068.冬至と夜会
「ふむ、寒くなってきたな。雪もちらついている。北に向かうのは春にするか? 流石にこの寒さの中強行軍は辛いな。いや、だがコルネリウスがそれを許すか? ダメだな。行けと言われる未来しか見えない」
ラントは朝起きて冬の寒さに震えた。窓を開けると雪が降っている。
そろそろ冬至になる。この世界に誕生日などという風習はない。春に生まれた子は春分の日に、夏に生まれた子は夏至に、秋に生まれた子は秋分の日に、冬に生まれた子は冬至に一つ年を取る。数え年だ。
平民など春になると全員均一に年を取る。ラントは春生まれだがそれでも初陣は前世の基準で言えば九歳だ。九つの子供を戦場に出させるなど正気の沙汰ではないと思い返した。
故にマリーはこの冬で十八になるが、前世の数え方では一年半ほど若いことになる。まだ十六か七だ。それにしては貫禄が凄い。ラントの与えた化粧品で更に美しさに磨きが掛かっている。エリーに大量に作らされ、何に使うのかと思ったら王妃殿下などに献上されていた。ラントの株を上げるためだそうだ。だがラント自身で作り続ける訳にも行かない。ベアトリクスあたりにレシピを売って国家錬金術師たちに作らせるべきだろう。器具とレシピと材料があればそう難しい物ではない。王城の錬金術師でも作れるであろう。
マリーは王国の至宝の再来と既に夜会では女王のように振る舞っているそうだ。侯爵や伯爵家の者たちが夜会に出るとマリーに群がると聞いている。
ラントも似たような物だが慣れていないので夜会は大変だ。ただ令嬢たちとダンスするとブラジャーを付けていない胸が押し付けられる。腰を抱くことも、尻を撫でることすら許される。令嬢たちは尻を触られると咎めるような表情をしながら喜んでいる。たまにこっそり人目のない瞬間に唇を絡めてくる令嬢もいる。美味い飯とそれだけが楽しみだ。朝早いが起きたマリーを見かけた。
「おはよう、マリー」
「おはよう、ラント。雪が綺麗ね」
「あぁ、積もらなければ良いな」
「大丈夫よ、魔法士たちが雪を溶かすから。冬の魔法士や魔術士の仕事よ。彼らも大変ね」
マリーが笑う。だが魔法士は〈温暖〉の魔法を使うことができる。ローブの中は暖房服を着たように温かいことだろう。
「そう言えば冬の夜会が開催されるわ。ラント、エスコートしてくれるわよね。ベアトリクス叔母様がドレスと装飾品を送ってくれたの。招待状も来ているのよ。当然あなたにもよ。先日オーダーメイドで作った服を着てくださいね。間違っても騎士服で来ては行けませんよ」
「アレか。間違えて破らないか緊張するんだよな。金額を聞いて恐ろしいと思ったぞ」
ラントは頭を掻いた。実際値段を聞いて目が飛び出るかと思ったのだ。何せ王室御用達の職人たちが丹精籠めて作った渾身の作だ。ラントの男ぶりが二段も三段も上がったように見える。
「あら、貴方報奨金で白金貨を山程貰っていたじゃない。知っていてよ。ほとんど使っていないでしょう。貴方は大金持ちなのよ。下手な下級貴族よりも財産を持っているわ。伯爵邸も貰ったのでしょう。すでに整備が済んでいて、使用人たちの選定も済ませているわ。でも公爵邸から移ってはダメよ。たまに泊まるのはいいわ。でもわたくしの側に居なくてはダメ。わかっていて」
ラントはマリーに跪き、手の甲にキスを落とす。
「はいはい、お姫様。仰せのとおりに。あんな大金使ったことがないんだ。狩りができないので魔物素材を買うくらいしかない。だが王都は魔境が遠いこともあって魔物素材が高い。懐は温かいがつい躊躇してしまう。自分で狩った方が早いんだ。自分で狩ればタダだしな。今度北へ行く用事がある。その時に狩りをしてきて良いか? トールもうずうずしているんだ」
ラントがそう言うとマリーはゆっくりと頷いた。
「構いませんことよ。ですがきっちり仕事を終わらせて余計な日程を掛けずに真っ直ぐに帰って来ること。誓えて?」
「誓うよ、マリー。ちゃんと帰って来る。素直に留守番しているんだぞ。何せ王太子殿下の命だ。逆らうことなどできん」
