070.ラントの日常と暗殺者
「ふぅ、今日は王城だったか」
朝起きてラントは呟く。騎士団長に呼び出されているのだ。
隣には昨日抱いた侍女がまだ寝ている。ラントは起き上がり、使用人たちに情事の後始末をさせ、〈洗浄〉を掛け、着替えさせて貰い騎士服になって朝餉に向かった。
「おはよう、マリー。良い朝だな、今日も美しいよ」
「おはようございます、ラント。貴方の騎士服も似合っていてよ。いつ見ても見惚れてしまうわ。今日は王城へ呼び出されているのでしょう、仕方ありませんわね。お帰り、お待ちしておりますわ」
ラントの生活は大体五日でワンクールとなっている。王城に呼び出される日。ランドバルト侯爵に呼ばれる日。商店街に行って魔物の素材を買ったり伯爵邸の様子を見に行く日。そしてマリーの相手をする日。最後は休みの日だ。急にベアトリクスやコルネリウスに呼び出されることもあるのでルーチンとまでは言えない。だが充実した日々だ。
今日は王城に呼び出され、騎士団の演習に付き合わされている。ラントは無手勝流で何でも使う戦場の剣だが、騎士に任命され、子爵にもなってしまった事で騎士剣術を学ばない訳には行かない。それに騎士剣術を覚えれば騎士を敵にした時に対応策が練れる。相手の手順を知っているということはアドバンテージなのだ。
騎士たちに騎士剣術を習いつつ、彼らには傭兵やハンターなどが使う汚い手への対策を教える。騎士たちは強いが不意打ちに弱い。砂を投げられたり、足を引っ掛けられたりすると即座に転倒する。
「戦場で転んでどうするんだ。即座に首を刈られるぞ。お綺麗な騎士剣術も騎士道も良いが本当の戦争ではそんな綺麗事では済まされない。魔法でも魔術でも短剣でも何でも使え。そうでないと命を落とすぞ。騎士が一人死ぬと言うことはそれだけ戦争に負ける可能性が高くなると言うことだ。しゃっきりしろ。即座に起き上がれ。剣は決して手から離すな。離す時は相手の不意を突く時か、負けて死ぬ時だけだ。わかったか」
「「「はいっ、クレットガウ子爵!」」」
騎士が良い返事をする。ラントに第一騎士団や近衛騎士団が負けたことで騎士たちは訓練に身が入っている。
「クレットガウ子爵、気合が入っているな」
「これはウルリヒ閣下。ご無沙汰しております」
「騎士剣術も既に堂に入っている。騎士らしくなってきたな。おっと、子爵は本来魔導士で錬金術師であったのだな。騎士を圧倒していることを見るとつい卿が騎士であると思ってしまう。騎士団の為にも働いてくれ。頼むぞ」
「はっ、ウルリヒ閣下の仰せとあらば励ませて頂きます」
ウルリヒは第一騎士団の団長だ。視察に来たらしい。ラントを呼び出した張本人でもある。
「なに、構わん。卿が来ると騎士たちに気合が入るのだ。どんどんしごいてやってくれ」
第一騎士団長のウルリヒが声を掛けてくる。彼も侯爵家の出で、魔法も魔術も使う魔法剣士だ。槍も上手い。第一騎士団は王都を守る要だ。精強で知られている。
ラントは彼らを叩きのめしたが、それはラントの手の内がわかって居なかったからだ。その手の内を晒し、対抗策まで教えている。次に戦ったら危ういだろう。本気を出さなければならないかも知れない。それほどに彼らは訓練に身を入れているのだ。
第一騎士団だけでない。第五まである騎士団全てがラントの教えを共有し、訓練に取り入れて居ると言う。近衛騎士団もだ。
全ての騎士団が、ラントを叩きのめす為に鍛えている。ラントも気を抜いていられないと思った。
次の日のラントはランドバルト侯爵に呼ばれていた。
ランドバルト侯爵はもう元気に歩き回り、冬が明けたら領地に帰ると言う。流石魔力持ちは回復も早い。毒で瀕死になり、地下牢に囚われ、あれだけやつれていた人間とは思えない。
ランドバルト家では主に政治の話を聞く。南部の雄と言われたランドバルト侯爵は地理にも明るく、それぞれの貴族の関係性も詳しい。他国から来たマリーでは補えない部分をしっかりと教えてくれている。
サバスやデボラも有能ではあるが、やはり貴族の事は貴族に聞くに限る。
「南西部は今は落ち着いている。幾つもの貴族家が取り潰しになったが子爵以下の下級貴族が多い。その分侍女や使用人があぶれ、クレットガウ子爵の求人に殺到しているようだぞ」
