066.宝物庫の中身
「見事な物が見られました。クレットガウ子爵。褒美を差し上げます。その前に宝物庫を案内する予定でしたね。宝物庫はここからも近いの。このまま案内で如何?」
「畏まりました、ベアトリクス王妃殿下。仰せのままに」
「こちらです。ついてきていらして」
ベアトリクスは近衛や侍女を従え、ラントを王城の中の宝物庫に移動した。ハンスやコルネリウスたちとは別れた。
ラントは静かについてきている。だが何人かラントに抱かれたからか近衛や侍女の間にピンク色の雰囲気が出ている。
ベアトリクスは興味本位にラントとの情事を根掘り葉掘り聞いたが、素晴らしい性豪であり、技術も体力も経験済みの女はどの男よりも最高だったと絶賛し、初体験の女は忘れられない経験になったと頬を染めた。全員が一晩で惚れさせられてしまったのだ。
もう一度行けと言われたら行くかと問われたら孕むまで通うと皆言った。ベアトリクスに忠誠を誓っている近衛や侍女たちのはずだが、ラントへ憧れの瞳で見つめている者たちがいる。まだお手つきになっていない子まで熱い眼差しでラントを見つめている。
ベアトリクスも王妃でなければ相手して貰いたいほどだ。陛下の寵愛はまだ頂いているが蛇が獲物を狙うようにベアトリクスはラントを見つめた。ラントは視線に気付いたのか、ブルリと震えた。
(でも彼女たちがぞっこんになるのもわかるわね。私ですら王妃でなければ自分から足を開いたでしょう)
こればかりは仕方がない。ラントは顔も整っており、凄腕の魔導士だ。近衛騎士たちとの戦いを一緒に観戦したこともあり、ラントの評価は近衛騎士や侍女たちの間でも高かったといえる。故に恋人がいようが夫がいようが彼女たちはベアトリクスの命とは言えラントに足を開くのだ。
どこの馬の骨とも知らない子爵に足を開けと命令したら流石のベアトリクスの命でも彼女たちは嫌がるだろう。そのくらいはベアトリクスでもわかっている。
ラントだから、ラントが特別だからあんな命を出したのだ。そしてラントの子は次代の王国を支える柱になる。マルグリットは公爵家の為にそれを行っている。ベアトリクスは王国の為にそれを行っているのだ。
ディートリンデや他の王女たちの侍女たちや近衛たちも通わせようか、少し迷った。
「ここよ」
「ここが宝物庫。扉も凄いですな」
王城の最深部、宝物庫の前に立つ。場所を知る者すら限られる秘密の場所だ。騎士たちが常に守っている。当然開けられるのは陛下を含め極少数だ。
ベアトリクスも陛下の許可を得て宝物庫を開ける権利を既に貰っている。扉を守る騎士たちはベアトリクスが現れたことによって跪く。ベアトリクスが来ることを陛下から知らされていたのだろう。視線で合図すると即座に脇にどく。
特別な魔法石を扉の魔法石に押し当てると両開きの扉が音を立てて開く。
中には金銀財宝が唸るほど高く積まれており、近衛や侍女たちは声も出せず絶句している。
だがラントの視線を追うと一切金銀財宝に目を奪われていない。魔法具や魔剣、魔槍などに目を向けている。流石だと思った。
普通の貴族はこの光景を見ただけで財宝に目を奪われる物だ。だがラントは魔導書や魔法具、魔剣などに目を向けている。美しさや財ではなく、実を取るつもりなのだろう。ベアトリクスの知るラントの人物像と重なる。ラントならきっとそちらに興味を抱くと思ったのだ。
「手に取っても」
「構いませんわ。こちらが目録よ。当然ここを出たら忘れなさい。国家の秘事よ」
「畏まりました」
ラントは一礼し、目録を見ながら宝物庫を歩いている。金銀財宝などには目もくれない。大粒の魔法石を手に取った。国宝とされている希少な魔法石だ。あれがあれば最高の魔法の杖や魔剣を作ることができるだろう。
ラントならば既存の魔剣や杖などではなく自身で作り上げてしまうだろう。目の付け所が違うとベアトリクスは目を見張った。