ラントがそう言うとマリーは少し表情を曇らせた。
「わたくしに関わったばかりにラントには辛い思いをさせていると思っているの。ちょっと申し訳なくは思っているのよ。でももうわたくしはラントなしでは居られないわ。責任を取って頂きますわよ。ランドバルト侯爵の愛娘も側室に迎えるんでしょう?」
ラントは驚いた。何せランドバルト家に行ったのは二日前の話だ。いつ知ったのだろう。まだラントはマリーに報告していなかった。一泊したと言うのにランドバルト家での話は不思議なほど食事時の話題にも上らなかったのだ。
だがマリーは全て知っていたらしい。なるほど、問いただして来ない訳だ。
「情報が早いな。流石マリーだ。畏れ入ったよ。だがいいのか? マリーより先に婚約することになるぞ」
「もうわたくしたちは婚約したようなものです。この指輪の輝きを見て目を見張らない貴族などいませんわ。寄ってくる男避けに持って来いですのよ」
「そういう意図ではなかったんだがな。まぁ役に立っているならいい」
ラントは自分が与えた指輪をうっとりとしながら見せびらかすマリーを見て笑みを浮かべた。相変わらず美しい。早くこの女を物にしたい。即座に押し倒したい。そう思うがまだ早い。しっかりと立場を固めることが先決だ。
それにマリーとのこの距離感はラントも好きだった。甘酸っぱい青春をしている気分になれる。お互い両思いであるのに、身分が邪魔をして結ばれることができない。まるでシェイクスピアの歌劇のようだとラントは思った。悲劇にしないようにしなければならない。
(ランドバルト侯爵の養子の提案を断ったのは早計だったか? だがあの場ではああいうしかなかった)
逃がした魔物は大きい。しかしもうラントも子爵位を持ったれっきとした貴族だ。ほいほいと他の貴族の養子になるなどあってはならない。それは子爵に任じてくれた陛下への信頼を損ねることになる。
そのくらいは貴族社会に疎いラントでもわかった。ランドバルト侯爵も断られることがわかって言ったのだろう。もしくは試されたのだ。
思わぬ所に罠が仕掛けられる。貴族社会を甘く見てはいけない。ラントはしっかりと肚を括り、今日はランドバルト侯爵邸に呼ばれているので訪うことにした。
◇ ◇
「まぁ、マルグリットお嬢様。いつにも増して美しいですわ」
「あら、嬉しい。叔母様が送ってくれたドレスですものね。装飾品も美しいわ。これ一つで下町では豪邸が建つそうよ。貴族と平民の金銭感覚の違いとはこれほど違う物なのね。ラントがなかなか慣れない訳だわ」
マリーはベアトリクスに送られたドレスを着て、姿見の前に立っていた。
ラントが作った姿見だ。侍女たちがその存在を知って皆驚いていたのが思い出される。それほど美しい姿見なのだ。
ベアトリクスや王女殿下たちにも献上したがとても喜んで頂けた。当然ラントの作品であることは伝えてある。ラントの出世の足しにはなっただろう。
馬車の板バネの設計図もラントは王家に売ったと言っていた。先にマリーは改造された公爵家の馬車に王妃殿下や王女殿下たちを乗せたのだ。その魅力に取り憑かれたらしく、設計図は恐ろしい値段がついたらしい。ラントが仰天していた。だがそれでラントの株も上がる。ベアトリクスを押さえて置けば出世は確約されたも同然だ。
即座に伯爵位になど前例がないからできないだけでラントが伯爵に叙されることは内定しているとベアトリクスからは聞いている。時期を待てとマリーは言われ、じりじりしながら待っている。伯爵家の当主ならばマリーの婚約者としても十分だ。できれば侯爵になって欲しいと思う。それなら万全だ。
本来一代で侯爵などあり得ない。だがラントなら、必ず成し遂げると思う。
陛下の妾の子を下賜されるとも噂されている。これはマリーに対してこうなりますよと知らせているのだ。妾の娘と言えど国王の実子だ。王家もラントを囲おうと必死なのだろう。
ラントが名を上げるほどにマリーの名も上がっていく。すでに吟遊詩人の歌は王都どころか他の街でも歌われていると聞く。