「それで家令や侍女長たちが忙しそうにしているのですね。伯爵邸は視察に参りましたが豪邸で驚きました。侍女や使用人たちにも給金を払わなければなりません。騎士や魔法士も揃えねばなりません。憂鬱ですね」
「なぁに、無冠の子爵としては法外な俸給を貰っているではないか。更に金翼剣章を頂いている。内乱をあっという間に収めたことで、陛下から大量の褒美を貰っただろう。金に困ることはあるまい」
実際そうだ。見たこともない白金貨が山積みにされている。
だがラントは子爵家を賜り、侍女や家令、使用人たちを雇う立場に成っている。彼女たちの給金はラントの懐から払われるのだ。
無官であるのにラントは王城の武官や文官並に俸給は高い。更に勲章の年金もある。それだけで家令や侍女、使用人たちの俸給は賄えることができる。
この時代、固定資産税や相続税は存在しない。王家に払う税だけだ。
ラントは領地を持って居ない為、五年間の免除を約束されている。陛下のお達しだ。急に子爵になり、金がどんどんと飛んでいく。
頂いた伯爵家の調度品や家具などは使える物はそのまま使えと言っている。流石伯爵家である。家具や調度品も一流だ。捨てて新調するなどラントの金銭感覚では有りえない。使える物は使えと命じている。
目下の問題は子爵家の騎士や魔法士を雇うことだ。これは簡単なことではない。優秀な騎士や魔法士は既に大貴族に雇われていて、余っていない。だが取り潰しに遭った貴族家の騎士や魔法士があぶれている。それらをラントは積極的に登用することに決めた。反乱に加担した訳ではないのだ。彼らも被害者である。
優秀な者たちはマリーに願い、子爵家への仕官を望んでいると聞く。
だが家令も侍女も、騎士隊も魔法士たちも給金を払わなければならない。
ラントは幸い恐ろしいほどの褒美を頂いている。例え百年彼らを雇ったとしても賄えるだろう。それだけが安心だ。ラントの持ち出しになるが、侍女たちはラントに仕える事が幸せだといい、給金は最低限で良いと言っている。
だが彼らの働きぶりは素晴らしい。家令や執事、侍女たちや使用人たちには色を付けて給金を払っている。それがまた噂を呼び、ラントに雇って貰おうと必死になって選考を行う公爵邸に集まっている。
ラントがこの眼で見て審査したいが人数が多すぎる。審査は公爵家を取り仕切るデボラやサバスに任せている。
「そうだ、クレットガウ卿、侯爵騎士団から幾つか雇わんか。彼らもクレットガウ子爵に恩を感じている。腕は保証する、更にラント卿がしごくのだろう。当家の騎士たちも鍛えて欲しいものだ」
「有り難く頂戴致します。折を見て彼らも鍛えさせましょう。二度と反乱など起こさせません。帝国の策謀はあんな物ではありません。二の矢、三の矢を次々と謀略を巡らせてくるでしょう」
カールはラントの言葉に頷いた。未だ帝国の脅威は去っていない。ランドバルト家すら間者が忍び込み、弟の野心に火を付けたのだ。陛下の温情がなければ取り潰しになっていただろう。
ラントは予言の様に言った。そしてラントの言葉に必ずそうなるとカールの目は確信しているように見えた。
次の日は貴族街を出て魔物の商店を訪れた。相変わらず良い物が並んでいるがラントの知る値段とは程遠い。桁が違うのだ。魔法石をいくつか仕入れ、魔核や良い毛皮が有ったので購入した。
ラントは王都の値段に諦めたのか太っ腹で既に常連だ、豪商の店主が直々に相手をしてくれる。伯爵邸が機能し始めたら彼らを伯爵邸に呼び出すことになる。貴族は基本商人を呼び出す物なのだ。
だがラントは魔物素材や魔核、魔法石は自身の眼で確かめたかった。
行く度に新商品が並んでいる。辺境のハンターが魔境に挑み、頑張っているのだろう。
その日の帰りは伯爵邸を見て回った。家具や調度品はつかえる物はそのまま使うように指示してある。貴族家にふさわしい家具や調度品を一から揃えるとなると白金貨が羽を持つように飛んでいくのだ。ラントとしては流石に見過ごせない。十分に整えられた上級の家具に調度品だ。問題なく使えるだろう。
ラントはその日伯爵邸に泊まる事にした。侍女長と幾人かの侍女を抱き、夜半になると結界に反応があった。暗殺者だろう。ラントの名は帝国にも鳴り響いている。アーガス王国が即座に復興できたのもラントが頑張った成果だ。狙われるのは眼に見えていた。
寝ている侍女たちを起こし、避難するように言う。革鎧を即座に装備し、魔剣を腰に佩く。準備は万端だ。