ラントは悩みながら宝物庫を眺め、ゆっくりと歩いている。侍女や近衛たちは財宝に目を奪われている。クラウディアは視線が一本の魔剣に注がれている。彼女が使う細剣に似た品であり、強力な魔法が付与されている。騎士ならば垂涎の魔剣だろう。だが今回は彼女への褒美ではない。ラントへの訪いは彼女への褒美でもあったのだ。それで満足して貰わなければならない。
「ではこの魔法石と、魔導書。それにこちらの装飾品を頂きます」
「あら、マルグリットへのプレゼントも選んだのね」
「良い品でしたから。それにこれほどの美しさは私には作れません。一流の職人とデザイナーが作り上げ、一流の魔導士が作り上げた見事な品です。マルグリットにも似合うでしょう」
「ふふふっ、クレットガウ子爵はマルグリットにぞっこんね。そんな物を渡されたらまたマルグリットが貴方に惚れ直すわよ。宜しくて、公爵家の女はしつこいの。狙った男は逃さなくてよ」
「散々思い知らされておりますよ。早く伯爵号くらい取れとせっつかれているくらいです。そう簡単に昇爵などされるものではありません。平民から子爵に叙されたことすら奇跡に近いのです。帝国が蠢動し、国が割れていたからこそ功を上げられたのです。ある意味帝国のおかげとも言えますな」
ベアトリクスはその物言いに笑った。
「ふふふっ、だからって帝国に感謝などしてはいけなくてよ。それに帝国の脅威はまだ去っていません。有事であるからこそ、クレットガウ子爵ほどの才がこの国に必要なのです。伯爵でも侯爵でも爵位なら幾らでもあげましょう。マルグリットを妻に迎えるのでしょう。最低でも伯爵、できれば侯爵位が欲しいわ。一代で侯爵位についた者は建国以来存在しないわ。ですがクレットガウ子爵ならできるでしょう。その代わりしっかりと働きなさい。功に報いるのが王家の義務よ。他の貴族の嫉妬心など吹き飛ばすほどの功を上げなさい」
「はっ、王妃殿下の仰せのままに」
「期待していてよ、ランツェリン・フォン・クレットガウ子爵」
ベアトリクスは跪いたラントの肩を優しく扇子で叩いた。
◇ ◇
「あら、案外友好的に見られているのですね。嫉妬している貴族などほとんどいなくてよ。ラントに友好的でないのは脛に傷がある貴族か評判の悪い貴族ばかり。有象無象ね、気にする必要すら感じないわ。裏でこそこそピーチクパーチクするしか能のない無能貴族でしょう」
マリーの言葉にエリーが応える。
「そうですね、マルグリットお嬢様。有象無象にラント様をどうにかできるわけがありません。放っておいても問題ないでしょう。うるさければマルグリットお嬢様がプチっと潰してしまえば良いのです。ラント様のお手を煩わせる必要すらありません。マルグリットお嬢様はそれだけの権力を持っておいでです。見せしめに一つくらい潰して、財を没収し、財と美麗な娘たちを見繕ってラント様に差し上げては如何でしょうか。ラント様の専属侍女もまだ少なすぎます。受け取ったと言う伯爵邸を管理させる者たちも揃えねばなりません」
「伯爵邸はサバスが潰された貴族の使用人たちから有能な物を選抜させて、すでに選考に移っているようよ。でも確かに侍女が足らないみたいね。補充が必要かしら」
マリーの瞳がギラリと光る。ラントのことを悪く言う木っ端貴族のことなど眼中にすらなかった。
マリーはサバスに調べさせたラントの評判の報告書を読んでいた。爵位の高い、もしくは有能と評判の貴族ほどラントへの評価が高い。
当然だ。ラントはこの国の誰も成し遂げられない国難を一瞬で解決したのだ。だれが真似できよう。流石北方の雄、常勝無敗の戦鬼、テールの麒麟児、放浪の大賢者の唯一の弟子だと思った。
「ほぅ、こちらも凄いわね」
「マルグリットお嬢様、私にも見せてください」