音に聞く歌姫まで歌っているらしい。今度公爵邸に呼んでやろうとマリーは思った。
「マリー」
「あら、ラント。貴方も素敵ね。似合っているわ」
「マリーも美しいよ。なるほど、色が対になっているんだな。よく考えられているものだ。そしてマリー、お前今日誕生季だろう。十八になる。これは俺からのプレゼントだ。受け取ってくれ」
ラントが出したのは首飾りだった。だが恐ろしく精巧に作られていて大粒の魔法石がふんだんに使われている。国宝と言われても驚かないほどだ。
だがラントの作品とは違う気がした。ラントの作風とは違うのだ。
マリーは宝飾品の鑑定眼には自信がある。有名な宝飾品を作る職人の名は全て頭に入っている。古い名職人の作さえ知っている。見れば誰の作かわかる。だがその首飾りは誰の作品かわからなかった。少し古風なデザインをしている。そして魔力感知してみると圧倒的な魔力が籠められているのがわかった。
「これは俺の戦功で褒美に頂いた宝物庫の中身の一つだ。国宝だぞ。マリーに似合うと思って選んできた」
「まぁ、嬉しい」
ラントは喜ぶマリーに首飾りを付けてくれた。それだけでもうっとりとした。鏡に映ったマリーの首元が美しく彩られている。エリーも羨ましそうに首飾りを着けられているマリーを見つめている。
そしてラントがマリーの耳元に口を寄せ、こっそりと囁いてくる。
「この首飾りは神気を操るのに効果的な魔法が掛かっている。神気の練習に使え。更に強固な反射が掛かっている。着けていれば急な襲撃があっても安心だ。常に身に着けていろ」
マリーは囁き声にぞくぞくとした。だが言っている内容はとんでもない内容だった。聖国が存在を知れば必ず欲しがるだろう。それほどの品だ。しかも本当に国宝だと言う。ラントはマリーの為に自身の褒美の一つを使ってくれたのだ。これほど嬉しいことはない。
「さぁ、馬車が準備されています。行きましょう、ラント」
「わかったわかった。そう急ぐな。夜会は逃げん。落ち着けマリー。エリーもマリーを止めろ。トールの背に顔を埋めるな。毛が付くぞ」
その日の夜会は最高だった。ラントに貰った本物の国宝は全ての貴族夫人、令嬢の目を奪い、ベアトリクスと共にマリーの独壇場だった。
ラントはホールの中心で美麗な令嬢とダンスを踊っていた。尻をまさぐっている。令嬢は胸をラントに押し付けている。こっそりキスを落としている。令嬢は嫌がることもなく、うっとりとしている。確か伯爵家の令嬢で婚約者がいたはずだ。
だがそんなことは関係がない。ラントの魅力に全員メロメロだ。別室に行こうと誘われれば必ず誘いに乗るだろう。だがラントは女性好きであるが手当たり次第に手を着けたりはしない。ちゃんと許された女しか抱かないのだ。
相変わらずダンスをするラントは映えるとマリーは思った。令嬢たちが群がっている。少し嫉妬心がもたげてくる。
マリーは見なかったことにした。何せ踊り終わったラントがマリーの元へ向かってきたのだ。
「ご令嬢、一曲踊って頂いても?」
「もちろんですわ。ベアトリクス叔母様、行って来ますわね」
「あらあら、お熱いこと。羨ましいわ。存分に可愛がって貰いなさい、マルグリット」
「私も次に踊って欲しいですわ、マルグリット姉様、宜しくて?」
「構わなくてよ」
ディートリンデが乞うように言う。彼女もラントの魅力にやられてしまったようだ。仕方ない。少しだけなら貸してやろうとマリーはゆっくりと頷いた。
マリーは三曲ラントと踊った。誰もがラントとマルグリットを注目した。そして約束通りディートリンデにラントに貸し出した。ディートリンデは中央ではなく人目がない場所を狙って踊っていた。
その夜会でディートリンデはこっそりとラントと初めてのキスを体験した。マリーはしっかりとうっとりとキスを楽しむディートリンデを見つめていた。ラントの魅力は王女さえ虜にしてしまうのだ。さもありなんとマリーは頷いた。視線でベアトリクスが気付いていることもわかった。ベアトリクスは扇子を口元に当てて微笑んでいた。