バリィン。突如暗殺者たちが窓を割って飛び込んでくる。六人だ。黒尽くめで顔を隠しているが明らかに帝国の暗殺者だ。いずれ大元の黒幕に反撃をせねば成らない。
「クレットガウ子爵、そなたには大いに帝国の策謀を見破られた。宰相閣下は怒りに震えて居る。武勇は聞いているが我らには敵うまい。帝国に来るのであれば歓迎するぞ。それか死ぬかの二択だ、即座に選べ」
リーダーらしき男が冗談をのたまう。ラントは帝国に与するつもりも、皇帝陛下に頭を下げる気もなかった。故に「冗談は寝て言え」と端的に返した。
即座にリーダーを筆頭に毒まみれの短剣で襲ってくる。連携も完璧だ。
まだ騎士や魔法士は雇っていない。故にラントだけで対処せねばなるまい。でなければせっかく雇った家令や侍女たちが死ぬ。
ラントは魔剣を抜いた。疾風の魔剣と言う魔剣で、風魔法で速度をアップし、更に見えない刃を振るうことで飛ばすことができる有能な魔剣だ。当然ラント作である。
短剣を紙一重で避け、〈雷撃〉の一撃で一人を昏倒させる。ラントが手強いと見たのか魔法を詠唱している。だがそんな暇をラントが与える暇がない。
ラントは無詠唱で〈風刃〉を放ち、二人の後衛の首が落ちる。夜闇に風魔法は見えづらく、避けづらい。更に詠唱もしていたので避けきれなかったようだ。
「ふふふっ、聞きしに勝る魔法の腕だ。伯爵位と帝国宮廷魔導士の席を与えよう。どうだ? 皇帝陛下に忠誠を誓うならば命だけは助けてやろう」
「寝言は寝て言えと言ったろう。俺を狙ったんだ。逃がしはせん。首を置いて行け。万が一逃げ切れたら上司に伝えろ。俺を狙えば帝国が傾くとな」
ラントは吐き捨てた。近づいてくる暗殺者の短剣を魔剣で弾き、蹴りで吹き飛ばす。疾風の魔剣を振り、起き上がろうとする暗殺者の首を落とす。これで残り二人だ。ラントの予想外の実力に暗殺者達が恐れをなしている。だが見逃すラントではない。
(やれやれ、この寝室は気に入っていたのなのにな)
ラントは嘆息をする。寝室は酷い状態だ。物理結界を破ったと言うことは相当の腕だろう。だが魔法結界は破れなかったようだ。破られていたらラント以外の侍女や使用人たちが全滅していた。そんなことをラントは許さない。
リーダー格の男に攻め立てる。幾度も剣戟が激しく火花を散らす。毒が塗られているので傷一つ負うことができない。だが一瞬の隙を突き、ラントの〈炎槍〉がリーダーの腹を貫く。火炎が迸り、熱気が迫ってくる。骨も残らないだろう。
ラントは最後の一人になった暗殺者をあっさりと処理した。帝国の間者であることは既にわかっている。ラントは暗殺者に狙われるようになったのだ。気を抜く訳には行かない。実際手強かった。だがラントの方が強かった。それが全てだ。
暗殺者の死体は呪印が施されているので結界に囲う。ドンと大きな音がして爆発が起こった。優美な寝室の床には大きな穴が六つも空いている。
「やれやれ、誰が修繕すると思っているんだ。迷惑な奴らだ」
「ラント様、助けて頂いてありがとうございました。私たちは戦いの姿さえ見えず、なにの役にも立ちませんでした。申し訳有りません」
「侍女は戦いが本分ではない。気にするな。それに戦闘をして昂っている。相手をしろ。それがお前らの役目だろう」
「畏まりました。私たちの体、存分に使い、滾りをお放ちください」
「ふふん、聞き分けの良い女は良い女だ。可愛がってやろう。今日は少し激しいぞ」
「覚悟しております」
ラントは久々の本気の戦いに昂っていた。そして帝国の謀略を止めなければ延々と暗殺者が送り込まれてくる。これは本格的に北方守護の要塞に行って確かめなければ成らない。必ず抜け道があるはずだ。それを封鎖しないことには王国は翻弄されるばかりだ。
まだ冬の真っ只中だ。だがラントは即座に要塞や周辺を確認することに決めた。何せ暗殺者に襲われたのだ。もう他人事では済まされない。
(マリーに知られたらどれだけ心配されるか、今から憂鬱だな。だが仕方がない。マリーにはどんなに隠してもすぐさまバレるだろう。なら自分から言った方が良い。明日の朝は地獄だな。だがそれもマリーが愛してくれている証拠だ。あれほどの良い女は居ない)
貴種の女を多く抱いてきたラントでもマリーの魅力には敵わない。ラントは小さく嘆息した。