069.王家の思惑
「ここが下賜された伯爵邸か」
ラントは国王陛下から与えられた褒美の一つ、旧伯爵邸を見ていた。宮殿のような公爵邸や、ランドバルト侯爵邸と比べれば一つ落ちるが仮にも伯爵が使っていた館だ。豪邸と言って良い。離れや使用人用の棟もある。騎士用の訓練場も整備されている。
今は業者が入って居て新しい調度品や家具、使用人の選定などをしているらしい。そこらへんはサバスやデボラに任せている。
「「「おかえりなさいませ、旦那様」」」
館に入ってみるとラントの存在に気付いた何人かの侍女と使用人たちが並んでラントに跪く。一人一人自己紹介される。
侍女長は若く、20代後半だろう。なかなか色気のある女だ。人妻で、家令を務める男が旦那だと言う。家令は伯爵家の出で、王城で文官勤めをしていたらしい。だがラントが家令を募集していると聞き、自分たちをセバスやデボラに売り込んだようだ。
評判は真面目で誠実。仕事も早く、人当たりも良い。魔力も高く、魔法も使え、剣術も使える。貴族院を優秀な成績で卒業し、王城に雇われた。文官としても優秀だったようだ。家令になる為に生まれたような男だ。
「自己紹介をしていなかったな。この館を国王陛下から賜ったランツェリン・フォン・クレットガウ子爵だ」
「もちろん存じて居ります。王妃殿下の姪であるマルグリット様が危険に遭った所を救われ、王都まで護衛し、無事にマルグリット様を見事王妃様の前まで連れて参りました。戦争中にも関わらずです。その話は王都中に広まり、歌にまでされております。敵地を移動し、護衛を単身でするなど並の傭兵では務まりません。更に先の大戦で勲一等を頂き、子爵に叙された方を知らない王城の者は存在致しません。春には子爵様を題材にした歌劇が作られるようでございますよ」
家令がそう言う。ラントは目立つのは好まない。護衛譚などはベアトリクスやマリーがラントの為に情報を流したのであろう。そうでなければ広まる筈がない。
自身の歌が歌われるなどいつぶりだろうか。テール時代にもラントの歌は評判が高かった。まだ自信満々で自重を捨てていた時代だ。やりすぎてしまい、王家に目を付けられた。それ以来、ラントは静かにハンターとして潜んでいたがマリーを救った事で事情が変わった。マリーを娶るならば功を上げ、身分を手に入れるしかない。今更ラントはマリーを手放すつもりなど毛頭なかった。
家令が続ける。
「子爵様が家令や侍女、使用人を募集されると聞いてあっという間に百を超える人数が応募されました。しかしほとんどが公爵家の家令、サバス様に落とされました。私たちが受かったのは望外の幸運です。王国の救世主、新たなる英雄、クレットガウ子爵に仕えられることを光栄に思います」
新たな家令が美麗な礼を示す。伯爵家の出だと言うのにぽっと出のラントに最敬礼をする。忠誠心は高そうだ。
なぜそんなに忠誠を誓うのかと聞いてみると反乱軍に実家が攻められそうになっていたらしい。ラントのおかげで実家が助かったのだと礼を言われた。
そして館を見て回る。築年数は古いそうだが十年前に大改装を行ったらしく、内装は美しく整っている。
「これが俺の館か、信じられんな」
家令と侍女長が案内してくれる。部屋の数は二十や三十でも足らなそうだ。ラントの部屋だと言う三階の部屋はまるでマリーの部屋のように大きく、豪華だった。湯場も見たが大きく、何十人でも浸かれそうだった。使用人用は別にあると言う話だから驚きだ。ラント専用の湯だと言う。なんと贅沢なことか。
家令が話を続ける。
「旦那様は今や王国では誰もが知らぬことはない英雄でございます。功を考えれば侯爵邸でも見合うでしょう。ただ王都の貴族街は狭く、侯爵邸に空きはなかったと聞いております。この伯爵邸は反乱に加担した伯爵家が持っていた物で、かなりの値打ち物です。旦那様にふさわしい館かと」
「俺は元平民だ。まだその感覚に慣れん。旦那様というのもくすぐったいな。ラントで良い」
ラントがそう言うと二人は畏まった。
「ではラント様とお呼びしても?」
「構わん。そう堅苦しくすることはない。基本的に俺はマリーの居る公爵邸にいる。この館をしっかりと管理し、守ってくれれば良い。騎士や魔法士を用意しないとな。それが一番喫緊の課題だ。とりあえず館を守る魔術陣を改造しようか。少し守りが甘すぎる」
「そうでございますか? 十分な結界が張られていると思いますが」
「館を守る騎士がおらん、魔法士がおらん。そんな中襲撃されて守れるか? 少なくともこんな軟弱な結界では俺は安心できん。地下の魔術陣がある部屋に案内してくれ」
「畏まりました」
地下に行くと感知結界と物理結界、魔法結界の魔術陣が並んでいるがやはり少し質が低い。公爵邸や侯爵邸と比べるのが筋違いと言うものだが、ラントは多少修正しておいた。これで少しは安心できるだろう。何せ騎士や魔法士が居ないのだ。公爵邸などとは防御力が違う。
せっかくラントを慕って集まってくれた侍女や使用人たちだ。死なせたくはない。
「それに帝国の企みをぶっ潰した。帝国から見たら俺は敵のような者だ。アーガス王国で鳴り響いているのだ。帝国にも俺の名は知れていよう。いつ狙われるかわからんな。お前たちも用心しろ」
「「「はっ」」」
まだ準備が出来ていないので彼らはまだ王城の部屋で暮らしているらしい。今日はラントが視察に来ると言うので待っていたと言うことだ。いつ行くとも言って居ないのに律儀に朝から待っていたらしい。ご苦労なことだ。だが真面目さと誠実さは感じられた。
