065.王城の結界
「ここが王城の秘事、大結界の間ですか、凄いですね」
「うむ、宮廷魔導士でも結界士でもないのにここに入れることが許されるものは少ない。クレットガウ子爵、お主はそれだけ陛下や殿下たちに信頼されたという証でもある。古の大賢者が作ったと言う魔術陣じゃ」
ハンスが多くの魔導士を連れてやってきている。コルネリウスや近衛の姿もある。なにせポッと出の子爵だ。幾らラントだからと言って見張りを付けないわけには行かない。
だがコルネリウスはラントがどうするのか、興味があるようだった。むしろ興味でついてきたとしか思えない。見張りと言う建前でラントの腕前を見るつもりなのだ。
更にベアトリクスまで居る。彼女は本当に興味本位だろう。この国の王妃がこんな場所に来る理由がない。
「ほぅ、見惚れるな」
大結界の間は城の地下深くにあり、巨大であった。強力な魔物の魔核が宙を浮いており、更にその周りをくるくると巨大な魔法石が十二も回っている。石材で作られている床だけでなく、柱などにも複雑な魔術陣が描かれていて、恐ろしいほど美しい。
「これをイジれと?」
「儂にはできぬ。もうこの大結界は完成されているように思える。三百年も前のものであるのにだ。だがクレットガウ子爵、お主ならできるのではないか?」
「子爵と呼ばれるのは慣れないですね。少し見せて頂いても?」
ハンスはニヤリと笑った。
「構わぬ。間違えても壊すなよ」
「そんなことは致しませんよ。王太子殿下や王妃殿下まで見張っています。それにハンス閣下も居ます。間違えても怪しい動きすら致しません」
「うむ、それで良い。なにかあったら言ってくれ」
ハンスは大仰に頷いた。コルネリウスも大結界の間に入るのは珍しいのかきょろきょろと部屋の中を見つめている。ベアトリクスは泰然としている。ベアトリクスの側にはクラウディアが居た。先日ラントの部屋を訪った娘だ。人妻で子も居るというのに、ラントの種が欲しいと部屋を訪ってきた。
もちろんラントは夜半に勇気を出してラントの部屋を訪ねる女を断るような無粋な真似はしない。美味しく頂いた。クラウディアは鍛えているのもあり、締りは強く、ラントの体力にもついてきた。良い夜だった。
目が合って思い返したのかクラウディアの顔が赤くなっている。他にも数人の侍女が送り込まれてきた。彼女たちもラントの顔を見るだけで赤くなっている。送り出した当の本人、ベアトリクスは扇子を口元に当てて、何を考えているかはわからない。
(ふぅん、じじいが三百年前に作ったと言われる大結界か。流石だな。中央に浮かんでいるのはベヒーモスの魔核だな。魔法石はマリーから預かっているもの並に大きい。それが十二もか。流石だ。俺がいじるところなんてないんじゃないか? 何せあのジジイの渾身の作品だぞ)
ラントはゆっくりと歩き、魔術陣をしっかりと確認していく。ジジイに作られた魔術陣が幾重にも重なっていて、美しい調和を生み出している。半径二十メル。更に柱になども魔術陣が描かれている。
魔力の補充は結界士と言う特殊な役職の者たちが行っているようだ。毎日魔力を魔術陣に籠めるなんてなんという夢のない仕事だとラントは思った。自分は絶対にやりたくはない。
だが魔法士や魔術士の間では人気の職業なのだと言う。名誉であり、給金も高い。危険もない。そう聞けば悪くない職場に聞こえる。
(ふむ、ジジイ、手を抜いたんじゃないか? エーファ王国の結界の魔術陣も似たような物だろう? だが王城には魅了が蔓延した。精神魔法に対する魔術陣が見当たらないぞ)
ラントは心の中でジジイに毒づいた。だが先日王宮図書館から借りてきた本の内容を思い出す。〈魅了〉や〈洗脳〉と言った精神魔法は禁忌とされたのだ。
更に独立戦争後、五十年は平和であったとされる。戦争では〈隷属〉や〈魅了〉、〈洗脳〉と言った精神魔法は飛び交っていた。当然当時の魔導士たちは見破ることも対処することも出来たに違いない。だからジジイは特に気にすることなく魔術陣に精神魔法対策を入れなかった。当時の魔導士たちは自分たちでできるからだ。