エリーがねだってくる。一緒に読むことにした。
マリーはこっそりとテールの麒麟児についても調べさせた。その成果は凄まじい物だった。
まず十歳に満たぬ頃の初陣で敵将を屠っている。そして戦に出れば必ず勝つ。小競り合いでも大戦でもそれは変わらない。大将首を上げたのなど十や二十できかない。常勝無敗。敵国がどんなに戦力を増強しようと、不利な戦場ですらラントはそれを自力で覆してきた。
彼が参加すると聞いただけで敵国は畏れをなしたと言う。故に与えられたのが『戦鬼』という二つ名であり、テールの麒麟児としてアーガス王国やエーファ王国にまで名が轟いたのだ。彼が弱冠十五の時の話である。
マリーも本人を目の前にしていなければ、歴史の授業で習わなければ、決して信じなかったに違いない。それほどラントの戦績は異常だった。
更に領地の改革も行っている。平民でも簡単に水が汲める井戸を開発し、農耕改革も行い、食料が足りていない北方のテールの飢えも解決した。故にテールは強国となり、ラントが居た十五年間だけで領土を倍にまで広げている。
ただラントは功を上げすぎたようだ。国王に目を付けられ、人を多く殺す魔法具を作れと命令を受けた。故にラントは出奔した。その後の行方は知れない。テールは麒麟児を失い、一時失速したがラントの与えた恩恵は残った。故に今もテールは他国に畏れられる強国として君臨していると言う。
これはラントにきちんと功で報いれば北方を統一することも可能だったのではないだろうか。ラントであれば一代で北方を統一し、有史以来一度も成し遂げられたこともない北方統一王になったとしても全くおかしくはない。
ラントの凄さを知っているからこそ、マリーはその想像は間違っていないと確信できた。
テールは目の前の領地に目が眩んでラントと言う才能を手放したのだ。逃した魔獣は大きいどころではない。金のガチョウの腹を裂いた国王はその責任を取らされて廃位され、王太子が跡を継いだという。ラントが出奔するというのはそれほどの事件だったのだ。
「凄まじいですね」
「えぇ、予想以上だわ。ですが納得よ。──の弟子なのですから」
「そうですね。ラントの本気はおそらくこんなものではありません。アーガス王国すら一人でひっくり返してしまうでしょう。ですが私もラント様からもう離れられません。子を孕むのが今から待ち遠しいです。なぜ月の物が来てしまったのでしょう。悔しくて堪りません」
「あら、エリーはラントに可愛がって貰っているのでいいじゃない。わたくしなどまだ乙女よ。家の格が高すぎるというのも問題ね。簡単に足を開くわけに行かなくてよ」
マリーはエリーを羨ましそうに見つめた。なにせエリーはラントの寵を受けているのだ。それだけで嫉妬に塗れそうになる。
だがエリーはマリーが国外追放された時でさえ付いてきてくれた。他の女騎士や侍女たちは尻込みした。唯一エリーだけが付いてきたのだ。その忠誠心は随一だ。
エリーにも幸せになって欲しいと思う。そしてラントの寵愛を受けることはエリーも求めている。ずっと付いてきてくれたエリーへの褒美なのだ。嫉妬などしている場合ではない。
(ふぅ、いけないわね。次を見ようかしら)
マリーは気分を落ち着け、次の書類を開いた。ランドバルト侯爵の体調がよくなり、ラントに直接会って礼を言いたいと言う書簡だった。
これはラントに伺いを立てなければならない。だが必ずラントは行かせなければならない。南方の国境を任せられる侯爵位にある方から礼を受けるのだ。夜会の噂にならない筈がない。ラントの評判も上がるだろう。有象無象がぐぅの音も出せないほどラントの名声は高まるだろう。
マリーはその書簡をどけ、次の書簡に向かった。後何枚処理すればラントが帰ってくるだろう。それを心待ちにし、マリーはエリーと共にマリーが処理せねばならない書類を処理していった。