子も二人いるらしい。王城の部屋を引き払ったら離れで子を一緒に育てても良いかと問われたので許可を出した。
家令は仕事があるからと席を外した。その途端侍女長がしなを作って寄ってくる。腕にしがみつき、胸を当ててくる。顔は火照っている。明らかに誘われている。ラントは動揺した。
「どうした、お前は夫がいるんじゃないのか。子も居るのだろう」
「デボラ様から侍女になるのならばラント様の子種を頂くのは義務だと選考の際に言われました。侍女、使用人、全てラント様の物でございます。夫も納得しています。ラント様の子を孕ませてくださいませ」
「いいのか?」
まだ昼間だ。使用人たちや業者たちも忙しく働いている。だがラントの私室には今はラントと侍女長しか居ない。隣には寝室がある。大きなベッドがあった。ベッドだけは新品になり、既に準備が整っている。
侍女長が服を脱ぎ、裸になる。
「どうぞ、私からお食べください。忠誠の証でございます。ラント様の活躍により、私の実家も助かりました。ラント様の電撃作戦のおかげで助かった貴族家はラント様が思っている以上に多いのですよ。実家も賠償金だけで許されました。本来なら取り潰しになり、夫もとばっちりを受け、私たちも王城を首になり、路頭に迷っていたでしょう。ラント様は本当に私たちの救世主なのです。ですので遠慮せずに味見してください。ラント様の子なら喜んで孕ませて頂きます。この伯爵邸は王家からラント様に用意された後宮だとお思いください。侍女も使用人も全て手をつけて良い者たちを選抜しています」
ラントはその言葉に驚いた。まさか食べ放題だとは思って居なかったのだ。
「それで若く美しい女たちが多かったのか」
「そうでございます。男性使用人も当然居ますが、女性の方が採用人数が高いのです。みな、美しくラント様に忠誠を誓っている者たちばかりです。ラント様専用の女の園でございます。是非ご賞味を」
裸になった侍女長が寝室にラントの手を引いて誘ってくる。
人妻で同じ館に夫が居る。子も二人産んでいる妙齢の美女だ。その女を好きにできる。それで応えないラントではなかった。ラントはニヤリと笑った。侍女はその笑みを見て顔を赤くした。これから行われる情事を期待しているのだ。
昼間から伯爵邸では嬌声が響き渡った。
◇ ◇
「王家もなりふり構わないわね」
「そうですね。でもこうなることはマルグリットお嬢様にはわかっていたのでは?」
「そうね、でもこれほど早くこうなるとは思っても居なかったわ。何せラントと出会って半年と経って居ないのよ?」
「そうですね、ラント様の実力は思っていた以上でありました。むしろ異常と言っても過言ではありませんね」
デボラやサバスに報告を聞いたマリーはそう呟いた。それに応えてエリーがくすくすと笑う。
王家は明らかにラントの子を多く欲している。次代に優れたラントの血を取り入れることで王国を強化しようと言うのだ。
マリーの公爵邸は今やラントの後宮と言って良い。だがそれは公爵家の為だ。王家の為ではない。
同じ様にランドバルト侯爵もラントにタウンハウスの侍女や使用人を好きにして良いと言っていると言う。妻ですら差し出したと言うから驚きだ。
養子に成り、マリーの夫にならないかと誘いを掛けたとも聞く。だがラントは断った。ランドバルト侯爵の下に付くのを嫌がったのだろう。だが側室の婚約者を送り出してきた。油断がならない相手だ。流石南方の雄と言われた侯爵だと舌を巻いた。
だがランドバルト侯爵にも狙いがある。大乱を起こしたことで王家への忠誠が試されている。弟が反乱を起こしたことで大量の賠償金も払うことが決まっている。だがコルネリウスやマルグリットを救ったラントに報いる事で、間接的に王家に忠誠心を示しつつ、ランドバルト侯爵家を強力にしようとしている。
やっていることはマリーと同じだ。むしろマリーよりも恋に溺れて居ない分狡猾にラントを取り込もうとしている。
「仕方有りません。ラント様はマルグリットお嬢様の為に子爵になられたのです。事の発端はマルグリットお嬢様がお困りのご様子のコルネリウス王太子殿下にラント様へ話を振った事から始まったことですよ。こうなることは目に見えていたでしょう」
「そうね、元はわたくしの発言が発端だったわね。ただラントの実力が高すぎてわたくしでは制御できないわ。あれほどの戦略、戦術眼。そしてそれを実行する実力。──の本領を見誤っていたわ。本当にラントは素晴らしいわね。王国が乗っ取られる日も近いわ」
マリーはくすくすと笑った。王家の狙いはわかっている。だがマリーは静観するしかない。なぜならばラントを王国に縛り付けたのはマリーなのだ。
マリーのたったの一言で始まったラントの活躍はマリーの予想を超えて大きかった。
もはや王国にラントの敵は居ない。王家ですらラントに気を使っている。そして取り込もうと必死だ。
そうでなければ一気に三段飛ばしの子爵など与える訳がない。更に宝物庫から三つも国宝を下賜するだろうか? 伯爵邸もだ。最高の勲章に大量の金銭も与えている。明らかに与えすぎだ。ラントがそれほどの功を上げたとも言えるが、王家がラントを離したくないと言う思惑が透けて見える。
「仕方ないわね。わたくしが撒いた種ですもの。ですがラントは渡しません。わたくしの物です。これだけは譲りませんことよ、ベアトリクス叔母様、コルネリウス兄様」
マリーは私室で不敵に笑った。