だが精神魔法は禁忌に指定され、学ぶことすら許されなくなった。故に対抗手段も失われ、エーファ王国は国が転覆する寸前まで行った。アーガス王国でも歴史の中で対抗手段が埋もれていってしまったのだろう。
〈魅了〉魔法は難しい。それを魔法具に落とし込む技術は三百年前にはなかったはずだ。だが帝国はそれを完成させ、エーファ王国の王太子に使った。
帝国と二国の精神魔法への対処の差が、そのまま謀略へと繋がったのだ。なにせアーガス王国の王族は精神魔法対策の護符すら付けていない。それは危険なのでラントが作り、王族全員に献上したが、ベアトリクスたちが調べさせたら似たような物は王家にも伝わっていたようだ。どこかで必ず着けていろと言う伝承が途絶えたのだろう。
「コルネリウス殿下、ベアトリクス殿下。ハンス閣下。一つ気になったことがあります」
「なんだ、構わぬ。言ってみろ。お主の事だ。ハンスが手を付けられぬと言うこの大結界に足らぬ所でも見つけたのだろう。流石だな」
「あら、私も気になるわ。この大結界は完璧だと思うのだけれど。これほどの魔術陣、今の時代描ける者がいるかどうかすら怪しいわよ」
「そうではありません。大結界は完璧です。上級魔法の直撃ですら幾らでも耐えるでしょう。ですが一つだけ落とし穴があります。それは精神魔法対策です」
「「「精神魔法?」」」
三人は三様に驚いていた。
「〈隷属〉や〈魅了〉〈洗脳〉と言った精神魔法は禁忌に指定されています。そのせいで精神魔法を知る魔導士は少なくなり、見破れず、対抗手段すら歴史の闇に無くしているのです。マルグリットが国外追放になった理由を知っていますか? 帝国の策謀で子爵家令嬢に多くの貴族が〈魅了〉を掛けられ、操られたからです。エーファ王国の王太子が操られ、マルグリットは婚約破棄され追放されました。エーファ王国の王城の魔術陣もこれと同様に精神魔法への対処がなされていないのでしょう」
「まぁ、大変だわ。精神魔法は禁忌であるため、知る者は本当に少ないのよ。ラント、貴方は知っているの?」
ベアトリクスは大きく腕を上げてラントを見つめ、問いかけてくる。
「禁書庫に入る許可を得ましたから魔導書を読みました。それに私は北方の出ですから。精神魔法は禁忌などではありませんでした。むしろ戦場では当然のように飛び交っていました。対処法も知っております。精神魔法を防ぐ魔法具を作ることもできます。対策の護符は陛下や王族の方々に以前献上させて頂きましたでしょう。宰相閣下や大臣職を勤める方々にもつけたほうが良いでしょう。ハンス閣下。それに騎士団の団長たちなどにも付けさせれば盤石でしょう。私の作る魔法具は精神魔法を感知すると色が変わります。魔力を籠めれば精神魔法を打ち砕きます。相応の魔法石と魔法金属を頂ければ承りますよ。ただし当然タダではございません。相応の対価は頂きます。本来一つで大金貨数十枚が飛ぶ代物ですよ」
ラントがそう注釈を付けた。ただ働きなど誰がするものか。伯爵への昇爵を見据えて恩を売り、更に金銭を手にする。何せ公爵家から考えられないほどの金貨を毎日のようにラントに使われている。多少はラントも自前で稼がねばならない。領地持ちの貴族ではないし、王城での仕事も持っていないのだ。貴族年金と勲章の年金だけである。
それでもかなりの金額なのだが、せっかくなのでここで大きく稼ぐことにした。金は幾らあっても良い。経済を回す為に使うのも大事だが、金があるのとないのでは心の余裕が違う。公爵家に、マリーにおんぶに抱っこではいけない。今ラントはマリーに懐を握られているも同然なのだ。
「構わぬ。先日献上された護符にはそれほどの効果があったのか。流石だな。先を見て既に布石を打っている。だが大臣や騎士団長などが汚染されては敵わぬ。王族の危機は金には変えられぬ。言い値で買おう」
「コルネリウス、私が査定し、ふさわしい金額を決めますわ。貴方は下がっていらっしゃい」
(ちっ、ベアトリクスが相手か。ぼったくれないな)
コルネリウスが度量の広いことを言い出したがベアトリクスが止めた。これではぼったくれない。一つに付き白金貨五十枚と言ってやるつもりだったのだ。だがそれを十も二十も発注すれば素材費も合わせて国の財政が一時的に傾き兼ねない。半分の二十五枚が良い所だろうなとラントはため息をついた。二十枚まで値切られるかも知れない。それほどベアトリクスは手強いのだ。
