありなん、ラントに救われ、惚れない女などいようか。いや、いない。マリーはそう結論付けた。断言することさえできる。
恋に曇っている訳では無い。ラントの魅力がそれほどまでに高いのだ。こればかりは認めざるを得ない。何せマリーの心まで鷲掴みにしてしまったのだ。初恋である。必ず成就させねばならない。其の為なら公爵家の権力でも何でも幾らでも使おう。そうマリーは誓っていた。
「そう言ってくれると助かる。妻たちなど彼に抱かれた翌日の朝には更に美しさに磨きが掛かったようになった。更に娘たちもクレットガウ子爵の魅力にメロメロだ。彼の子を必ず孕むと言う本気を感じ、すでに私でも止められぬ。英雄色を好むと言うが、英雄が色を好むのではなく女たちが英雄を放って置かないのだな。この件で良くわかった。私も驚くほどランドバルト家はクレットガウ子爵に侵食されている。クレットガウ子爵が言えば私の命令も聞かずに彼に従ってしまうだろう。騎士や魔法士も鍛えて頂いている。子爵の見識は素晴らしいな。侯爵家の騎士団でも魔導士団の長でも幾らでも与えると言ったが断られてしまったよ。残念なことだ」
ランドバルト侯爵がため息を吐く。マリーも気持ちはわかった。しかし同じ様にため息を吐く訳にはいかない。ニコリと美しく微笑んだ。笑みは令嬢の武器なのだ。侍女たちや令嬢たち、侯爵の妻や娘たちがマルグリットの美しさに見惚れているのがわかる。彼女たちの心は微笑み一つで掴めた。もう侯爵の好きにはさせない。わざわざ足を運んだ甲斐があったと言うものだ。
「カール閣下はラントを養子になされようとしたとか。確かにわたくしと結婚するには早道ですがラントには必要ありませんわ。必ず自身の手で功をあげ、わたくしを手折ってくれる日を心待ちにしていますの。ヒルデ、貴女もよ。先にラントの体を味わうことを許すわ。ラントに手折って貰いなさい。ただしわたくしの前でです。間違ってもわたくしの居ない所で手折られることは許しませんことよ」
「畏まりました、マリーお姉様」
ヒルデガルデはマリーの命令を聞き、静かに膝を折って上位者に尽くす礼をした。マリーはその態度に満足し、侯爵としばらく歓談した。
ランドバルト侯爵邸にもラントの子は今後、何人、何十人と産まれるだろう。それを想像し、マリーはニヤリと笑った。ラントの子であるなら誰の子であろうと愛することができる。どんどんと公爵邸の侍女たちも孕ませて欲しいと思った。それが次代の公爵家を強くし、ラントとの結びつきも強固になるのだ。