「それで本題は魔術陣じゃ。精神魔法に対抗するための魔術陣を追加することはできるのか」
「ふむ、あちらの柱がまだ空いているようです。あそこに書き込みましょう。古の大賢者の魔術陣に私が書き加えるようなことをするなど畏れ多いですが、やっても宜しいですか?」
「当然じゃ、宮廷魔導士の長である儂ができぬのじゃ。だが読み解いたり見張ることはできる。儂も禁書庫で様々な文献に目を通した。儂の目の前でやれ」
今日の本題はそれだ。ハンスは自分で見張ると言う。ヴィクトールを始め何人かの宮廷魔導士の姿もある。ハンスはヴィクトールたちを鍛えるつもりなのだろう。
「ではせっかくなので殿下方もおいでください。疚しいことは一つもありません。魔術の知識はないでしょうが、見ているだけで楽しいと思いますよ」
「わかった、子爵の実力、とくと見させて貰おう」
「ふふふっ、最前列を確保しちゃいますわ」
コルネリウスは緊張した面持ちで、ベアトリクスは楽しそうに近くにやってくる。この場で魔法を放てば二人の首などすぐ落ちる。警戒心が足らないと文句を言えば良いのか、ラントが信用されているのか判断するのは難しいところだ。
それにそんなことをするつもりは毛頭ない。そんなことをすれば世紀の大罪人として一生指名手配され、追い回されることだろう。当然マリーと結ばれることもなくなる。彼らは愛しいマリーの従兄弟や叔母であるのだ。どうせ首を取るのならば帝国皇帝の首を取りたい。ラントはそう思った。
「ではやりますよ。そう時間は掛かりません。じっくり見ていてください」
ラントが杖を取り出し、魔術陣を描き上げていく。杖から綺麗な碧の光が漏れ出し、中空に魔術陣を幾重にも描き上げていく。
その美しさにベアトリクスの侍女や近衛たちが見惚れている。いや、ラントに見惚れているのかも知れない。なにせ何人かはラントのお手つきになったのだ。
コルネリウスが感嘆の声を上げる。ハンスも「むむぅ」と唸っている。術式を読み解いているのだろう。
最後の仕上げとして魔術陣を柱に定着させ、大元の魔術陣に接続する。完成だ。
「完成です。どうですかハンス閣下。先日禁書庫への入室が叶いましたので禁忌指定されている精神魔法もより深く学ぶ事が出来ました。それに合わせて対抗する魔術陣を描き上げました。瑕疵はありますでしょうか」
「いや、見事な物じゃ。というかお主、北方の出だと言っていただろう。北方では奴隷すらまだ居ると聞く。元々精神系魔法を使えたのじゃろう?」
「これはこれは流石ハンス閣下。流石ですね。えぇ、私も精神魔法を使えます。ですがこの国で使ったことはありません。神に誓いましょうか?」
「いや、儂も精神魔法の波動があれば気付くことくらいはできる。お主が悪さをしていないことくらいわかっておる。疑ってすらおらぬよ」
ハンスは笑いながら答えた。
「それはご信頼ありがとうございます。では魔術陣を繋げてしまいますね」
「相変わらず見事な物よ。宮廷魔導士にならぬか? 次代の長を約束するぞ。儂も年じゃ。ヴィクトールたちも育てておるがまだ育ちきっておらぬ。クレットガウ子爵なら宮廷魔導士長ですら今すぐにでも任せられる。儂も晴れて引退じゃ」
「閣下、何度もお断りしたじゃありませんか。宮仕えなど私には性に合いません。私の主であるマルグリット様がエーファ王国に帰るかも知れません。ご勘弁を」
「むぅ、仕方あるまいな。もう誘うのは止めることにしよう。しつこくして嫌われては敵わん」
そう言われたがラントはこの老人が好きだった。なんだか憎めないのだ。更に魔導の達人だ。ハンスと戦うとなれば付近の地形が変わるだろう。街中で戦えば街が更地になるに違いない。それほどの相手だ。ラントもテールの麒麟児と呼ばれた本気を出さなければならないだろう。
負ける気はない。紙一重の勝負でも勝って見せる。何せ切り札はいくつもあるのだ。
ラントは生まれてこの方、一度も負けたことがなかった。師匠であるジジイは別である。




